私が就職をした頃は、バブルの終末期の時代でした。
それでなくとも飲み会の多い医療業界。
就職して、右も左もわからない新人の私は、
“郷に入れば郷に従え”とばかりに、
誘われるままに先輩や先生達について回ってました。
神戸は三宮、翌日が休みの日は、大阪まで出て、北に南に新地に。
そんな中、今でも忘れないお店があります。
それは、ショータイムがあって、割り箸にお札が挟まれ、
ショーが終わると、それをプレゼントする光景のあるお店。
(これって、今でもあるのでしょうか?)
そう、今で言う「どんだけ〜。いかほど〜。」というフレーズで、
元気を下さる系のお店です。
当時、キョロキョロしながら、初めての店での会話に困っていた私に、
お姉さん?は話かけて下さったのです。
「ねえねえ、あなた。このパンスト何デニール?」
(女性の冬にはくパンストの厚さを表すのが、デニール。
その年の冬は、その厚さ具合が流行になりました。
)
そう、業界のお姉さん達は、『女性が美しくなる事』に関しての流行と情報は、ピカイチ!!
私は、・・・
いきなり始まったこの一言に驚き、どう反応していいのかわからず、
はたまた、「何デニールってなによ?!」と聞かれた内容がわからず、
引きつりながら、にやっと笑うしか出来ず、
それからも会話についていけなかったことを覚えています。
でも、その普段では感じられない刺激とテンションの高い楽しさ、
一体、あのお姉さんは何者なの?っていう印象が、今でも忘れられずにいます。
それから覚えているのは、その時『男性にさえ負けた〜』って感じがしたのです。
そう当時の私は、すでに人生負けだらけ、
私って良い事なし女だって心から信じ、不幸を引き起こし続けている真っ最中だったんです。
その後、私は、カウンセリングを受けることになるわけです。
そして、そのカウンセリングで、私がこんなに衝撃を受けたワケが判明されました。
私は、二人姉妹の姉。
よく、母から聞かされて育ったのが、
「本当はお父さんは、男の子が欲しかったの。
だから、あなたをあんまり抱っこしなかったでしょ。」
「あなたは、長女なんだから、将来は、この家と私達親をみるのよ。」
「あなたには、妹がいるんだから、私立の学校や塾なんて行けないのよ。」
と、こんな感じ。
まるで長男が言われやすいフレーズを受け続け、家を背負い、親を背負い、
進学するのも就職するのも場所を選び親に相談し、親の反応を気にし、
親の思い通りに生きる人生を生きていました。
母がどうして、こんな事を言っていたのか、カウンセリングを受けて、
初めて母の痛みを理解する事ができ、両親を許す事ができたけど、
それはそれは時間がかかりました。
ただ、私の心は、一家の長男のような感じで、育ちあがっていたので、
私の考え方も、しぐさも、人間関係のあり方も全て男性的。
父との関係や会話は、どうやら男と男。
今でも、ついつい、そんなモードになりがち・・・(泣)
父も、長女(長男)としての品格や責任感を懇々と教えて来た人でした。
そんな私が、男性に、肉体的に女性として扱われても、
何故か心は満たされていなかったような感じがします。
それは、自分が、女性としての肉体を、頭で理解して女性として表現しても、
心のレベルで、男性として生きようとしていた矛盾から、
たくさんの問題を持っていたようです。
カウンセリングを受けて、どうやら心の性転換手術を受けたような感じです。
ここ数年は、やっと女性として生きることに、少しづつ楽しさを感じることが
出来るようになってきました。
そして、私の元に訪れて下さる中に、同じ問題を見つけた時、
「さあ、心の性転換手術をしましょうね」
と声をかけられるようになりました。
女性としての美しさ。
心も肉体も両方美しくなりたい。
女性としてのオーラを心から発した人になりたい!!
それが、2008年に向かう想いです。
実は、このコラムが皆さまに発信される今日12月18日は私の誕生日。
女性として、この世に生を受け誕生した今日、
もう一度、女性として生まれてきた事の意味を受け入れ、
もっともっと女性だからこそという楽しみや、女性だからこそ出来る事を、
自分に許可し、自分の美を探求して行きたいって思ってます。
そんな楽しみを知っている方々、私にぜひ教えてくださいね。
そうそう、女性の美を探究し続けている、あのお姉さん達にも、
教えていただきに行きたいものです。
今度は、自らの選択でね。
今、あの場所は、どんなふうになっているのでしょう?
「懐かしい」というフレーズが、増える歳になりました〜