子供の頃、「大人はいいよな~。」って思った事はありませんか?
私は、小学生低学年ぐらいの頃は、しょっちゅう思っていました。
子供は学校から帰って来ても、宿題があって、見たいテレビも思うように見れなかったりするのに、公務員だった父と、専業主婦の母は、夕方ぐらいからは、全くの自由で、TVも見放題だし、好き放題に思えました。
それに、夜更かしをしても怒られないし、お金も自由に使えるように見えました。
だから、「大人っていいよな~。」って、しょっちゅう思っていたんです。
それからまた年月が経って、中学生ぐらいからは、毎日が忙しくなったり、自分自身が成長して行くに従って、あまりそんな事は考えなくなりました。
で、自分が20歳を過ぎ、大学も卒業して、社会人になって、つまり、あの頃、「いいよな~。」と思えた大人になってどうなったかって言うと、子供の時に想像した感じとは全く違っていたりします。
もちろん、宿題は無いし、夜更かしももちろん自由だし、お金だって、子供の頃に欲しかったものぐらいはなんでも買えます。
でも、だからって、あの時想像した「きっと、大人はのん気でお気楽だろう。」という現実とは全く違っていた訳です。
なぜなら、大人になったら、社会的な責任や、世間体など、子供の頃には考えもしなかった問題を沢山抱える事になったからです。
まさに、「隣の芝生は青く見える。」のごとき、私は、「未来の私」が青く見えていたんだと思います。
でもこんな事って、子供の目からみた「大人」の話だけじゃないと思うんですよね。
例えば、結婚していない人から見た、「結婚している人」
子供のいない夫婦から見た、「子供のいる家族」
社員から見た、「社長」
などなど、自分が持っていないものを持っている人は、その表面的な素晴らしさばかりが目に入り、持っている人が抱える問題はわからない分、青く見えてしまうのかもしれません。
それに、どんな人のどんな立場だって、いい事ばかりではなく、大変な事も、辛い事もあるんだと思います。
何が言いたいのかと言いますと、私達は、究極的には、みんな違うし、みんな持っている物、持っていない物はみんな違いますよね。
子供の頃は、「羨ましいなぁ。」「欲しいなぁ。」と思ったら、何にでもなれる可能性はあったし、何でも手に入れようと頑張る事も、大事だったかもしれません。
そして、頑張って、頑張って、なんでも自分で出来るようになっていく過程を、心理学の用語で、「依存から自立へのプロセス」というようです。
だから、隣の芝生が青く見えて、それを手に入れるために頑張ることは、成長のために、とても大事なんだと思います。
そして、何かを手に入れる為に頑張る事が楽しい時期は、大いに頑張るのがいいんだと思います。
でも、「何かが無いから手に入れよう。」という考えだけでは、手に入れても手に入れても、足りないものなんてどれだけでも出てくるでしょうし、それだけでは、いつまで立っても、満足なんて出来ませんよね。
そして、頑張ることに、ほとほと疲れ果ててしまった時は、もしかしたら、別の解決策を学ぶ時期かもしれません。
それが、「相互依存」と呼ばれる考え方です。
相互依存というのは、簡単に言えば、自分も他人も、出来る事を認め、出来ないことを許し、お互いに支え合おうという考え方です。
夫婦というのは、相互依存の典型と言われます。
お互いに支え合わなくては、やっていけませんよね。
そして私達は、誰も完璧じゃないし、完璧じゃないから、一人ひとりが、出来ない事を許し、出来る事を認めて行くことが大事なんだと思います。
そういえば私は、子供の頃、「どうして人間は、歳をとると、能力が衰えていくんだろう?」という事が不思議でした。
なぜなら、爬虫類など、多くの動物は、歳をとって衰えるどころか、死ぬまで成長し続ける生き物もいるからです。
だから、大人になって、時間やお金を自由に使えるようにはなりたかったんですが、歳をとって衰えて行くことは怖かったんです。
でも、心理学を学んだ今、人間が歳をとって衰えて行くことは、もしかしたら、この「相互依存」と言われる、許し合い、認め合う事を学ぶ為に必要な事なのかもしれないなと、私は思いました。
なぜなら、自分が何にも出来なくなって来たら、嫌でも自分が出来ない事を許し、人の出来ることを認めていかなくてはいけませんからね。
今回は、子供もの頃に感じた気持ち、「大人はいいよな~。」から、そうなって見た今、思うことを書いてみました。
ちょっとした読み物として、「ほぉ~。」とか、「へぇ~。」とか、思ってもらえたら幸いです。
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