泣きたい日もあるさ ~~笑顔の向こう~~

 生きている限り、必ずその日はやって来る。
 頭ではわかっていることですが、日々考えてしまうこの1年でした。
 病院中を、今では我が物顔で闊歩していますが、迷子になっていつも親切なクリーンスタッフに助けてもらったことも多々。
 
 これまでも、いろんな方との出逢いがありましたが、日々自分の命や時間と向き合っている方との出逢いは当然、今までになく多くなりました。
 病室に入り、手を取ったり、背中や足をさすり、思い出話や悲しみ、怒り、悔しさ、パートナーや子どもたちに対する愛情など、言葉でも、言葉以外でも(その時が近づくと、その方が多いのですが)伝えてくださった方も多く。
 「私も人を癒したい!元気になったら一緒のチームに入れてね!」
 今日から3人(上西カウンセラーと一緒に仕事をしています)でチームだよ、と話すと、満足げに優しい微笑みを。
 
彼女は、数日後に空に帰っていきました。
 
 気づいたときには手遅れで、脳にも転移があり、日々意識が低下していく中、紙とペンを、と願い、ようやく起こしてもらった身体で、1枚の紙に書かれたご家族への想い。
 その最後に「役に立ちたい」と記した方は、いつ訪れても優しい、本当に女神のような笑顔を向けてくださいました。
 時々、うまく話せないもどかしさを籠めながら、
「役に立ちたい!誰かの役に立ちたいの!」
そう、いつも話してくれました。
「次の人生でも、私(中村)のお友達になってね。」
と話した1時間後に、家族に見守られ帰っていきましたが、もう苦しくなくなった身体に会うことが出来ました。
 「よくしてもらって、ありがとう。でも僕にはもう時間が・・・。」
 同世代で、仕事と奥様をこよなく愛された男性から聞いた最後の言葉です。
そろそろ、妻と二人で色んなところに旅をしようと考えていた矢先、と悔しげに話された方は、この方以外にも何人かおられ、言葉を失ったことが何度かあります。
年は私よりも20も上、でも、入院直前まで働いていた素敵な女性は、コスモスが大好きで、コスモスの花畑の写真を、緩和ケアチームの仲間で部屋に飾ってあげました。
「こんなふうに(病気に)なる前に、友達になりたかったわ。」
そう言ってくれた彼女は、転院先のホスピスで彼女らしく、凛とした最期だったようです。
夕飯の時間に、訪れるようになった男性は、研究職の仕事の一線を退く頃に発病。家族・親族が毎週集まり賑やかな病室でした。
夕飯時に訪れる理由は、奥様が帰ってしまわれるということと、ご飯が食べられないから、と言う理由。時に、「あんたら、食べていきなはれ」と勧める気前のよさ。
意識が遠くなっても、しっかり聞こえていて状況がわかっていることを教えてくれたのはこの方。
水分を含んだ綿棒で、唇を湿してあげるのですが、奥様の時だけ、噛み付くんです。
その様子に、病室は和やかな時間を持てたといいます。
まだ若く、幼い子どもと多忙なご主人がいる女性は、病気が身体の元気を損ねていても、それに負けない美貌の持ち主。
ある時こう言いました。
「私、今まで幸せすぎたのよ。あの人と結婚できて、子どもも持てて。一番の幸せは、あの人と結婚できたこと。」
 段々弱ってきて、急に状態が悪くなったのは、単身赴任のご主人がまた戻ってしまった直後。
 リザーバマスクの下からこちらを向いて
「中村さん、私全部聞こえてます。
全部わかってます。

「わかったわ。私たちには返事しなくてもいいよ、わかったからね。」
 小さくうなずいた彼女。
ご主人が到着した時には私も近くにいたので、ご主人に手を握ってもらい、話しかけてもらいました。
躊躇うご主人に、
「結婚できたことが一番の幸せ、とおっしゃってましたよ。」
と。
 「俺や。わかるか?おるぞ、一緒におるからな。お前の言うてること、ようわかる。」
 話せなくなり、瞬きする力もなかった彼女の目から涙が一筋。ご家族の時間を、と退室した直後に彼女は最期の息を終えました。
 
