お盆の時期、普段忘れてしまいがちなご先祖様のことを考えた方も多いのではないでしょうか。
この間親戚が集まった時に、母方の祖母の実家の話になりました。
母からその家が岩手県にあることだけは聞いていましたが、具体的なことは母も覚えていませんでした。
ところが、母の実家を継いだ叔父は今でも連絡を取り合っているそうで、必要があれば紹介すると言ってくれました。
「ご先祖様探し」がしたかったわけではないのですが、ふとした会話から自分のルーツをたどる術がみつかりました。
知りたいことを口に出して聞いてみると、意外にあっさり解決することもあるようです。
実は、岩手県とはご縁があって、15年ほど前から年に数回訪れ続けてきた場所があります。
その場所は、昨年6月の岩手・宮城内陸地震の震源地近く、一関市のとある農村地区にあります。
長年通い続けて、地元の皆さんとはすっかり親しくなりました。
ありがたいことに、いろいろ教えていただいている古老の方々には、まるで孫のようにかわいがっていただいています。
今では私にとって第二の故郷のような場所です。
祖母の実家は、なんとその場所のすぐ近くにありました。
これまで第二の故郷でほっと落ち着くのは、自然の豊かさゆえだと思っていました。
自分に関わりがあると知ると、更に親近感が増してくるから不思議なものです。
もしDNAに記憶があるのならば、その記憶が懐かしさを感じているのかもしれないなどと考え、居心地のよさが妙に納得できたのでした。
数年前からその第二の故郷で人力による田植え・稲刈りを体験しています。
最初のころは慣れない農作業で、たどたどしい足どりは地元の皆さんも大笑いするほどでした。
実際に経験してみるとわかると思いますが、田んぼの中をまっすぐ歩くことは結構難しいのです。
最近はようやくコツがわかってきて、周りの景色をみる余裕も出てきました。
今年は5月に田植えをしました。
裸足で田んぼに入り、泥の感触を楽しんできました。
同じ一枚の田んぼの中でも、サラサラとした泥のところ、膝まで埋もれてしまう泥の深いところ、小石がいくつも混じっていて歩くとゴツゴツするところなど、たくさんの表情がありました。
そして、土の状態だけではなく、用水路から水を取り入れる水口近くは水温が低いこと、陽が落ちると真っ先に日陰になるところは急に温度が下がることなども体感してきました。
もしこれらの環境が稲たちに影響するとしたら、と想像してみました。
水口近くの稲たちは冷たさに耐えて我慢強く、日当たりがよく水が温んだ地点の稲たちは大らかにのびのびと、そんな育ち方の違いをするのでしょうか。夏になると、すっかり成長した稲たちはそれぞれの背丈も異なり、緑の濃さも一様ではありません。稲穂が実る頃には、一株の稲の中でも実の入り方に差異が出ていることでしょう。
こうしてみると、一枚の田んぼの中にも小さな宇宙があるような気がします。
厳密に味わえば、お米一粒にも個性があって、それぞれ味が違うのでしょう。ひとりひとりが違う私たちと同じなのかもしれません。
お米たちが同じお釜で炊かれたら、水分をもっているものがみずみずしさを出し、粘りをもっているものが粘り気を出し、お互いを補いあいながら、それぞれの味をひきたてあって一膳のご飯になっていくのでしょう。たぶんお米たちは「アイツの方がオレより艶々している」と比べたり「ワタシには甘味が足りない」と嘆いたりすることはしないのだろうと思います。
人間関係でも、お互いが得意な部分で能力を発揮して、苦手な部分を助けあえたら、一膳のご飯のような調和がとれるのかもしれません。
今年の収穫は、来月末ごろを予定しています。
田んぼの中の小さな宇宙は、秋には何を気づかせてくれるのでしょう。元気なお米に育ってくれますように。
稲刈りの時に都合がつけば、祖母の実家も訪問してみようかと思っています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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