◇Thanks to...

私たちが一生かかって出会う人間の数って一体、何人になるのでしょうね。
100人、500人、1000人、それ以上でしょうか・・・。
少しずつ、少しずつ、増えてきて
大人になると連絡を取ることができるのが年賀状しかなくて、とにかく居場
所を確認するようなトモダチもふくめて実は膨大な数にのぼるのでしょうね。
生まれた当時はモノクロの、私のアルバム。
産着に包まれていても、母の腕に抱かれていても、動物園のキリンさんの前
でも、やたらと泣き顔の多い私の写真。
今もかわらずの泣き虫っぷりに
そして人見知りっぷりに恥ずかしくなることしきりです。
そんな私に初めて出来たおトモダチは、通っていた小学校の教頭先生のお嬢さ
んだったように思います。
はきはきしていて優等生、ピアノが上手だった彼女
は色が黒いことがちょっぴりコンプレックス、だけどとてもお茶目。
自己主張することも苦手だった私ですが、初めて‘喧嘩’をしたのもこのお友
達でした。
きっかけは本当にちょっとした事で、
「横断歩道のボタンをどっちが押すか」
結局その日は最後まで口を聞かずに、家に帰ってから落ち込んでいたのを覚え
ています。
「ごめんね。」そう言えたらよかったのに・・・、たっぷりたっぷり後悔しな
がら布団の中でなかなか眠れず。
勇気を出して、次の日この言葉を伝えたときの彼女の恥ずかしそうな顔は今も
覚えています。
右太ももの足の火傷跡、健康な皮膚の上にくっきりと地図のようにのっかかっ
ていて気持ち悪いヤツなどと同級生や上級生の男の子にからかわれていたのを
見つけ、助けてくれたのも彼女。
大人になり、数十年後に「とても嬉しかったのよ」と伝える機会があったとき
「そんなことあったっけ?」と言いながら、喧嘩をした次の日の仲直りの後と
同じ、照れくさそうな顔を見せてくれました。
人間って意外と、自分が感謝されるようなことをしてきたことってすっかり忘
れている事が多いですね。
社会に出るまでに父に言われた言葉に「学生が終わったらなかなかともだち出
来ないかもしれないぞ」というのがあります。
それを聞いた当時はとても淋しく思い、「大人になると一人で生きれるように
強くならなくてはいけないのかな」と感じていました。
それでも縁というの不思議なものです。
社会に出て、一度も行ったことがない場所に仕事での赴任が決まり配属された
半年後、たまたま出会った同業他社の男の子は同郷で共通の友人がいることが
話をしているうちに分かりました。
実家を離れての初めての一人暮らし、毎日淋しさを抱えていた私。
毎日顔を出す営業先で時折挨拶と言葉を交わす彼。
時々は、仕事の空いた時間をコーヒーを飲みながら一緒に過ごすこともありま
した。
一人、実家を離れているこのときに、時折姉の精神疾患が悪化したと親から報
告を聞いたり、実家の金銭的事情の悪化を聞いたり。
本来の泣き虫さんが発動しそうになるたびに、不思議なことに約束をしている
わけでもないのに彼を見つけ少しだけする立ち話。
「調子、どう?」
「まぁまぁかな。そっちは売れてるん?」
「え?これからやで、俺はな・・・。」
「そっか、がんばってね。じゃ。またね。」
たったこれだけの会話と彼の笑顔がもう実家に帰ろうかしら・・・とくじけそ
うになる私をどれだけ救ったのかなんてこと、きっと彼は判っていない事でし
ょうね。
この彼と出会い、会うことがなくなった後でも私はやっぱり
「一人で生きられるように強くならなくては、何がなくなっても生きていける
ように。」
そんな風に感じていたと思います。
あの人にも、この人にも、支えられていることに気づきもせずに。
そして今。
出来るだけ、一人で生きる。
まるで、ポリシーのようになってしまった私の考えを平気で覆そうとする友だ
ちが居ます。
一人で落ち込もう、と暖かい布団と飲み物を準備している私に平気でメールし
てくるこのお友だち。
もう、何年ものお付き合いになりますが「一人で泣くのーーーっ!」と何度目
の前で泣かれたことか。
毎日のように、喧嘩をした事もありました。
私自身が迷惑なもののように感じて、そういう時は出来るだけ人と関わらない
ようにする私を平気で怒る10歳上の勝気なこの友だち。
お蔭様で、
私のポリシーは徐々に崩れだそうとしています。
「ひとり」で生きるのか・・・
「共に」生きるのか・・・
選択肢は、いつも私の目の前にあります。
ひとりで生きることを選択し続けてきた時には、誰が何をしてくれたか、居てく
れたことにも人って気づかないものですね。
「ともに」生きる・・・。
ひとりで生きるほうがある意味楽に感じることもあるけど、
そう選んだときに、脳裏に浮かぶのは誰かの美しい笑顔だったり、偽りのない
表情だったり、一言であったり、見守ってくれている想いだったり。
一人ひとりへの感謝を自分の人生の彩として感じることができた時に、人が存
在するという人間同士の贅沢さを想います。
誰かから与えられている影響も、誰かに与えている影響も本当は人を生かす大
きな力になっていること、落ち込んでいたり淋しいときには忘れてしまうもの
だけど。
出来るなら、自分を生かしてきてくれた一人ひとりの人に感謝を配ることがで
きたとしたら、どれほど心が豊かになるでしょうね。
そして、もしかしたら、私が影響を与えることができた誰かの感謝を受け取っ
ていくこと、勇気がいるけれど選択できるといいな、と思います。
今日が、あなたが誰かにした、素晴らしいことに気付いて、受け取っているよ
うな日になりますように。
今日が、あなたが誰かにとって、神様からのプレゼントであり、お使いである
ことを思い出していける日になりますように。

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