●一枚の葉書き 〜〜友からのたよりに寄せて〜〜

 ポストに、一枚の葉書きがあった。
 懐かしい文字。15年来の付き合いの友人からのもので私より10歳ほど年長の彼女は、昨春私と時期を同じくして職場を去ったのだが、彼女の退職の理由は体調によるものであった。
 私たちが知り合うさらに5年ほど前から「慢性関節リュウマチ」と言う慢性的な自己免疫の疾患と付き合いだした彼女。退職した昨年は更に病気の数が増えた、とある。発病当時、教師としてかなりのハードワークをこなしており、発熱を薬で抑えながらの勤務をしていたのだそうだが、これが病気の始まりであったと当時の彼女には知るすべもなかった。学期を終え診察を受けたときには医師からは「もう少し早ければ・・・」と言われたと言う。私と出逢った時には既に手の甲に目に見える変形が起こっていた。仕事はもちろん、日常生活にもかなりの工夫が要る状態だったと思う。
 慢性関節リュウマチ・・・この病気は関節を包む「滑膜」の炎症に始まり、進行に伴い関節や軟骨がやがては破壊に至ることも多いと言う。彼女の退職前も(動きにくくなるので)一番恐れていた膝の滑膜の肥大がひどくなりその手術とリハビリに明け暮れた1年だった。その後、不自由な部位が増え、今では肩や頸に金具を要れた上装具の装着をしての生活なのだそうだ。しかし、彼女の生き方は常に真剣であり、いろんな意味で「譲る」ことをしない。動ける間に・・・と言う思いからなのだろう。仕事を辞める時には「まだできる」の思いも強かったように思うが、結局人生全体として考えた時、仕事を辞めると言う決断になったのだと言う。
 携帯電話やパソコンと言った「文明の利器」を彼女は殆ど使えない・・・と言うか使わないのだろう。もちろん年齢的なものや時間のなさ、体力のなさと言った事もあるのだろうが、私は彼女のような「アナログな生活」もまた好きだ。そう言えば、車にしたところでいよいよ手や足がしんどい、と言う頃までマニュアル車に乗っていた彼女。機械に頼るより自分の体の感覚を大切にしていたのだと思う。そのせいなのかどうか、50代も後半に差し掛かっている上にたくさんの症状と付き合っていると言うのに、とても若々しく魅力的なのである。人の生きる力とは、体力や体の健康よりも「生きたい」「動きたい」と言う意欲が一番の原動力なのだ、と彼女を見ていると私は何時も思う。
 彼女と同じ職場にいた頃、もう一人の友人と三人か時にはそれ以上でよく遊びに行った。三人とも車を使うのだが、そろって出かけるときには必ず電車を使った。大阪は鶴橋の(この駅でJRと近鉄の乗り換えをする度に私は降りてしまいたくなる・・・駅の構内は「匂い」と言う嗅覚に訴える広告で充満しているのだ)有名な焼肉屋さんへ行くだとか、京都のおいしいお茶漬屋さんでの昼食が目当てだとか、八坂神社前のさば寿司を買いに行こうだとか、神戸の海沿いの店でフランス料理を食べようだとか・・・たいていは食べることが主体だった。彼女たちはどちらも私よりかなりの年長と言うこともあって、二人といる時に初めて私は「末っ子」の気分を味わえたものだ。彼女の葉書きは、そんな自分がいたことも思い出させてくれた。
 話はまったく変わるが「葉書き」の由来は葉に書いた便り、と聞いた事がある。言葉と言う文字にも「葉」の字が使われているし、言の葉、と言うゆかしい表現もあるが「言の端」が元々の由来であったとか。でも紙自体、パピルスやこうぞなど植物から作ったものがあり、やはり「葉」と言うのが良いなあ、と個人的には思ったりする。心を形にして贈るのに、何だかふさわしい気がするから。
 私は手紙が好きである。出すのももらうのも、ちょっとときめきがある。今でも、大切なときには手紙を書くし、時にはクライアントさんからのお便りを戴く事もあり、これが「心」を手にできるようでとても嬉しい。中には自作の絵や写真など、また季節の便りを届けてくださる方もいて、私には大切な宝物になっている。
 8歳の時から、縁あって今でも季節の便りを交わす、しかし一度もあった事のない友人がいる。当時都会の小学生だった私たちのところに蛍を送ってくれた、今でも未だに緑の豊かな場所にある小学校の同学年の「仲間」に宛てたお礼の手紙への返信がきっかけだった。当時の担任にすればただ出席番号順に振り当てただけだったと思われるのだが、私とそのペンフレンドはよほど相性が良かったらしい。母親に綺麗な便箋や、旅先で絵葉書を買ってもらっては手紙の交換をしていた。
 高校時代には女友達としょっちゅう手紙のやり取りをしていたし(時には授業中に書きました・・・懺悔)、交換日記もしていた。交換日記は友人からの誘いだったのだが、私の中のいろんな思考を外に向けるのにはとてもいい習慣になった。深刻な話、恋話、将来への夢や不安、勉強のこと(彼女は私と違いとっても優秀な生徒だった)、音楽の話、プロレスの話・・・思いつくままに書いた。ノートのページが残り少なくなると(買う順番を決めてあった)次のノートをどんなものにするか、色々思いあぐねたりするのもまた楽しくて。紙を選ぶところから、気持ちの交流は始まっている気がする。
 綴った事の殆どはもちろん憶えてなどいないのだが、当時のことを思うと一字一字が列車のように連なって過去から流れてくるような感じがする。言霊だなんて、先人は良く言ったものだとつくづく思う。
 メールやパソコン、プリンタが普及している昨今、必要以外はすっかり筆不精を決め込んでいるけれど、拙い文字や文章から流れ出るものがあるのかもしれない、と思う。手紙を書くときには大体一気に書いてしまうことが多く、見直すことはあまりない。見直したが最後、気になることばかりで出せなくなってしまう恐れ大、だからだ。想いを伝えるのにはやはり手紙は好いものだなあ、と改めて思う今日この頃。そう、「言霊」を伝えあっている気がするから。
 彼女の書く文字は彼女の不自由な生活がうかがい知れないほど整い、病と付き合いながらの教師として、妻、母、娘としての彼女の生き方を今更ながら深く思う機会にしてくれた。そして、私の中にあるとっても多くの掛け替えのない宝物をもう一度思い出す糸口にもなった。
 
 「あなたにお会いして元気なお顔が見たいです。
体にはくれぐれも気をつけてくださいね。」
 友人の葉書きの締めくくりの一文である。彼女のように症状が進んでゆく病気を持っている気持ちはいかばかりなのか。想像力の欠如している私には解かりえないと思うのだが、流れ行く季節のようにその事さえも受け入れているかに思える。
 長い秋の夜、彼女の言葉のその温かさ、その重みをしみじみと噛み締めている私なのである。

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