●白く清く流れゆけ

 縁の深い合唱団の定期演奏会を聴きに行った。
 それは高校の合唱部で、しかも、最後の演奏会だった。
 少子化が進む中、地方の高校は生徒数が減って合併を余儀なくされている。
そうした影響を受け、高校そのものが吸収されてしまうため、毎年春、途切
れることなく続いてきた演奏会が幕を閉じることになったのだ。
 高校がなくなるということは、高校生だけでなく、卒業生にとっても帰る
家がなくなることを意味する。
 ステージには、在校生と共に、合唱部の卒業生の姿もあった。最初で最後の
合同ステージにもなったのだ。
 演奏会は、最初の1曲から、いつもと違う雰囲気があった。
 それは少しずつ、そして確実に、歌い手の思いをのせて大きくなっていき、
休憩前の前半のステージの最後の曲で、早くも、僕の心を激しく揺さぶるほど
感動的な歌声となって響いた。
 それをもう一度、新しいサイクルでさらに大きく昇って行けるように、後半
ステージの最初は、コミカルなステージで笑いをとり、最終ステージ、そして
フィナーレへと流れていった。
 僕は、長い間、こうした環境で歌を歌ってきた経験から、「歌は心を癒す」と
いうことを実感してきた。
 そのおかげで、カウンセリングの中で歌を歌うことを思いつき、実際に歌わせて
もらえる機会を重ねる事で、その効果が高いことを知った。それは、必要のない時に
歌っても意味がないことを教えていただくことでもあった。
 
 今回の演奏会は、いったい歌の何が心を癒すのか、その理由を改めて思い知
らされた貴重なものになった。
 
 音楽という芸術を極めることは、実のところ、悟りの境地を追求することと
同じで、いわゆる芸術家の方々を、だから僕はとても尊敬している。
 それとは、ある意味違った状況で、人の心を感動させる歌がある。
 草原で、咲いた野花を積みながら、思わず口にする歌
 卒業式に花束とともに贈る歌、入学式に桜の下で歌う歌
 結婚式に涙の中で、とぎれとぎれに歌う歌。
 僕たちは、実は、日常の中で たくさんの人の心を揺さぶる歌に触れている、
そして自ら歌っている。
 
 歌に込めた「思い」こそ、人を感動させ、そして、人を癒す源なのだ。
 こんな当たり前のことを、僕はなんだか忘れていたような気がした。
 そして、もう一度、自分の心に思い出すことができた。
 
 演奏が終わって感じたのは、そのことだった。
 長くこの合唱部を指導してきた指揮者は、僕の恩師であり仲間である先生
だった。
 芸術の本質をつかむ感覚でもって、いつもどおり、完璧に計算されたステージ
構成と演出で作られたステージだったけれど、
ただひとつ、誤算があったとしたら、それは、シャイなために普段は努めて
隠そうとしている「溢れんばかりの温かい愛」が、いつも以上に全面に出て
しまったということだろう。
 それは、僕が想像していた以上に大きく強く温かで、歌い手の思いと
相まって高く高く昇っていき、会場中を包んでいった。
 この合唱部は、合併後は、新しい高校の合唱部として活動を開始するという。
 これは終わりではなく始まりなのだ。
 これからも素敵な歌を聴かせてくださいとアンケートに書いて、会場を後にした。
池尾昌紀のプロフィールへ>>>

この記事を書いたカウンセラー

About Author

名古屋を軸に東京・大阪・福岡でカウンセリング・講座講師を担当。男女関係の修復を中心に、仕事、自己価値UP等幅広いジャンルを扱う。 「親しみやすさ・安心感」と「心理分析の鋭さ・問題解決の提案力」を兼ね備えると評され、年間300件以上、10年以上で5千件超のカウンセリング実績持つ実践派。