8月半ば、実家の父が脳内出血を起こして倒れました。
幸い、一命を取りとめ、このコラムが掲載される頃にはリハビリのための病院に転院しているはずです。
父が倒れたという連絡は母からの電話でした。
私は何かことが起こった時には、真っ先に飛び出すタイプの人間なので、この連絡を受けたときにも、「すぐに帰る!」と母に言いましたが、母は震える声で「大丈夫だから、もし、本当に来てもらわないといけなくなったらすぐに連絡するから、今は待機していて」というのです。
普段なら(えーーーっと、お母さん、実家の徳島と大阪って結構離れてますけど?)と突っ込みを入れるところですが、事態が事態だったので、母の言葉をとにかく聞いていました。
母は、どうやら私が帰ってくるほどの大事じゃないと自分に言い聞かせていたみたいでした。
娘を呼ぶ=父の命が危ないという図式が母の中にできあがっていたので、私が帰る=父の死のようにも感じたのかもしれません。
父の異変が起こった時の状況やその後の処置などを母から聞き(うちの母は、そういうことを冷静に伝えてくれるんです。
)もしかしたら、大きな後遺症が残るかもしれないけれど、命は助かる!と判断したわたしは、母の意向を最優先することにしました。
母の電話を切った後、次の連絡が入るのを待ちながら、わたしはふとこんなことを思いました。
「これからは、私がこの家を守る側なんだな」って・・・。
わたしは、実家の跡取り娘として育ちました。
当然、婿養子を迎えて、実家を支えるものだと家族も私も思っていたのですが、なぜか、うちの夫に「fall in love」。結局家を出て嫁に行き、実家のある徳島も離れて大阪で暮らすようになったのです。
嫁に行く=実家を離れる → 跡取りとしての責務を果たしきれない。
結婚して以来、心のどこかでそんな気持ちを持ち続けていました。
実家を見捨てて自分だけが気楽に過ごしているようにも感じ、申し訳ない気持ちも捨てきれませんでした。
でも父が倒れたと聞いた時、あたりまえのように思ったんです。
これからはわたしがリーダーだなって・・
それは、実際に今のすべての生活をなげうって実家のために生きる、ということではありません。実際の行動というより、心理的な覚悟といったほうがいいと思います。
親子である以上、いくつになっても「子どもの目」で「親」を見てしまう時があります。
「もう!なんでそんな言い方するかなぁ!」
「なんでもうちょっと気を遣ってくれないの!」と
あなたたちは親なんだから、子どもの私に対してもっと理解してくれていいはずなんじゃないの!という不満を感じたり、親なんだから、もっと頼りがいのある存在でいてよ!と自分より強い存在として見てしまったりしちゃうんです。
無意識的に
親=「愛を与える側」「強者」「理解する側」
子=「愛される側」「弱者」「理解してもらう側」
そんなふうに思っているんですね。
今回の出来事が起こった時、これからは私がこの家を守る側!と感じたと書きましたが、それは、言い換えると、「わたしが家族みんなを愛し、理解し、助ける側に立つ」と感じたということです。
心のどこかにあった「子どもなんだから親に愛されてあたりまえ、理解されてあたりまえ」という気持ちをきれいさっぱり捨ててしまおう、そんな決意ともいえるかもしれません。
「愛されてあたりまえ」ではなくて「愛されていることをしっかり受け取る」と、自然と感謝の気持ちが湧き上がってきました。
そして、自然と両親を助けよう、支えようと思えました。
母が言った「今は来なくてもいい」という言葉には、「あなたを呼ぶとお父さんが死んじゃうみたいで怖い」という母の素直な怖れとともに、父を失うかも?という不安や恐怖と戦いながら、「娘に負担をかけさせない」という母としての私への愛があるんだなぁということにも気がつきました。
母の中にある「愛」と母の強さを感じて、この母の娘であることを誇りに思いました。
ほんの少し前まで、「なんでお母さんってそんなに意地っ張りなの!」ってイライラしていたんですけれどね(苦笑)
いずれ跡取りとして、家族の面倒を引き受けなくっちゃいけない。
わたしはずっとそう思っていました。
いずれ家族のために自分を犠牲にしなくちゃいけない。
すべての責任を自分一人で背負わなくちゃいけない。
「家族のリーダーになる」ということは、大きな重荷を背負うことのようにしか思えなかったんです。
そして、その大変な仕事から逃げ続けているように感じて、ずっと後ろめたい気持ちでいたんです。
けれど、今回の出来事で、自分からリーダーシップをとると決めてみると、今まで感じていた後ろめたさから解放されてすごく気持ちが楽になるのがわかりました。
家族を支えなきゃという悲壮感を感じることはなく、自分の大切な人を大切に思うことができる喜びや自分が実家に対して貢献できることができる幸せを感じました。
父や母が困ったときに助ける力を持っていると感じたとき、今までの自分の人生を心から肯定できるようにも思いました。
辛かったことも悩んだことも失敗したことも、それらすべてが今の自分を作ってくれた「磨き石」だったようにも感じました。
子どもだった頃、私たちは親や大人に守ってもらわなければ生きていけませんでした。
でも、成長し、大人になり、今度は誰かを守り愛することができるほど強く大きくなっているんだということを父は身を持って教えてくれているのかもしれないなぁ・・。秋の風が心地よい夜空を見上げながら、ふとそんなことを思うのでした。
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