心と体。これって別々のものだと思いますか?それともひとつのものだと思いますか?はっきりとした答えはないのかもしれませんが、私はこの頃、自分の心と体はひとつのものだという実感を持つようになりました。
以前は、心と体が別々のもののように感じていました。
そうとは意識していませんでしたが、例えば、心はがんばろうと思うのに、体が動いてくれない、悔しい、情けない、そんなことを何千回となく思った日々がありました。
がんばれないのは、うまくいかないのは、この体のせい、と体を責めていました。
同時に、でもやっぱり体をうまく動かせない心が悪いんじゃない?という疑念もあって、心も責めていました。
また、体に嫌悪感を感じていました。
体って当然のごとく汗もかくし、排せつもする。欲しくはない脂肪だってつくし、顔にはシワもシミもできる。入浴しなければ汚れて臭う。ニンニクでも食べればかなりの口臭がする。げっぷも出る。体調が悪い時は吐き戻すこともある。そういった生理的な体の反応すべてに対して、何か「汚い」という感覚がありました。
赤ちゃんや幼い子どもは肌もつるつるしててキレイですが、大人になるにつれて、年をとるにつれて、体全体がどんどん汚(けが)れていく・・・そんなふうにも感じていたように思います。
ですから、大人になることへの拒否感も持っていましたね。
さらに、どこか自分に生身感がありませんでした。
体で生きてる実感がイマイチないというか。自分のことをサイボーグのように感じていました。
『サイボーグ』ってところが我ながら笑ってしまうんですが・・・。『ロボット』より若干は生きてる感があったんですかね~。
ともかく、そのせいだと思いますが、体を大切にしようという気が起きませんでした。
頭では、理屈はわかってはいました。
体をケアすることは大切なことだと。気持ちのコンディションにも影響しますしね。でも、体のケアをすることにあまりやる気を感じられなくて、がんばってやっていても、ムダなことをしているような、無意味な感じをよく感じていました。
今は自分の体に生身感がちゃんとあります。
ふわふわとさまよっていた魂が、体にすとんと入ったような感じです。
心と体が切り離せないひとつのもののような感覚を持てます。
カウンセリングの勉強を通して自分と深く向き合うという作業を繰り返す中で、数年をかけて変わってきたのだと思いますが、はっきりと変化を感じることができるのはここ1年ほどでしょうか。
そして生身感を実感できるようになると同時に、私は自分の体を愛おしく思うようになりました。
頭の先から足の先まで、体のすべての部分が、細胞のひとつひとつまでもが、一生懸命生きているのを感じるのです。
私の体で、生命のダイナミックな営みが絶え間なく繰り広げられているんだ、すごい!、その営みの中で、私の心も生きているんだ、って。
自分の体が愛おしくなると、体に対する嫌悪感を感じなくなってきました。
自分の体が汚(けが)れているという感じもなくなりました。
体のたるみやら、顔のシミやシワなども、生きてきた証のように思えて、妙に愛おしいのです。
自分の体を愛おしいと思えるようになってから、『自分を愛する』ということがとてもしっくりくるようになりました。
思えば、6年ほど前にカウンセリングを受け始めた頃は(かつては自分がクライアントの側だったのです)、「心だけでもラクになりたい」という思いがありました。
体も調子が悪かったのですが、心と体を別々に考えていたので、そういう発想だったのでしょう。そして、カウンセリングを数回重ねた頃、心の変化はまだよくわからなかったのですが、体がとてもラクになっていることに気付いて驚きました。
そんな経験もしているのに、心と体が分離している感覚はその後も長い間あったわけで、私にとってはなかなかに手強い課題だったということなのでしょう。
自分で言うのも何ですが、心も体も年相応にいい感じで成熟していることをこの頃感じます。
今年は40代に突入ですが、「年増の魅力を発揮するわよ~!」なんて思う今日この頃です。