■僕は以前に、こんなコラムを書かせていただきました。
【僕と妻と、もう一人の父の話】
2年前に執筆したこのテキストを僕自身が読み返し懐かしみながら、今日このコラムを書いています。
そして今日、過去のコラムを完了させます。
義父が旅立ちました。
色鮮やかに桜が咲き誇る季節に、彼は風と共に天に帰っていきました。
その日、真夜中に妻から連絡があったんです。
普段なら夢の中であるはずの時間に。
何故か僕は起きていました。
人は時として不思議な力を発揮することがあるようです。
虫の知らせともいうのでしょうか。
今年の冬。
僕が義父と最後に会ったときのこと。
彼の体は既に病魔に犯され、体を起こすことさえ難しい。そんな毎日を送っていたんです。
見るからに痩せ衰えた義父の姿。それは必死に生きようとする懸命な姿でもありました。
傍にいて、何もできない自分を感じながら、僕はただ、今そこにいる義父の存在を感じようとしていた記憶があります。
僕達夫婦の帰郷を誰よりも待ち焦がれ、そして喜んでくれた義父。
「心配するな」そう気丈に振舞う義父。
大好きなお酒を敢えて僕の前で飲んでみせる義父。
既に彼の体はお酒を受け付けるどころか、気丈に振舞うだけの力も残していなかったはずです。
歩くだけで精一杯だったことは、家族の誰もが知っていた事実。
それでも苦しい顔一つ見せず家の中を歩き回る父の姿に、僕は愛を感じながら、同時に「彼の旅立ち」を予感しました。
「お義父さん、無理しなくていいですよ。」
その一言が口から出そうになりましたが、また飲み込みました。
「今、無理をしたいんだ。」
そんな彼の気持ちを感じた気がしたからです。
義父はどこか無頼な生き方を好む人で、妻も義母も随分苦労をしたという話を僕は結婚前に聞いていたんです。
実際に彼とあってみると、なるほどその生き方が彼の体に染み付いていることはよく分かりました。
自分の生き方を曲げられない。
自分の思いを貫き通したい。
分かっているけど、愛してるが口から出ない。
出てくる言葉は憎まれ口や、素直じゃない言葉ばかり。
だから彼は自分の思いを文字にして残す。そんな習慣を持っていたのでしょう。
随分前から義父は日記をつけていたのです。
彼が天に帰った後、その日記を読み返すと、その中にこんな一文がありました。
○月○日
・よかったこと
娘が自立し、自分の人生を歩み始めたこと。
妻が生きがいを見つけ、生き生きと毎日を過ごしていること。
・悪かったこと
俺が稼げなくなったこと。
娘に父親らしいことを何一つしてやれなかった、悪い父親であったこと。
決して誰にも口にすることのなかった義父の本音。
日常の彼の姿や言動からは想像することのできないこの想いに触れたとき。
妻も、そして義母も、ただ涙していました。
「どうして何も言ってくれなかったの?」
しかし言えない。生き方は変えられない。愛が伝えられない。
悶えるほどの葛藤の中で義父は孤独に老いと衰えを感じつつ。
最後まで家族を愛していたのでしょう。
不器用にもほどがあります。
でも、最後まで貫いたその不器用さが、いい。
今はそう感じるのです。
どこか無頼な生き方を好む人ほど、心に大きな愛情を持っているではないか。そう僕は思います。
ただ、その愛情の表現方法を知らないが故にもどかしく苦々しい思いを多々味わってきたのかもしれません。
しかし、心のど真ん中にある真心や愛は、きっといつか伝わるものなのでしょう。
・・・確かに受け取りましたよ、父上。
そして最後。
義父は僕達に最大の勇気と愛を見せていったのだと思います。
誰もが慄く死の恐怖にたった一人で向かい合い。
そして、家族の中の誰よりも先にその恐れを超えていった。
その時、彼は間違いなく勇者であった。
同じ男として、僕はそう思うのです。
そして遠い未来、僕達夫婦が天に旅立つ時がきたならば。
彼はきっとまた満面の笑みで迎えてくれるのでしょう。
「よく来たな。まぁ、あがりなさい。」
たとえ姿は見えなくとも、彼の愛はこれからもずっと続いていくのでしょう。
そう思うと、僕は今を懸命に生きよう。
そして、義父が残した最大の贈り物、妻と共に生き続けようと強く思うのでした。
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1件のコメント
こんにちは。
素敵なお義父様ですね。
浅野さんのブログも読んでいるのですが、
「当たり前」が手に入らない、それでもずっと諦めずに闘ってきたからこそ、
当たり前以上の幸せが手に入ったんだなって思いました。
きっと、お義父様も、天国でお二人のことを、頼もしく見守っておられることでしょうね。