もう10年も前、1997年の夏にローマに一人旅に行った時に、思い立っ
てローマ郊外の片田舎にあるボマルツォという町まで足を伸ばした。そこには、
怪獣庭園(il parco dei mostri)と呼ばれる不思議な場所があったからである。
この庭園は、聖なる森とも言われ、400年ほど前に、この辺りの領主が作
ったものらしいが、なぜこんな名前がつけられているかといえば、たくさんの
大きな石像や彫刻が自然の中に点在し、その一つひとつが、実に奇妙な不思議
なもので構成されているからだ。
スフインクスを思わせる半身獣、二人の巨人像、羽のついた人魚にもみえる
女性像、巨大な亀、ドラゴン、ゾウ、そして、庭園を象徴する、人が入れるほ
ど大きな口をあけた巨大な顔。文字通り巨大なモニュメントの怪物達に囲まれ
た庭園。
園内には、わざわざ傾けて建てたとしか思えない「傾いた家」もあり、そこに
踏み込めば、まるで異空間に立ったような錯覚を覚えるほどだった。
この庭園が何の意図で作られたのかは、未だにわかっていないらしいが、僕
が言った当時、次のような話を何かの本で読んだ記憶がある。
「これを作った領主は、大変醜い男だったが、ある時、美しい女性と結婚する
ことになった。その女性に自分の醜さを感じさせないよう、奇妙な庭園を作っ
たのだ」と。
これが本当の話かどうかはわからないので、誰かが後から勝手に作った物語
なのかもしれないが、そんな話を、なるほどと思わせるほど奇妙な庭園だった
のだ。
この庭園に入った時は、あまりにも不思議な世界が楽しくて、はしゃいであ
らゆるところを歩き回った。写真をたくさん撮りながら、まるで探検している
ような小さい子どもになったワクワクした気分で進んでいったのだ。
庭園の最後に少し丘になった場所があり、そこにあがると、今まで森の中に
いたような場所から、視界が開け、広くこの辺りが見渡せる景色が広がる。
そして、丘に、ぽつんと全く普通の小さな礼拝堂が建っていた。
それまでが奇妙な世界だっただけに、それは、広がる緑の景色と相まってと
ても美しく見えた。
その時、何故か急に、僕は悲しくなった。そして神聖な気持ちになった。
もし、領主が庭園を作った理由が自分の醜さを妻に感じさせない物語だった
としたら、その男はどんな気持ちでこの庭園にいたのだろう。
突然、厳粛な気持ちになった僕は、この庭園を築いた領主に敬意を込めて、
礼拝堂に祈った。
今、手元のアルバムのページをめくりながら、改めて思う。
こんな庭園まで作った領主は、本当に妻を愛していたのではないかと。
こんな庭園まで作ってくれた夫を、妻は愛していたのではないかと。
後になって、実は、領主は、この庭園が完成前に亡くなっていたという話も
聞いた。やっぱり、この物語は、物語でしかなかったのかもしれない。
けれど、あの時、僕が感じた神聖な気持ちは、長い時が経った今も忘れられ
ない。
さて、ローマに旅行のついでに、と書いたけれど、この「聖なる森」は、本
当に、本当に郊外の田舎にあるので、行くのに大変な苦労をした。
それを象徴するような出来事が、この森を後にしてバスでローマに戻る時に
あり、それもあって僕の中でこの旅は忘れられないものになったのだが、長い
コラムになってしまったので、そのエピソードは次回に。
10年経った今も、あの森は、きっと聖なるままなのだろう。
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