●男であること。女であること。〜〜〜クリスマスの季節に〜〜〜

男と女は似て非なる生き物である、と言ったのはかつて同僚であった友人です。
私はどちらかと言うと、「男にできて女にできない事はあんまりない」「でも男には子供を生めない」「かと言って性差の優劣はない」と言うくらいの考え方をしていたし、仕事上の能力という点で言えば、全体を見ると性差を感じない気持ちでいたので、この言葉はとても新鮮に響いたのです。
その当時仲の良かった別の同僚の話も一緒に思い出していました。
 その同僚(男性)の先輩のお話・・・。この季節、彼女にプレゼントを二つ用意して、一つは大きめに派手にデコレートした箱。もう一つはその辺の紙袋に入れた小さなもの。どちらがほしい?って聞いたら彼女は大きな方を、と言ったらしいのですが実は紙袋の方に本命のプレゼントが入っていて・・・。彼は、じゃあこれは捨てる、とゴミ箱へ。ところが彼女はどうしてもどうしても捨てたほうがやっぱり気になって・・・、結局のところ二つとも彼女に贈るつもりだった彼は、じらしながら渡してあげると中には婚約指輪が入っていた、と言う話。
 この話を聞いたときに、私ならどちらをもらうって言うかなあと考えていました(最悪・・・どちらももらえない人だったりして^^;)。たぶん、欲張りさんになって用意してくれたものはどちらもいただく、という運びに今ならなると思うのですが、当時の私はどうだろう・・・と。で、その時の同僚がその話を嬉しそうにしていたのを思い出してるんです、さすが俺の先輩や!と話していた笑顔を。「男くさい」人たちでしたから、そう、それはそれで確かに素敵なんやけど・・・とどこかに引っかかりを感じ続けて10年余りなのです。
このちょっと違うと言う感覚が、恋愛には欠かせないエッセンスなのですが、使い方しだいではちょっとリスキーかもしれませんね。
 女性的な特性、男性的な特性を無視して来たわけではないし、年子の弟と育ってきたのでその違いは学ぶともなく知っているので(だから私は便座があがっているかどうか確認してから座る)、必然的に子供の頃から生活の中に性差が存在していた事になります。
だからこそ、互いを不可解と言う感覚をただパートナーシップや社会で知っただけではないので、もしかしたら尚のこと自分自身を「女性」という扱いをあまりしていなかったのかも知れないし、周りの男性に対してもそうして来たのかもしれない・・・。むしろ、「人間」という捉え方を大切にして自分のことも周りの事も見ていたように思うし、それは今も変わらない思いとしてあるのですが、こういった話を聞くと、男性ってそうなのかぁ、と思ったりするのです。
こういう時はどこかで違いを楽しめていないのかも知れないですね。
 「感受性」「感応」「感情」「表現」・・・という部分で見るともちろん個性の差は大きいけれど、性差があることが私の中ではこんな風に明らかなのです。
これは自分が「人間」であることと同じくらい、とても大切なことなのではないか、とこの数年は特に思っています。
たとえば、二人の息子を見ていると、個性の違いは有るけれど、口を揃えて同じ事を言われてしまうこともあって・・・「お母さん、これはこうしてたらあかんわ、俺らにはわからへん!」とかね(笑)。でもそれって私や母や・・・多分女性の多くにとっては「あかん」ことやないと思うんです。
逆に、「何でこれを片付けるってことができないのかなぁ?」「あ、ごめんごめん」・・・こんなことを繰り返しますが改まる気配なし。これって個性だけ?と思うわけなんですね(躾の悪さゆえかしら^^;)。親子でこれですから、夫婦やパートナーではどれだけの行違い思い違いが存在しているんだろう・・・。今更ながら思います。
 長年、ほぼ男女差のない職場で仕事をして来た成果なのか後遺症なのか?「共感」「協力」「共生」のできる異性は多いと実感しているのですが、どちらかと言うと自分が女であることをあまり意識していない関係性なんですね、これって。でもお互いの性の違いは認識しているんです。
そう・・・どこかで性の違いによる「感じ方」「受け取り方」が違うと言う事よりも仕事を通しての同士と言う側面が強くなっているんでしょうね。もちろん、それぞれの(男女、の)感性を活かして働いていた時にはとても楽しく、私なりに良い仕事ができたと思ってはいるんですが。一方でちょっとでも私が「おんな」になる「おとこ」とは・・・などと考えると、この年になってもとっても恥ずかしい気分になってしまうんです。
でもここは一つ、敢えて挑戦することで私自身をもステップアップ!といきましょうか。
 魅かれあうのは、相違性と共通性からと言います。
つまり、性を異にしている者同士がいかに同じ感覚を感じるか、が魅力の度合いと比例すると言うことになるのではないでしょうか。少なくともそこにはある種の「秘密」の感覚が出てきます。
