5月の第2週の日曜日。
5月に入るとともに、この時期まである想いで私の身体にはある意味プレッシャーがかかります。
「母の日」。
確かにこどもの日もありますし、とってつけたように「父の日」も存在するのですが、このなんというのでしょうか、感謝せねばならぬプレッシャーに毎年なんとなく気が重くなったり、色んな事を思い出して彼女の偉大さを思うのは私だけなのでしょうか・・・?
確実にこの人が居なければ、
この人が父という人と夫婦になるという選択をしなかったら
存在し得なかった私。
母は山陰の海近い機織りでよく名が通っている町に生まれた人です。
母の父は、戦争に行き彼女が4つになる頃まで終戦後シベリアに抑留され癌に侵されこの世に別れを告げるまでずっと「戦友記」の話と軍歌を歌い続けた人です。
母の母は、ひたすらにひたすらに祖父の帰還を信じ物言わずに舞鶴港に通いつめたということを言葉少ないながら、時折りお話してくれた人です。
母はカトリックの高校で当時の女性としては身長が高かったということでバレーボールで活躍していたことが自慢でした。
母はお見合いで父と結ばれました。
母の笑顔は幼い私にとって太陽のようでした。
母は、上西の家で私の曽祖父、祖父、父の実母(父には母が二人居ます)の父、と20代で数人の方の最期を面倒を見た人です。
寝たきりになった曽祖父の足を和らぐまでいつも揉んでいたとよく母以外の人から聞かされました。
母はいつも働いている人でした。
とてもシャイな人で褒められるのが本当に苦手。
とても、心配性。
私は小さい頃から、母からずっと相談をされていました。
今にして思うと、幼い私に相談をしていたわけではなかったのかもしれません。
小学校にあがるかあがらないかの子に、夫婦関係がなぜうまくいかないのかなんて、本当のところ聞いても実際には分かりませんものね。(^_^;)
ただ、聞いてくれる人が欲しかったのかもしれませんね。
私はその度ごとに、必死になって励ますことを考えたのですけどね。
私の目から見た母の歴史は
身体の不調の繰り返しと苦労の繰り返しでもあったように思っていました。
子宮頸がん・・・
胆嚢摘出・・・
紫斑病に近いレベルで血小板が足りない・・・
肋骨の骨折、大腿部の損傷、
膝関節の障害・・・
膝関節の障害に伴っての腰痛・・・
なぜか母とその親族は常に誰かが入院しているような状態でした。
実家にたくさんの問題が内包していることを知りつつも実家を離れ仕事に専念していた30代初めの夏が過ぎようとしている晩のことでした。
いつものように、夜遅くまでの友人との電話でのお喋りを終えた私は、明日の東京出張に備えワンルームマンションのユニットバスにたまにはお湯をたっぷり溜めて漬かろうとしていたときの事です。
突然。
何かに押しつぶされそうな全身の痛みにのた打ち回ることになりました。
1時間程すぎ、なんのことだったのかも分からぬままに全ての痛みが消え床につくことができました。
朝寝坊の私なのに明朝はいやに早くに目覚めたことを覚えています。
夜以外はあまり鳴ることがない固定電話が鳴り、母が交通事故で大阪にある救命救急センターに運ばれたことを知りました。
損傷の大きかった部位から順番に整形外科、呼吸器外科、脳外科のドクターが次々に到着してくださり、処置と説明をほぼ同時進行で続けてくださり、九死に一生を得た母。
数年のリハビリと、入院生活を終え自宅にて療養を続けている母。
まさかとは思いましたが、その後も胃に癌が見つかり胃も摘出し今は抗がん剤の治療を受けています。
死線を渡りかけたことは何度もあると思うのです。
その度ごとに母の身体は人様の力を借りて生活せざるを得ない状況になります。
ただ、その度ごとに母は生きることを選択したんだなとも思います。
切ないかな、彼女の執念にも近い生きる原動力が姉と私の存在にあると気が付いたのは、彼女の胃切除後の療養中の病室でした。
生活の面では私の姉は自立という状態ではありません。
母が生きている限りは、何がしかの方法で私が家族を抱えなくてもすむ、私に迷惑をかけなくてもすむ・・・。
この想いがどんなことがあってもこの人に生きるということを選択させているらしい。
手術後の母の寝顔を見ながら、やっと彼女の思いを理解できたように思います。
才能も問題も性格も思考も身体も長所も欠点も
この人から貰ったものがたくさんあります。
彼女から引き継いだ私の人生における課題もたくさんあるようです。
ただ、
どうやら私が幸せになること、
私が自分の人生を生きること、
私が彼女の感じた限界を超えていくこと、
これがこのやっかいで偉大な母からのなによりものプレゼントであり願いであり祈りであるようです。
周囲の人を幸せにしたければ、まず自分が幸せになることを選択すること・・・
よく言われる言葉ですが、こんなドラマチックな形で教えてくれなくても、なんて愚痴りたくなっちゃいます。
大好きで大好きで大好きで、そしてとっても厄介なお母様へ。
母の日を越えてしまいましたが、許してくださいね。
今も、あまり会わなくても、愛しています。