簡単に答えられない簡単な質問

娘が6ヶ月になりました。
離乳食が始まり、フンガフンガ言いながらスプーンに食いつく娘を見て、「ウチの娘だなぁ」「大きくなったんだなぁ」と、しみじみと喜びをかみしめています。
そのうち自分で食べるようになったり、歩き出したり、話し出したりしたら、どんなにうれしくてかわいいのかと、想像するだけでもニマ~ンとしてしまいます。
しかしながら、実際には自分で食べ出すとなかなか大変らしいですし、話し出すと何でも「いや!」しか言わなかったり「なんで?」「どうして?」と質問攻めにあったりと、大変なことも少なくないと聞いています。
その時を迎えると大変に感じることもあるでしょうが、今は、それさえも楽しみなのであります。
そして、質問攻めにあっても困らないようにするべく、今から備えをしているのであります。
これを読んでくださっている方の中には、気が早いと思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。
確かに、まだまだ先の話です。
だけど、僕にとっては決して早くはないのです。
それはどうしてかというと、聞かれた時に答えられない質問というのがいっぱいあるからなのです。
例えば、娘が遊ぶのに夢中で寝ようとしない状況があったとします。
その時、僕はこう言うでしょう。
「もう夜遅いから早く寝なさい」
すると、娘に聞かれるわけです。
「どうして夜遅いと寝なきゃいけないの?」
僕は答えます。
「寝るのが遅くなると、明日の朝起きれなくなるからだよ。」
その答えを聞いて、こんなふうに聞かれるかもしれません。
「何で朝起きなきゃいけないの?」
ここらあたりから怪しくなってくるのです。
朝起きなきゃいけない理由。
仕事や学校に行くわけでもなく、やらなきゃいけないことがあるわけでもない子供にとって、朝に起きなければいけない理由。
休みの日は昼までゴロゴロ寝ている自分を省みると、ますますわからなくなるし、答えられなくなってしまうのです。
もっとも、全ての質問に明確に答えられなければいけないわけではないですし、子供と一緒に「なんでだろうね?」「なんでだと思う?」とその答えを探してみればいいんだと思うんですけどね。
このように、一見簡単そうに見えるけれど、僕にとっては簡単に答えられない質問がたくさんあるのです。
それは、娘が成長していくほどに、増えてくるでしょう。
「どうして勉強しなくちゃいけないの?」
「なんで学校に行かなきゃいけないの?」
「どうして働かなくちゃいけないの?」
時には人生につまづき、こんなことを聞かれることがあるかもしれません。
「生きるって何? 生きるってどういうこと?」
わかっているようでわかってなくて、簡単なようで簡単に答えられない、そんな質問がたくさんあるのです。
ちなみに、あなたならこれらの質問に何と答えますか??
そんなよくわからない難しいことを考えるよりも、もっと楽で簡単で楽しいことが世の中にはたくさんあります。
これらの答えがはっきりしていなくても、これらの答えを探さなくても、日常生活にはそれほど支障をきたさないでしょう。
忙しい毎日の中で、こんなことを考えていることのほうが支障となってしまうかもしれません。
でも。
僕にとっては、なんとなくそのままにしておいたり、そのまま流してしまうことができません。
なぜなら。
少々大袈裟かもしれませんが、「なんで?」「どうして?」という問いは、それが素朴なものであるほど、自分の本質的な部分から発せられる問いであり、その答えを探すことは、自分を知ることだと思うのです。
その答えを見つけることは、自分の本質に触れることであり、自分らしく生きるのに、とても大事だと思うのです。
そう思うと、将来娘が発するであろう「なんで?」「どうして?」の1つ1つを、大切にしてあげたいという気持ちになってくるのです。
そのためには、まずは自分の「なんで?」「どうして?」を大切にするところから始めましょうかね。

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