両親の夫婦喧嘩で学んだこと ~癒着を手放す~ 

ワタクシの実家は食堂を営んでおります。
両親はその昔、父が経営していたお店に母がアルバイトとして入ったことをきっかけに結婚。それから40年近いこれまでの歳月、業態を何度か変更したものの今は食堂に落ち着き、家族経営の小さなお店をずっと続けています。
自宅兼職場の小さな空間に24時間一緒にいる父と母は、「チャーミーグリーンのようなラブラブカップル」(例えが古いですね)というわけではないけれど、口も利かないくらい険悪というわけでもない。でも、夫婦喧嘩は日常茶飯事で、時々は食器が飛び交い、夜中に大声が響き渡ることもある。そんな、下町にありがちな夫婦でした。
今から2年前のある日、私が職場から家に帰ると、不穏な空気が家中に充満していました。
夫婦喧嘩はいつものことだけど、その日は少し様子が違うようだったので、とりあえず、(いつものように)喧嘩して興奮している2人の間に入り、話を聞くことにしました。
話を要約すると「この不景気の中、もっとがんばらなきゃだめなのに、母が協力的ではない」と、父の怒りが爆発した様子。 その中で「店をたたむ」「生か死か」という話にまでなり、それが不穏な空気の正体のようでした。
話すうちにどんどん感情的になり、激高する父。
父の怒りが収まるのをダンマリを続けて待つ母。
2人の間に入りながら、父の、「一人でいろんな経営判断をしなければならない。女3人、男1人の家族で、誰にも認めてもらえない孤独。」母の「無力感と、失敗したらどうしよう、という恐怖感や変化への恐れ。怖くて動けない」というような感情が勝手に私に流れ込んできました。
そして、私自身は、「小さいときからこうやって親の喧嘩の仲裁してたな・・・。」「両親が喧嘩するのは2人の問題で、私がいくら仲裁しても2人が喧嘩をするのは、私が失敗してたわけじゃなかったんだな・・・。」「夫婦喧嘩は犬も食わない、っていうけど、子供が食べてもだめなものだったんだなぁ・・・」というようなことを感じていました。
その日は3人で話し合い、「みんなで協力しあっていこうよ」と、納得しあって終了。私は会社勤めだったので、PCでのメニュー作りなど外部的なサポートをすることに。
翌日の営業終了後もまた3人で話したものの、前日よりは穏やかな雰囲気でした。
当たり前のことなのですが、父も母も私も、別々の人間。
父と母の関係性
父と私との関係性
母と私との関係性
父と母と私の関係性
は、それぞれ似ているけど違って当たり前だし、
なにより、「父と母の問題は私自身の問題ではない。」
そのことが、感覚的に、でもはっきりと理解できた夜でした。
それまで、家族の中の関係性はとっても近くて、その為に境目がわからず、私自身の中でごちゃごちゃになっていました。
「境目がわからず、ごちゃごちゃしてしまって何もうまくいかない」
これは、私のパターンのひとつでした。
例えば仕事では、「どこまでやっていいのか」がわからず、人の分まで奪ってしまいどんどん仕事が増えて終わらなくなる。 → 仕事の質が下がる → 評価が下がる → 自分を責めてもっとハードワークをしてしまう
例えば人間関係では、友人の問題を自分の問題として解決しようとしてアレコレ指図したり、自分で引き受けてしまう → なぜかうまくいかなかったり、友人から恨みを買う結果になってしまったりしてしまう。
例えば恋愛では、彼の人生=自分の人生になってしまう。 → 彼氏が自分と同じ行動・考えをしてくれないことに怒る、不安になる → 破局 ・・・・
この状態を「癒着」というのだと、心理学で習いました。
そして、「癒着は手放す」と、問題が解決するのだとも。
家族は、それぞれ別の人間なんだ、そう認識することが、私にとって手放しになったようです。
3ヵ月後、私は自宅暮らしをやめて職場近くで一人暮らしを始めました。
そのときは、仕事が忙しすぎて通勤の時間がもったいない、というのが理由だったんですが(仕事が忙しすぎた理由は上述の通り)、心の中で両親との境目ができ、距離が取れるようになって、物理的にも距離をとりたくなったのだと思います。
両親とくっついている人生よりも、自分自身の人生を歩み始めたくなった、と言うと、カッコつけすぎかもしれませんが、以前よりもずっと「距離」の取り方が上手になったことで、今の自分が生きやすくなったことは確かなのです。
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