◇『母の日』によせて

今月の15日は『母の日』でしたね。
今年はたまたま『母の日』の前日に福岡で心理学講座があって、感情に
コミュニケーションの実習の中で相手に自分の気持ちを手紙で伝えると
いうものがありました。
日頃、お互い素直になれずに口喧嘩ばかりしている母の顔が真っ先に浮かび
チャレンジしてみようと思いました。
書き始めてから、そういえば小学生の
時以来、親にまともに手紙を書いたことがないかもしれないということに
気付きました。
我ながらびっくりです。
私の母は7人兄弟姉妹の長女ですのでしっかり者で人の世話をやくのが
好きなんですね。謙遜が美徳とされた昔の人でもあるので、受け取ること
がとても苦手です。
今年の『母の日』もそうでした。
私:「夕飯は手巻き寿司をするからまかせといて!」
母:「(お寿司やさんのチラシを見せながら)こっちのほうが安いんじゃ
   ないかねぇ・・」
私:「・・(怒)なんで人の気持ちを汲んでくれんとよ!!」
母:「だいたいあんたが買い物に行くのが遅いけんたい!」
私:「はぁ?」
喧嘩の始まりはいつもこうです。
母のことを大切に思うからこそ提案したことだったのに、喧嘩になって
結果的に母に嫌な思いをさせる事態に私としては納得がいかないわけ
ですね。
思い起こせば子供の頃は気持ちを受け取ってもらえない寂しさをいつも
感じていたかもしれません。母の顔色をうかがって喜んでもらえないことに
対して、自分がやったことは迷惑なことだったのかなと自分を責めていよう
にも思います。
私の気持ちは受け取ってくれないのに、なんでお母さんの気持ちだけを
受け取らないといけないの!?という怒りもありました。
いつの間にか母との会話は敬語で応対するようになり、母の気持ちを
受け取ることを拒否し、こちらから与えることを放棄してだんだん距離を
取っていきました。
母は祖母が病気がちで臥せっているような家庭で育ったので、早くから
自分が気丈でなければいけない、人の世話になって迷惑をかけてはいけない
という思いが強かったのでしょう。親が病気で寂しい思いをした分、子供の
ために健康でいなかればという気持ちもあったようです。
年を老いて気持ちに体がついていけなくなってきている今、少しずつですが
ようやく頼ることもできるようにはなってきているようです。
私が心理学で『受け取ること』を学んで母との関係も変化していき、敬語で
接するようなことはなくなりました。
しかし、母の気持ちを受け取っていることを伝えること、つまり感謝して
いる気持ちは十分にはまだ伝えきれていないように思います。
心の距離が近いほど照れくさくて伝えにくいものですよね。
“ありがとう”は、何かをしてもらったり、気にかけてくれたりしている
ときは自然に出てくるのですが、さらに“いつもサポートしてくれて
感謝しているよ”とか、“気にかけてくれているのがとても嬉しい”などは
思っていても一度も言葉に出したことはないなあと改めて思いました。
振り返りつつ、ひとつひとつ言葉を選んで思いを込めて手紙を書いていると
涙が自然に出てきて“お母さんが私のお母さんでいてくれてありがとう”
という言葉が最後に自然に浮かんできました。
本当に伝えたかった言葉はこれだったんですよね。
私のように母に直接感謝の気持ちを伝えることができる状況はそれだけでも
本当に幸せなことだと思います。
今回そういう機会に出逢えたのもありがたいことだなと思いました。
さて『母の日』当日・・
手巻き寿司はご馳走できたのですが、手紙は結局渡せませんでした。
恥ずかしがり屋の私は翌日に父を介して、私のいない時間をねらって渡して
もらったのでした。
“この親にしてこの子あり”ならぬ“この子にしてこの親あり”
母の素直でない部分をもっともっと許して受け入れようと心に固く誓ったの
でした。

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