トトロに隠れていた思わぬ執着

3ヶ月ほど前の話。
甥っ子が3歳の誕生日を迎えようとしていました。
喜怒哀楽も豊かに表現するし、好みもハッキリしてきて、何をもらったら嬉しいのか、何が好きなのか、本人も周りもよく分かっている感じ。
こんなに自分の気持ちがハッキリと言えて、表現することが出来たら、いろんなものを手にすることが出来そうだなぁ~なんて、少し羨ましさも感じながら、甥っ子を見ていまいした。
そんな彼がハマっていたのは、「となりのトトロ」を見ながら、そのアニメに出てくる“メイ”という女の子の探検についていくことでした。
大好きなものに没頭する姿も半端ではなく、「となりのトトロ」のDVDは、朝から晩まで上映され、「好き力」のパワーの凄さを実感していました。
誕生日を間近に迎え、甥っ子に何をあげようかを思いめぐらせていました。
そんななか、私の家にある中トトロと小トトロのぬいぐるみが目に留まりました。
『これをあげれば、きっと甥っ子は喜ぶに違いない!!』
そう確信した私は、甥っ子にトトロのぬいぐるみたちをお誕生日のプレゼントしようと考えました。
しかし、実際、甥っ子にあげようと準備を始めるとなかなか気が進みません。
絶対、甥っ子は喜んでくれるはずなのに、何故か腰が重いのです。
甥っ子にあげようとしていたトトロのぬいぐるみたちは、以前おつき合いしていた人から、おつき合いする前に頂いたものでした。
別れた当時は、おつき合いしていたときに頂いたものを持ったまま忘れられるほど器用ではなかったので、おつき合いしていた頃にいただいたものは整理して手放していました。
しかし、このトトロのぬいぐるみたちは、私がトトロを好きだったこと、おつき合いする前に頂いたものということから、手放さずに自宅のインテリアの一部となっていました。
もちろん、家にあったものがなくなるという違和感もありました。
それ以上に、気が進まない何かがありました。
考えること、しばし・・・ここに私の隠れた執着があったことに気づきました。
その彼とは別れて10年も経つし、彼のことを思い出すこともなくなっていたので、こんなところに執着があったことに正直びっくりしました。
私が執着していたもの、それは彼への執着というよりは「女性として愛されている自分」への執着でした。
トトロを手放すこと=「女性として愛されていた自分」の存在がなくなってしまう!?
大げさと思われるかもしれませんが、当事者の私の意識は少なくともそういう図式が出来上がっていたようです。
これを甥っ子にあげれば、間違いなく喜んでくれるはずなのに・・・自宅で、一人悶えておりました。
たかが、トトロのぬいぐるみ・・・。
されど、トトロのぬいぐるみ。
トトロのぬいぐるみにそんな執着が隠れていたとは・・・。
執着は手放した方がいいとは、分かっていてもなかなか手放す気にはなれない、それでこそ執着というものよね。
なんて、自分をなだめたり、透かしたりしながら、半ば飛び降りるような気分で、「えいっ」と甥っ子にあげることを決めたのでした。
一方、甥っ子は、そんな私の葛藤をよそに、お届けしたトトロのぬいぐるみに「うわぁ~、うわぁ~」と歓喜の声をあげ、愛おしそうな目でぬいぐるみたちを見て、布団をかけてあげ、ぬいぐるみたちを寝かしつけておりました。
甥っ子のそんな姿を見せられたら、私もすごく嬉しくなり、執着と甥っ子の笑顔の狭間で悶えていた自分が馬鹿らしくなりました。
執着よりも、絶対的に甥っ子の笑顔の方が大切だと感じました。
半ば強制的でしたが、執着を手放せてよかったと思った出来事でした。
この経験を通して、喜びを表現することが、周りの人を幸せな気持ちにすることも体験できました。
このコラムの更新日は、縁あって、私の誕生日。
甥っ子のように「好き」をいっぱい感じて、たくさんの喜びを表現する時間を過ごしていきたいと思うのでした。
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この記事を書いたカウンセラー

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人間関係の築き方・コミュニケーションのスキルアップ・個性を生かすことを得意とする。 お客さまのテーマを多角的な視点でとらえて分析することにより、新たな視点や心の気楽さを持つことが出来ると定評がある。ゆるぎない安心感の基盤を基に行うカウンセリングは、心のうちを語りやすいと評価が高い。