●私なりの「医」に対する想い、そして「生」について

医療業界を去ってからも毎年、勉強や知人との再会を兼ね1年に一度は興味のある学会に参加することにしています。
本年度選択したのは「癌治療学会」でした。
いわゆる緩和医療がどの程度日本で進みつつあるのかということに興味があり、久しぶりに学会の開催される東京・新宿を訪れてみることにしました。
日本における「医学の世界」は知らず知らずは「特別視」されることも多いかと肌で感じることもあります。
その背景には世間で言われているような様々な要素が混在していることでしょう。
金銭的な事情、学歴主義の延長としての医学部、個人的な経験も含み良くも悪くもさまざまな感情をいだかれることがあるのだなぁと今更ながら思います。
自分の健康、という日常的な側面から見ればもっと身近にあってしかるべき・・・ものであってもいいのじゃないかしらん、と感じることもしばしばあります。
いわゆる一流ホテルと近隣のビル1階のイベントホールを借り切っての学会行事。
その道の専門で日夜活動されている医療職の方が全国から集まってこられます。
所属と名前の書かれた同じ名札を首からさげ、普段あまり着慣れないであろうスーツ姿の硬い表情の男性や女性がご自身の目的とされる演題のある会場を右へ左へ早足で歩き回られる姿は、優雅な空気をふんだんに漂わせるホテル全体の空気をぴりりとしたものに変化させてしまっているようでした。
目に付いたのは、通常はコンベンションホールなどを使用して医療職以外の方には余り目が触れられる機会がない研究発表などをサラリーマンやOLの方たちが往来するイベントホールで開催されていたことでした。
派手な装飾のついた立て看板は、日常の時間を普通に過ごしている通行人の目を充分に惹き付けるものであったのではないか、と醸し出す空気の違いにいささか私自身が戸惑いを感じていました。
この醸し出す空気の違いそのものに関してはふたつ思うことがありました。
一つは医業の世界がなにか「白い巨塔」のイメージのままに少し遠いものとして一般に感じられているせいなのか。
または「病気」や「生死」に関して私たちがいまだ知らず知らずに日常は感じないように、また日本的な文化の美点でもあるのでしょう、「そっとしておこう」という感覚に少し触れるものであったのか。
医業の世界の中に居たときには、自身の仕事に熱中し気付かなかった事でもあったかもしれません。
日常の中にあるもの、、、。
イベントホールの一角では今も闘病を続けていらっしゃったり、今は近親者の方を天国に見送られボランティアとして活動されている方々のイベントの様子を大きなスクリーンで開催期間中ずっと流し続けていていました。
その様子は私には少し変化をとげる兆しに映りました。
例えば、会社や近所の方で「病気」なんです、、、と告白されたとき、向き合ってもらえなかった感があったりもしくは自分が向き合えない感じがして自分を責めたり。
そんなことで傷ついてしまうことが少しでも減ったらいいな。
今では随分と薬剤の治験広告などもオープンにはされてきたものの、情報の不足や恐さでボランタリティが妨げられたり。
自分の心と体を大切にするとともに、他人にもそうであるように願う気持ちがオープンに広まればいいな。
そんな勝手な願いが投影され、私の目にはそう映ったのかもしれませんが。
私自身、近親者に癌を患った方が多いです。
ただ、自分でも少し違和感を感じるのは実はこういう勉強をしつつも、私の個人的背景の裏側にある母のガンの闘病を、父に任せきりにしている罪悪感からあるのかもしれません。
もう少し顔を見せてあげたら、喜ぶのかしら、元気も出るのかしらと感じながら私はあまり母に優しくすることが出来ません。
母の病気による訴えに優しく接してあげることが出来ないと感じている呵責をこういう勉強で埋めているのかもしれません。
母の闘病により、感じたことは家族だからこその葛藤をどこか感じ取りながらでも、患者である母に寄り添ってくれているお医者様への感謝がひとつ。
自分自身が優しくできなかったり、病気になってしまった母を責めてしまう気持ちもありながら、それでもどこかで愛している母や、父をもう少し人間として大切に扱ってもらいたいという欲求も一つ。
母に身体的な問題が起こるとわが事よりも恐怖を覚える父。
その父の要請で、母の病状に関しての説明に同席することとなりました。
「胃にがん細胞が見つかりました。

うなだれる父の姿に、動揺を隠せなかった担当の若い外科の先生。こちらの質問に対して一問一答状態になってしまわれました。
色んな人と経験を見てこられてきたのだろうなと思われる看護師の方の温かい目がなければ、私は情けない思いで医師に対してもっと感情的に問い詰めてしまっていたかもしれません。
胃に始まり、腸の一部、可能性としてはすい臓の一部までもしかするととる必要があるかもしれない・・・。
健康な場所まで身体にメスをいれ取らなくてはいけなかったり、患者の家族の動揺を受け止め切れなかった罪悪感などもあったのでしょうか、その若い医師の感じるところを思い至るには私には時間が必要でした。
その後の転院により、母はまた今も違う医師のもと再発せぬように薬物による治療を続けています。
治療に際して、十二分な説明と、なにかあったらいつでも電話してくださいという対応に父は安心してお任せしているようです。
娘である私が出来ていないな・・・と感じている父母への思いやりや愛を父母はは今の医師から誠意を尽くしていただくという形で貰っているようにも感じます。
そして、人生の長くを闘病とともにある母の生きる意味を思います。
彼女だけの人生を見たときに、本人としての何かを成し遂げた感はさてどうだろう、と想うと少し悲しくなります。
しかし、父はもともとが健康に関する職に従事する期間が長く、母のガンの発病とともにさらに自身で健康に関して知恵や知識を深め、仕事に生かしているようです。
私は私で、娘として思うことをある意味カウンセリングや職業で、解消しているようにも思います。
私の母の「生」に対する考え方は本当に切り取った側面でしかないのだけれど、人間ひとりの「生」がどんな形であるにしろ他の誰かの「生」に影響を与えているのは事実のようです。
逆も真なり・・・で、誰であれ自分自身がなにかの影響を日常的に与えているものなのでしょうね。
自分の「生きていることの意味」や「影響力」ほど普段感じないことはないかもしれません。
個人的な「生」に関しても想いつつ、久しぶりに接した医業の世界で感じたことは化学(科学)や産業と、想いやハートの調和が奏でられたときの可能性でした。
人が生きていくうえで、煩わしさを減らし物理的にも心理的にもQOL(クオリティ・オブ・ライフ)をあげる・・・という課題を掲げていた内容には日々すすんでいるんだなとほっとするものを感じます。
私が興味を持ち、聴いていた緩和医療の発表内容でも治療と、全人的なケアを含めての医療を提唱されていた内容が多かったように感じます。
いま、どんな状況にいるのであれ「生きている」という事、「命がある」ということにもう少しこだわってもいいんじゃないかな、その意味を自分個人だけでなくてともに生きている人たちの中にもみるともっと大切に思えるのかな、そんな風に思える東京での二日間でした。

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