自分のやりたいことが わからなくなった。
パートナーのことを好きなのかどうか わからない。
これから仕事を探そうとするとき、やりたい事が把握できていない。
離婚の危機かもしれないけど、あるいは結婚を控えているけれど、本当にパートナーを愛しているのか、自分の気持ちがわからない。
こういった内容は、実は随分な割合を占めているのですが、伺っていくと大抵は、ああそうなんだな、と言う手ごたえがあることが多いものです。
たとえば、一流大学を卒業し、誰でもがなれるわけではない職業に就いているのに、上記の疑問があるような場合も多いのですが、自分で選んでいると言う感覚が麻痺しているようなときに多いと思います。
実際には、自分で選んで進学し就職しているのですが、どこかで他人ごとのように感じていたり、あるいは必要以上に「何らかの」責任を感じていたりするケースに遭うことがあるのですが、これはじっくり話していると、多くはあることにぶつかります。
それは、両親が願っているだろうと思っていたことを自分が叶えている、と、どこかで感じている場合なのですが、いくら自分で望んだ生き方であっても、満足ができない状態が起こってしまっています。
これは、パートナーシップ、特に結婚に関しても多く、相手のことを嫌いではないけど、親が気に入ってくれそうとか、時にはもっと消極的に、これならば反対されないだろうと言う相手を選んでいる場合。これは、自分の想いが解らない、と言う状態になってしまうことが多いのです。
年数がかかればかかるほど、取り返しはしんどくなります。
もちろん、無理ではないですが、軽自動車でUターンするのと、大型トレーラーでUターンするのと、くらいの違いがある気がします。
私たちカウンセラーから見ると、ご主人のこと、奥様のことを本当に好きだからこうなっているんだな、と感じるのですが、ご本人にはそうは思えないくらい、しんどい関係になっていることがあり、もうごめんだわ、と言うことになってしまうことも。
私を挟んだ年代と、それ以上の年代に多いのですが(もっと下の年代は、『好き』を上手に感じ、伝えられる方が多いと思います)、どこかで仕事も結婚も義務になっているからです。
そのルーツのは、多くは親由来。これは私たちより上の、「団塊の世代」にも多いのですが、それより上の世代は、ある日(終戦記念日)を境に、与えられていた価値観そのものがひっくり返ると言うことがあったために、アイデンティティを持ちづらいか、逆に頑ななものにしないと生き延びれなかったのではないか、と私は個人的に考えています。
人生のすべてを「戦後の復興」にかけてきた、私の親世代です。
この世代の方々の努力でこの国は目覚しい進化を遂げたのですが、かたやで、子供世代への理解は皆無と言った状態であった、と言っても過言ではない気がします。
まあ、それどころじゃなかったんですね。親なりの愛情は、もちろんたくさん戴いているわけですが、子供を理解すると言うことは、後回しにならざるを得なかったのだな、と思います。
自分がいいと思うものを与え、自分たちが「善し」としてきた生き方を子供に望むのですが、遺伝子はその体に脈々と流れていても、育った社会はまったく違っているわけですから、情報の大海に泳いでいるような私たち世代(前後の世代を大きく括ってしまいましたが)の多くは、親の理解を求めて続けて、あるいは諦めて、生きてきている、と思います。
自分の住む社会でありながら、少し退いた目で見ると、旧態然とした生き方は、親世代が思うほど楽ではないし、安定するわけでもないのですが、どこか信仰とか時には妄信のようにも見えます。
そういった背景や地盤があると、好きなもの、愛している人を自分に与えにくくなってしまいます、たとえ目の前にあり、実は手に入っていたとしても。
最高のものを受け取るには、大げさな言い方かもしれませんが、全身の血を入れ替える、くらいの気持ちが要るのかもしれませんね。
昨今、人生のまさに『有終の美』を飾る姿を目にすることが増えましたが、まだ充分に若い年代で思わぬ病魔に冒された自分を悔やみながら、惜しみながら、おそらくは最後の力で、誰かに何かとても大切なことを伝えて去るその姿は、神々しいものです。
たった一本動く指で、配偶者の手を握り締める姿。開いているけれど(と言うより、もう閉じれないのですが)見えているかどうか解らない瞳で、大切な人の姿を追っている。
語りかける優しい声に、何とかして応えようとする姿は、美しく切ない。
それでも、間に合ったな、って思います。
伝えることができてよかったな、と。
そういう姿に出逢うたびに、私もまたそのために生まれてきたんだな、と感じます。
でもね、元気な時には難しいんですよね。恥ずかしさもあるし、今までの積み重ねで、またどうせ解ってもらえない、無視される、って思ってしまうんですよね。否定されるのは、誰だって怖いですもの。
今、ちょっと振り返ってみませんか?素直な気持ちで生きているかどうか。
できているな、と思ったら、それはもちろんOKです。
言うことなし。
なんか違うな、ずれてるかも。そんな風に思ったとしたらそれは、チャンスだと思います。
自分が一番ほしいもの、抱きしめたいものに正直になれる時ではないでしょうか。
全身の血を入れ替える代わりに、勇気のエッセンスを1滴。
あなた自身が今より輝くために。輝いたあなたを待っている、誰か(何か)のために。