一生懸命覚えた、折り紙のくす玉。
「はい、赤いのと青いの作ったよ。喧嘩しないでね。」
上西と私に一つずつ。時間をかけた小ぶりのくす玉を残して、帰っていかれた方は、病気の増悪の自覚が、女性としては若い男性医師に伝えにくいところにあり、一番最初に相談してくれました。
会いに行くたびに、冗談を言ったり、闘病仲間と過ごしていた陽気な女性でしたが、自分の身体のことはよく解っていて、主人は母親と妻をがんで奪われることになる、と。
美味しいものを提供するお仕事の、40代の男性は、食べ物とお酒の話で盛り上がりました。
むくみがきつくなった足のマッサージをしながら、
「中村さん、結構イケるくちなんでしょ?」
なんて話してたのですが、
「俺にとって、食べられることが生きること。」
と言う気持ちが強く、亡くなる日までアイスを口に入れていた彼。
一旦は、あまり出入りを好まなかったある女性は、徐々に弱っていった頃、ちょっとしたハプニングが起こりました。
痛みが止まらず、鎮痛剤を出してもらうのに手違いがあったのか時間がかかり、薬が届くまでの間(1時間ほどでしたが)ご一緒させていただいたんです。
「あなた、この人が命を助けてくれたのよ!」
と、ご主人に。
そんな、おおげさな。
でも、それくらい痛みで苦しかったらしく、一緒にいることがよほど嬉しかったようです。
 
 私が今いるところは、人間の真理である、「生まれたからには必ず死が訪れる」ということを、感じ続ける場所。
 私は、ここにあげ切れなかった(わずか1年ですが)方たちからも、生きることのメッセージを、バトンのように受け取ったような気がします。
 帰っていくときは一人ではあるけれど、誰かそばに来てくれることが、一人じゃなくなるんじゃないか。
 自分を忘れないでいてくれることを、感じられるんじゃないか。
 ようやく、そんなことを実感しています。
 「私ね、オードリー・ヘップバーンが大好きなの。彼女みたいに、自分に関わった人がみんな仲良くしてくれると嬉しいと思うのよ。」
 そう話した彼女は、同世代でバツイチ、子どもが二人、と言う共通点がありました。
でも、彼女は素敵なご主人と再婚し、幸せそうに見えたのですが、やはり、葛藤はあったようです。
 彼女の息子さんに、ヘップバーンの話をしたら、そばにいたご主人が、いつもそう話してた、と。
 ご本人はもう意識がない状態の中でのことでした。
 次の日、娘さんも来られており、やはりその話になったのですが、「義理のお父さん」に当たるご主人との対話が出来たとのことでした。
 人は、人とともに生きています。
生まれたときから、それがどんな状況であったとしても、誰かいなかったら、今、こうして生きてはいないんです。
 そして去るときもそうであってほしい、と私は思うようになりました。
 自分は一人でもいいや、って、思ってたんです、ずっと。周りだってすぐに忘れてしまうだろう、って。
 でもそうじゃないんだな。
 少ししか会えなかった方も、残念ながらいるのですが、それでも私たちはよく思い出し、あんなこと言ってたね、なんて話すこともあります。
 面差しが似ている方をみて思い出すこともあります。
 記憶、と言う記念碑がまた一つ増える。出逢うということは、そういうことなんだと思います。
 たくさんの笑顔。思い出話。触れ合った数だけあるのだと思いますが、人生最後の本音を聞かせていただくことも。
 笑顔をたくさんくれた方への感謝とともに、その向こうを、私は想い続けることにします。
 私も、長年コラムを書かせていただきましたが、休会させていただくことになり、コラムの方もお休みとさせていただきます。
 ご愛読戴きありがとうございました。

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