こどもの心はピュアなのです

私には兄と妹がいます。
兄には3人の男の子、妹には3人の女の子の子供がいます。
兄は実家の商売を継いで、新聞の販売所をしています。
新聞の販売店というのは休みがほとんど無く、丸一日休めるのはお正月の一月二日だけです。
ふだんも朝がとても早く、午前3時前には朝刊の新聞が販売所に届き、前日に用意された折り込み広告を新聞の間に挟んでから配達します。
そして、午後3時前には夕刊の新聞が届きます。
夕刊の配達が終わると、翌日の折り込み広告の準備をします。
月末、月初めには集金もあるので、さらに忙しくなります。
私と兄の家はすぐ近所で、夕方私が 「ごはんの用意でもしよっかな~」 と台所に立つ頃玄関の方から 「チッチー(犬の名前)、ひろえ~~」 と口々に叫ぶ男児の声が時々聞こえてきます。
兄嫁が忙しいとき、そっとウチの玄関に3兄弟を放ちます。
一番上は小1、保育園の年中さん2人(下は男の子の双子です)がドタバタと入ってきて、チッチと遊ぼうとしますがチッチはこの突然の乱入者たちに若干引き気味です。
今はもう言葉が通じる歳になりましたが、もう少し小さい頃は大変でした。
「ママは今からお仕事なのでちょっと待っててね」
と言っても彼らには通じません。
兄嫁も一緒にやって来てしばらく一緒に遊んで、3兄弟を油断させます。
ママ(兄嫁)も一緒に遊んでいる、と安心し遊びに夢中になったころ兄嫁がそ~~っと仕事へと戻ります。
しばらくすると、一人が気づきます。
「ママは?」  
「あれ?おかしいな。お仕事かな?」 と、とぼけて見せるも
「マーーマーーーッ!」
火が点いたように泣き出し玄関へとダッシュ!!脱走を試みるもあえなく確保され引き戻されます。
兄嫁が仕事を終えて迎えに来ると遊んでいようが、ごはんを食べていようが、「あっ!ママーーーーッ」と3人がわらわらと兄嫁の周りにまとわりつきます。
「ボクもお仕事手伝うのに」 
一番上の子がそう言うと、下の2人も 「ボクも~」 と口々に真似ます。
『あ~、子供はやはり親を助けたいんだな~』 とそれを見てしみじみ感じます。
そして、『私もそうだったな~』 と思い出しました。
小学校4年生のとき、早朝4時頃に突然母に起こされました。
「ちょっと団地の配達手伝って」
「うん」
団地ならば、順番に棟が並んでいて各住戸にも番号がついているので、新聞を配達する号数さえ書いてある紙があれば小学校4年生でも新聞を配ることができるのです。
そんな数字が並んでる紙を渡されまだ暗い早朝、新聞の重さにハンドルを取られそうになりながらも自転車を漕ぐ少女。
階段を昇ったり降りたりしながら、1時間半程で団地の配達は終了します。
その帰り道、冬の早朝の空はまだ暗く、時々流れ星を見れたりもします。
そんなときは、流れ星が消えないうちに願い事を心の中で呟くのです。
『みんなが元気で幸せに暮らせますように!!』
誰に聞いたか、流れ星が消えないうちに3回願いを唱えないと叶わない、というのを信じていたので超早口です。
これを思い出したとき、自分でも結構びっくりしました。
我ながら、『なんて健気で、ピュアな少女!』 と感動したほどです(笑)
私が配達に借り出されるということは、私よりも先に兄(当時小6)が借り出されているわけですが、寝起きは兄よりも私の方が断然良く、そのことを褒めてもらうと嬉しく、少し得意な気持ちになります。
不思議と 「眠いのに」 とか 「面倒くさい」 とかは一切思わず、ただ当たり前のように 「よし、行こう」 と毎朝配達に出掛けていました。
カウンセリングで親子間のお話を伺ったときに、「お母さんを救いたかったんですね」 とお話させていただくことがあります。
大人になった私たちは、そんなことは普段思い出しもしませんが、子供の頃は当たり前のようになんの疑問もなく 『親の役に立ちたい、助けたい』 と思っていたようです。
正確にいうと、『親の役に立ちたい、助けたいと思っていた』 というよりは、あまりにそれが当たり前すぎて気付かないくらい無意識に願い、行動していたのかもしれません。
自分が認められたいという思いもあったのでしょうが、親のしんどそうな顔ではなく、笑顔が見たかったのだなと思わざるを得ないのです。
人手が足りなくなると、次の人が見つかるまで配達要員に借り出されることがしばしばあったのですが、そんなピュアな気持ちで配達を手伝っていたのは私の場合小学校高学年まででした。
中学生になると 「え~~ダッル~~」 と思いつつも怒られるのでしぶしぶ手伝います。
しかし、そのうちに 「幾らで?」 と金銭を要求しだします。
その要求に 「お金をもらわないと手伝えんのか?!」 と無報酬での労働を強いられます。
反抗期の娘に無理強いをすると、よけい反抗的になります。
無理強いをされなくても、反抗はしていたであろうとは思いますが。
けれど、当時を振り返ると両親も辛かったろうな、と思うのです。
冬の寒い、まだ暗いうちから子供に新聞配達をさせるのは余程人手が足りなかったのでしょう。
甥っ子たちが、ピュアな心で 「ボクもお仕事手伝う」 というのは幾つまでだろう?
甥が金銭を要求し出した時にわたしが立つのは、親の立場か?甥の立場か?
多分、甥の立場です。
←無報酬を根に持っていますね^^;
因みにウチの子にお手伝いを頼むと 「500円でいいわ 」 となぜか上から目線で言われます。
どうやってタダで手伝ってもらうかという私と子供で交渉が始まります。
昔は、ピュアだったのに・・・(私も子供も)
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この記事を書いたカウンセラー