二人の間に秘密をたくさんもてるほど、ロマンスは増すと言いますから、人知れず想う恋が廃れないのも解る気がします。
二人の間に秘密があることで他の関係性との「区別化」が起こります。
「君(あなた)は僕(私)にとって特別な人」と言うわけです。
なので、秘密のブロックサインなどができたりすることもあります。
でも、通じ合っていればいるほどサインの読み違えは致命的になりがちです。
何故かと言うと「今更言葉で表現するなんて」と言う気持ちが出てくることが多いからで、察してほしいことを言葉では言わないという現象になったりします。
そこでブロックサイン・・・ボディランゲージやノンバーバルコミュニケーション(非言語コミュニケーション)に頼る事になります。
前述の同僚の先輩などはこういった事に長けていた男性かもしれません。しかし、そこには思わぬ落とし穴が・・・。
 体験的な話なのですが、そう言う状況下では大体は相手の気持ちが解かります。
きっとそうだろうな、と感じたとおりになるし、ほらね、と言うリアクションが返ってきたりもします。
つながりをうまく感じているときにはサインの読み違いは余りありません。でも、どちらか・・・特に「読み手」になりがちな一方がネガティブな想いになっているときには、サインを見落としがちになるし、違う解釈になってしまって思わぬ仲たがいになったりもします。
そういう時は自分の中の痛みや辛さを基準にしますから、相手がいくら良いサインを送ってきていても、心の中で変換するときに相手が思っているのとは違う答えを出していて、「じゃあ私は無理ね、さようなら。」みたいな極端な事をおこしてしまう事さえあります。
そう、体験的な話・・・です。
 じゃあ、ここをどう解決して乗り越えるか。これがとっても大切な課題なわけなのですが、鍵は自分だけを見ないことに尽きます。
そう、相手を見てあげること、感じてあげること。でもね、時には(いや、しょっちゅうかな)思うんです、「いつも私(僕)ばかりがしてるんじゃないっ!?」てね。本当に自分だけがそうしているのかしら?とは思わないで、これもまた自分のしていることだけを見ているわけです。
彼(彼女)なりにしてくれていることを見ていないのかもしれません。もしくは、あなたの思わない方法で伝えてくれているのかもしれません。そう、伝わらないとき、と言うのはお互いが自分の手段や方法にはまっている時が多いのじゃないかと思います(これも体験的に)。
 たとえば・・・男性に多いな、と感じているのは、極端に言えば「お城を造ってから迎えに行くぞ!」みたいなやり方で、行くと決めているんだから待ってほしいと思っていて、でもそれがいつにになるかはわからないし言えない。あるいは待ってほしいとさえ言えない人もいる気がします。
一方の女性は
この状況を待てないと感じている人も多く、「何時まで待てばいいのよ!」「待っているうちにおばあさんになってしまいそう」「本当に来てくれるのかしら」と感じていると言うこと。これでは行き違って当たり前です。
こういう時に前述の贈り物をもらったとしたら、そのサプライズにぴっくりしてそれから大喜びすることは考えられますけど、受け取る側の気持ちの持ち方によっては心底喜べないかもしれません。
 『星の王子さま』のお話の中で、きつねは王子様にこう言います。
 「君が来てくれるのなら時間を決めてほしいんだ。四時なら四時、とね。なら僕は三時から楽しみにして良い気分で君を待てる。」
 たとえば待つ、と言うことで言えばこんな風にちょっとだけ丁寧なコミュニケーションで、待つ方の気持ちも変わります。
でも、「自分の条件が整ったとき」をその時にしているのなら、何か解かりやすくしてあげないと、待ちくたびれてしまいますね。ただ、待ちくたびれた時のサプライズを狙っている人も多い、とは思うんだけど。サプライズは素敵です。
大好きです。
その意味では同僚の先輩は素晴らしいセンスの持ち主だと思いますし、私自身もそう言うことを考えるのはとっても楽しいし、大好きなんだけど、時々そのために隠されている何かにいらいらした事を思い出したりするのです、サンタが来るのを待ち構えていたあの日のように。
 クリスマスに、思い通りのプレゼントがもらえたことはありますか?もらえなかったことはありますか?受け取れるはずのプレゼントをもらい損なった事はないでしょうか。渡せなかったことは?そんなことがもしあったのなら・・・その贈り物の行き先を考えてみる機会を持つのもいいかもしれません、次のチャンスのために。
 クリスマスです。
人はいつも愛を感じられる生き物ですが、誰かに与えることも大好きだとも思います。
誰かに「何か」を贈ることが自分への贈り物にもなっている、そんな気持ちをもう一度感じる季節にしたい、と今年の私は思っています。

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