少し気が早いかもしれませんが、もうすぐクリスマスがやってきますね。
クリスマスの思い出というと、クリスマスプレゼントにまつわる思い出もあるでしょうか。そのプレゼントにはどんな思いがこめられたいたのでしょうか。
私は小さい頃から、両親らからもらった物を見ていると、なぜか切ない気持ちになってしまい、なんだか泣きたくなることが多かったように思います。
そしてもらった物だけではなく、よく色々な「物」に執着していました。
どうしてかなあと、ずっと不思議に思っていたのですが、心理学を学び始めて、カウンセリングサービスの母体である神戸メンタルサービスのヒーリングワークに参加するようになり、たくさんのセッションを見せていただいている間に、ああ、これなのかなあと思い当たることがありました。
人が、子どもを愛したいと思うとき、パートナーを愛したいと思うとき、その「愛し方がわからない」ということがあるようです。
愛し方のモデルをもっていなかったり、自分をひどく扱っていてこんな自分の愛を受け取ってもらえる訳がないと感じていたりして。
そんな時、物やお金に思いをこめることがあるようです。
どうしていいかわからないけれど愛したい思い、届けたい思い、大切な人を包みたい思いを、あったかい言葉にすることもできず、肌に触れなでてあげたり抱きしめてあげたりすることもできず、やさしい笑顔に表すこともできないまま、静かに、只、物にこめていくことがあるのかもしれません。
そんな、あふれるばかりの思いがこめられた物が、ぶっきらぼうに置かれている。
そこに、ストレートに愛を伝えられない不器用な親たちの切ない思いを感じて、私は泣きたくなっていたのかなあと思います。
私の父も母も、赤ちゃんのうちに同性の親を亡くしていて、それぞれ父や母のモデルをもっていなかったのかもしれません。もしかすると自分を産んだために親が亡くなったと誤解して、自分をひどく扱い続けてもいたのかもしれません。そんな二人は、父が療養していて子どもをつくれなかった20代を過ごした後、30代になってようやく生まれてきた私や弟を、どれほど宝物のように思い愛そうとしたか、今の私には十分想像することができます。
でも、二人とも、子どもたちをどう愛していいかわからずに戸惑っていたのではないかとも思うのです。
そんな両親からは、色んな物が不器用に私たち子どもの前に差し出されてきたのかもしれません。物のない戦争中に育った両親なので、物を子どもに与えられるだけでも親として嬉しかったかもしれませんね。
それなのに、物を通して親子の気持ちのつながりが捻れてしまった、二つの切ない光景が今も思い出されます。
一つは・・・単に私がわがままだったせいか、親子のコミュニケーションがうまくいっていなかったせいなのかわかりませんが、ある日、母が「かわいらしすぎて当時の私には受け取れなかったと思われる柄」のポーチを買ってきてくれたときのこと。私の文句がエスカレートしてケンカになり、私は激しく泣き叫び、母も泣かせてしまいました。
挙句の果て、その小物は外に投げ捨てられ、雨に濡れて転がっていました。
このケンカは、お互いにわかってもらえない気持ちのぶつかり合いだったようです。
ポーチに母の私への気持ちがこもっていることはケンカの最中も十分感じていたので、雨に濡れるポーチは一際悲しく私の目に映りました。
その後、落ち着いてから拾ってきて長い間使うことになったのですが。
もう一つは、弟が父に買ってもらったミキサー車のおもちゃにまつわる光景です。
とってもおもしろいおもちゃで弟は大喜びで庭の砂を入れては出す遊びに何日間も熱中していました。
でも、その遊び方が父の気に入らなかったみたいです。
戦争中志願して入隊したような人ですから、木刀を振り回しているような男の子を望んだのかもしれません。父は突然怒り出し、そのおもちゃを蹴り飛ばして壊してしまったのです。
砂の上に無残に転がる壊れたおもちゃ。そばにはもう弟の姿もなく。後日悪かったと思った父がより高性能なものを買い直して来たのですが、どんなになだめても、弟がそれで遊ぶことはもうありませんでした。
どちらも、物にこめられた愛をうまく与え切れなかった、受け取りきれなかった、そして、もしかしたら愛やつながりが捻れてしまった。そんな場面だったのかもしれません。行き場を失った愛が泣いているようです。
かわいいポーチにかわいい女の子の私を見て買って来てくれた母。父のくれたおもちゃで遊び、父の愛を感じて喜んでいた弟。そんなふうに愛の部分をちゃんと見て、感じて、受け取ることができていたら、私や父は、母や弟を責めずにすんでいたと思います。
そして、物に愛をこめるだけではなく、感じて、話して、触れて、見つめて・・・「いろんな方法で気持ちを伝えることができたらよかったんだなぁ・・・」と気付いた時から、私の物への執着心は薄らいでいきました。
クリスマスやお正月、プレゼントやお年玉が交わされることの多いこのシーズンを前に、私はこれからも、物にこめられた人々の思いや愛を感じて、いっぱい受け取っていきたいし、そればかりではなく色々なコミュニケーションを大切にしていきたい、そんなことを思い返しています。