About Author

恋愛や夫婦、浮気、離婚などのパートナーシップから対人関係、子育て、また、死や自己受容のテーマなど幅広いジャンルを得意とする。 女性的で包容力があり、安心して頼れる姉貴的な存在。クライアントからは「話しをすると元気になる」「いつも安心させてくれる」などの絶大なる支持を得ている。

2件のコメント

  1. こんにちは
    私、離婚直後に就ける仕事が無くて、新聞配達で二人の子どもを育ててるという苦しい4年間がありまして
    今回の記事についコメントを入れてしまいました。
    毎朝2時に販売店に向かって、仕分けして、配達して。子どもを学校に送り出したらちょっと寝て。夕刊配達準備して。集金して。夜は9時ごろ寝て、子どもたちの顔もろくに見ていない、会話すらほとんど。。。
    阪神淡路の震災のときも新聞配達中で、あの大揺れのとき就学前のちいさな子ども二人を部屋に残して配達中で、
    揺れが続く中必死で帰宅
    部屋の中では子どもたちが寄り添っていて・・・
    私の顔を見るなり泣き出したのです
    こわかっただろうな~~~~~
    心細かっただろうな~~~~
    そのあとは親子三人で残りの新聞をくばりました。
    残っていたのはマンションの配達でしたからね、おっしゃるように子どもたちには部屋番号の書いた紙をわたして「ポストに入れてきて」と。
    あのときも、今も、子どもたちは私のこと(お母さんのこと)大好きなんだろうな~~~って。
    いつもありがとうございます。
    私、電話カウンセリングで吉村先生にお世話になってます(^^)
    先生の言葉で今、前を向いて生きてます!

  2. 吉村ひろえ on

    みぃーこさん
    大変な時期を懸命に生きてこられたのですね。
    そんなお母さんの姿を、子供たちはキチンと見て感じているのですよね。
    親も子もお互い大切な存在です^^
    みーぃこさんが今、前を向いて生きているのは元々みぃーこさんの中にその力があるからですよ♪
    コメントありがとうございました。