先日、古い友人達と集まる機会がありました。
本当に久しぶりの再会で、気心の知れた仲間と昔話や家族の話を語り合ううちに、今、どんな仕事をしているのか、という話題になっていきましたが、僕の職業が一番、みんなの興味を引いたようでした。
誰に話しても聞かれる質問は、「心理カウンセラーって何する仕事のなの?」でした。
心理カウンセラーという言葉は聞いたことがあるけど、身近にいないし、具体的にどんなことをしているのかイメージしにくい、と。
納得です。
「ここにいるよ。」
と言うと、一同、笑い。
説明しろよ!の声に、きちんと説明します。
具体的に話せば納得してもらえますが、遠い世界のような印象を受けるようです。
「どんな相談でも気楽に聞いてくれる場所がある」ということが、驚きだと言われました。
欧米では、「かかりつけの医者」と同じように、「かかりつけのカウンセラー」を持っていると聞くけど、日本では、そうした感覚がないんだろうな、と仲間たちのコメント。
でも、そういう人がいたら楽だよな、と言ってもらえるのはうれしかったです。
それからしばらくたったある日、その仲間の一人と会う機会があったのですが、その時、「カウンセリングサービスのホームページを見たよ、びっくりした」と感想を語ってくれました。
その友人も、いろいろな悩みを持っていたらしく、ホームページの記事を読んでいるうちに、自分と当てはまるところがたくさんあると気づいたり、解決のためのヒントを得たりと、気がつけば、あらゆるページを読み続けたんだ、と言った後で、自分もカウンセリングを受けてみようと思う、と語りはじめたのです。
友人は、遠方に住んでいるので、僕のカウンセリングではなく、住居近くのカウンセラーに話すことにしたそうです。
今まで、ずっと抱えていた問題は、「誰にも話してはいけない」と思っていたこと。
「誰かに話してもいいんだ、話をすることで、カウンセリングを受けることで、変われる可能性がある」こと。
「今まで自分は変われないと思っていたけど、変われるかもしれない」こと。
そうした事に驚いたんだ、と素直な気持ちを語ってくれました。
もっと早く知っていればよかった。
でも、知っていても、無理だったかな。
こうして、君と話をできたから、それが身近に感じられた
から勇気が出たのかもしれない。
そんな話をしてくれた後、最後にこう言ったのです。
「このホームページをいつも見ていながら、実際に相談できずにいる人が、たくさんいると思う。」
わかってるよ、と言いたかったけれど、僕のほうが黙ってしまいました。
わかっているつもりで、実は、そのことを本当にわかっていたのだろうか。
自分の声が聞こえた気がしました。
そう、僕自身がカウンセリングの門を叩いた時がそうだったじゃないか。
あの時の勇気。
初めて予約センターに電話をした時に、どれほど勇気が必要だったか。
それを思い出したのです。
人は問題や悩みに直面した時、一人でも親身になって話を聞いてくれる信頼できる人がいたら、その負担は本当に軽くなります。
そうした人がいるだけで、いろんなことにチャレンジしたり、自らの道を歩く支えにすることができます。
「人生で苦しいことがあった時には、本当に辛くなった時には、あの人に聞いてもらえればいいや」
そう言ってもらえる存在になること。
カウンセラーになった時、先輩から聞いた言葉を思い出しました。
そうなりたいと誓ったことと一緒に。
誰かに話を聞いて欲しいと思いながら、勇気を持てないと思っているあなたへ。
どうか話を聞かせてください。
僕も最初はそうでした。
でも、今、その時の気持ちを思い出して、こう思います。
相談しようと勇気を出して話を聞いてもらったことが、今の幸せな自分になるきっかけだった、と。
そして、今は、お話しを聞かせていただく立場になりました。
あの時、僕が救われたように、今度は、僕が誰かのお話しを聞いて、できる限りのお手伝いをさせてもらいたい。
「もらった恩や教えは、誰かのために使いなさい。」
カウンセリングの師匠から教わったこの思いを、実践しようとカウンセラーになったのでした。
誰かに話を聞いて欲しいと思いながら、勇気を持てないと思っているあなたへ。
どうか話を聞かせてください。
僕はここにいます。
ここで、お待ちしています。
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1件のコメント
はじめまして。いつもコラムを拝読し、感銘を受けています。
今回の記事、心に響きました。
私は今とても大きな悩みを抱えていて、定期的に電話カウンセリングを受けてとても救われています。
でももっと飛躍的に変わりたい、自分らしさを出せてかつ人の役に立てるキャリアに就きたいと初級コースに入学を考えています。
でもまだどこか決断しきれない部分があって。(金銭面や時間面で)
池尾さんのコラムを噛みしめて選択したいと思いました。