鳩~~私を慰めてくれたもの~~

こういった文章を書かせていただくのは、本当にお久しぶり!
全国的に雪が舞う昨今、カウンセリングサービスのサイトを楽しみにしてくださっている皆様方はいかがお過ごしでしょうか?
先日は、母体である神戸メンタルサービスのヒーリングワークショップ。
もうここにきて10年以上になるなぁ、なんて思いながら、2月の3連休を「癒し」で満たしてみる。
こういう癒しを扱うワークショップにおいて、その場にいる人を、たとえば家族だったり、たとえばなにかシンボルだったり、誰かに何かを投影し、グループで癒しを起こす(といっても、文章だとわかりにくいですね、すいません)ことがあります。
今回私が珍しく投影されたのは、「母親役」!
生き方や人生の選択は、その人の雰囲気やイメージ、ある種匂いとでもいうのでしょうか、それらしいものを連想させることが多いですよね。
ですので、こういう投影を受けるのは珍しいのです、ワタクシ。
アラフォー・独身ですが。
「だてなおと」「赤ちゃんポスト」のような、行為にとっても興味がある私。
2年前の夏の日に、まるでその日を狙ったように旅立った母。
その日はカトリックであった母にとってはとても大切な「聖母の被昇天祭」その日でした。
生きてるうちには私は彼女とは葛藤ばかりで、家族それぞれの責任のうち、‘母性’という大きな役割のすべてを彼女一人が引き受けてくれていたように思います。
完璧じゃない、うまくできてない、失敗している、状況の悪いところの多くを彼女のせいにしていたのも、娘である私。
身体にはもう触れることができなくて、実際に声を聞くこともできなくなったけど。
母の心に触れ、本当の対話が始まったのは、実は彼女の魂が天国に昇ってからかもしれません。
そして、どれだけ愛されていたのかを知ったのも。
母がなくなったその年の冬に、こんな日記を書いていたのを思い出しました。
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先ほど、自室を出ようとして、ブルルと震えてしまいました。
そういえば、もうすぐ12月。
親元へ一時、母と一緒に過ごすため帰ってきたのが7月なので、半年近く。
こちらへ越したその日に、ふと別棟がある方向の窓をあけました。
ろうかを隔てて、別棟の軒先は窓から約2メートルほど向こうでしょうか。
目が合った(と私は思っています)のはつがいの鳩。
あらまぁ、仲のいい。
私の居るところは7階なのですが、6階のおうちの軒先だったり、お隣の軒先だったり。
転々としてながらも、いつも一緒。
夏を迎え、そして暑い最中。
体は弱りながら、だけど意志だけは強く貫く母との時間が過ぎていきます。
いろいろな想いに、右往左往する私の気持ちをずっと見届けるように、つがいの鳩は居続けます。
母が天国に行ったその次の日。
気になって見た軒先には、1羽になった鳩が居ました。
そして、秋をむかえ何時の間にやら、1羽残った鳩の姿も見なくなりました。
強くなろうとするのでなく、ただ、思いを受け取ることだけを。
生まれたときに望まれたように、命を大切にして幸せになるように、思いを感じていたこの3ヶ月だったかなぁ。
きょう、ベランダ越しに寒そうに毛を目いっぱいたてて寄り添う2羽の鳩とまた出逢いました。
喧嘩していたのかしら。
それとも、ただの旅行かしら。
この子達が、7月からずっと私を慰めてくれていた子達かどうかも、分からないのですけれど。
(^^ゞ
嬉しくて。
温かいものも同時に戻ってきたような気がしました。
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この2年。
私は受け取りながら、変化することができたのだろうか?歩き続けてこれたのかな。
立ち止まっていなかったかしら。
自問自答の答えを、いただいたような気がします。
心から切望し、そのために痛み、攻撃していた「母性」のかけら、そしてそこに入っていく勇気を私が持てたのだとしたら、、、。
本当の母の愛を受け取れたのかもしれません。
母ちゃん、生んでくれて、ありがとう。

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