●心の性転換手術をして 〜美しくなりたい!〜

私が就職をした頃は、バブルの終末期の時代でした。
それでなくとも飲み会の多い医療業界。
就職して、右も左もわからない新人の私は、
“郷に入れば郷に従え”とばかりに、
誘われるままに先輩や先生達について回ってました。
神戸は三宮、翌日が休みの日は、大阪まで出て、北に南に新地に。
そんな中、今でも忘れないお店があります。
それは、ショータイムがあって、割り箸にお札が挟まれ、
ショーが終わると、それをプレゼントする光景のあるお店。
(これって、今でもあるのでしょうか?)
そう、今で言う「どんだけ〜。いかほど〜。」というフレーズで、
元気を下さる系のお店です。
当時、キョロキョロしながら、初めての店での会話に困っていた私に、
お姉さん?は話かけて下さったのです。
「ねえねえ、あなた。このパンスト何デニール?」
(女性の冬にはくパンストの厚さを表すのが、デニール。
 その年の冬は、その厚さ具合が流行になりました。

そう、業界のお姉さん達は、『女性が美しくなる事』に関しての流行と情報は、ピカイチ!!
私は、・・・
いきなり始まったこの一言に驚き、どう反応していいのかわからず、
はたまた、「何デニールってなによ?!」と聞かれた内容がわからず、
引きつりながら、にやっと笑うしか出来ず、
それからも会話についていけなかったことを覚えています。
でも、その普段では感じられない刺激とテンションの高い楽しさ、
一体、あのお姉さんは何者なの?っていう印象が、今でも忘れられずにいます。
それから覚えているのは、その時『男性にさえ負けた〜』って感じがしたのです。
そう当時の私は、すでに人生負けだらけ、
私って良い事なし女だって心から信じ、不幸を引き起こし続けている真っ最中だったんです。
その後、私は、カウンセリングを受けることになるわけです。
そして、そのカウンセリングで、私がこんなに衝撃を受けたワケが判明されました。
私は、二人姉妹の姉。
よく、母から聞かされて育ったのが、
「本当はお父さんは、男の子が欲しかったの。
 だから、あなたをあんまり抱っこしなかったでしょ。」
「あなたは、長女なんだから、将来は、この家と私達親をみるのよ。」
「あなたには、妹がいるんだから、私立の学校や塾なんて行けないのよ。」
と、こんな感じ。
まるで長男が言われやすいフレーズを受け続け、家を背負い、親を背負い、
進学するのも就職するのも場所を選び親に相談し、親の反応を気にし、
親の思い通りに生きる人生を生きていました。
母がどうして、こんな事を言っていたのか、カウンセリングを受けて、
初めて母の痛みを理解する事ができ、両親を許す事ができたけど、
それはそれは時間がかかりました。
ただ、私の心は、一家の長男のような感じで、育ちあがっていたので、
私の考え方も、しぐさも、人間関係のあり方も全て男性的。
父との関係や会話は、どうやら男と男。
今でも、ついつい、そんなモードになりがち・・・(泣)
父も、長女(長男)としての品格や責任感を懇々と教えて来た人でした。
そんな私が、男性に、肉体的に女性として扱われても、
何故か心は満たされていなかったような感じがします。
それは、自分が、女性としての肉体を、頭で理解して女性として表現しても、
心のレベルで、男性として生きようとしていた矛盾から、
たくさんの問題を持っていたようです。
カウンセリングを受けて、どうやら心の性転換手術を受けたような感じです。
ここ数年は、やっと女性として生きることに、少しづつ楽しさを感じることが
出来るようになってきました。
そして、私の元に訪れて下さる中に、同じ問題を見つけた時、
「さあ、心の性転換手術をしましょうね」
と声をかけられるようになりました。
女性としての美しさ。
心も肉体も両方美しくなりたい。
女性としてのオーラを心から発した人になりたい!!
それが、2008年に向かう想いです。
実は、このコラムが皆さまに発信される今日12月18日は私の誕生日。
女性として、この世に生を受け誕生した今日、
もう一度、女性として生まれてきた事の意味を受け入れ、
もっともっと女性だからこそという楽しみや、女性だからこそ出来る事を、
自分に許可し、自分の美を探求して行きたいって思ってます。
そんな楽しみを知っている方々、私にぜひ教えてくださいね。
そうそう、女性の美を探究し続けている、あのお姉さん達にも、
教えていただきに行きたいものです。
今度は、自らの選択でね。
今、あの場所は、どんなふうになっているのでしょう?
「懐かしい」というフレーズが、増える歳になりました〜

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