我が家の味

暖かくなって来ましたね。
カウンセリングサービスのあきやまです。
この原稿を書いている今は桃の節句で、料理家、土井勝先生の書かれた本を手にちらし寿司を作っています。
そう。
息子さんの土井善晴さんではないのです。
私の実家の母は、非常にマメで料理の上手な人です。
というのも、父が「料理は作れないが味には一家言ある」人だったので、母が若い頃は父のお口にあうよう、物凄く試行錯誤したそうです。
しかも父は美味しい時は何も言わずに黙って食べるのですが、美味しくない時や食べ慣れていない味の時には大っぴらに「美味しくない」と表現する人だったので本当に苦労しただろうなと思います。
私だったら切れて、食事の準備をボイコットしてしまう所です。
その中でも土井勝先生の味付けが父のお気に召したようで、実家には土井先生出演の「きょうの料理」で紹介されていた料理を一つひとつ書き留めた年代物のノートがあります。
御節料理も母が大晦日にこのノートとにらめっこしながら黒豆や伊達巻を作っていたことを思い出します。
お弁当も3色彩り良く、豪華、とはいいませんがお花見・遠足・運動会などで準備されるお弁当は毎回非常にカラフルでした。
ちなみに母は手間暇かける人ではなく、手軽なもの、便利なものはいち早く取り入れて効率化を図る「主婦の鑑」みたいな人でもありましたから、私は「こんな完璧な人にはなれない」と凹んでいたことも付け加えておきますね。
そんな食事情でしたので、私はほとんど外食をする文化のないまま成人しました。
そして幼いころは、両親のあまり外食をしない習慣に不満たらたらでした。
友達の「夕飯は居酒屋で焼き鳥だった」という話に驚き、「外食」という大人びた習慣に非常に憧れるようになりました。
高校時代がお弁当の生活だったのですが、平日はともかく、土曜日に他の人が学校外のお店へパンやお弁当を買いに行くのが本当に本当に羨ましかったのです。
しかし私も大人になり、一人暮らしをするようになってから居酒屋デビューしました。
感想は「あ、こんなもんなんや」(笑)
実家のフライパンで焼いた焼き鳥の方が美味しいと思ってみたり。
(流石にもっと大人になってから炭火で焼いた焼き鳥を食べた時は感動でした!)
さらに一人暮らしが長くなるにつれ、あれだけ憧れていたコンビニ弁当や惣菜パンの味に飽き、手作りの味の素晴らしさを噛みしめるようになりました。
そして母が作り出す土井先生の味付けが非常に気に入っていることに気付いたのです。
今でも、外食して残念な思いをするぐらいなら、自炊して自分好みの味付けの美味しいものを食べたいと思ってしまうぐらいです。
今だから思えるのですが、母の料理は本当に美味しかったのでしょう。
あれだけ味にうるさい父が、毎日真っ直ぐ家に返ってきて母の作った料理を食べていたのです。
仕事の付き合いで飲みに行くのは、忘年会・歓迎会といった年にほんの数回でしたし、その時は必ず母に「夕食はいらない」といっていましたから。
もちろん、それは定年退職まで続き、退職した今も母の手料理を食べています。
不器用な父なりの、愛情表現なんでしょうね。
そして相手の好みを研究してピッタリのものを出す…母の深い愛を感じます。
さて、味覚というのは、幼少期にどれだけ色んな味を体験したかで決まってくるそうです。
私の味覚は本当に母と土井先生に育ててもらったもののようです。
特に和食は顕著なようで、これに気づいたのは、結婚して毎日料理をするようになってからでした。
普段、料理をする時には、ほとんどクックパッドのレシピに頼っています。
あれ、凄く便利ですよね~。
しかし、洋風や中華は良いのですが、煮物など和風の味付けの物だと、凄く味が濃かったり、甘過ぎたり、しょっぱく感じられて美味しく感じられないのです。
人気No.1のレシピなのになんでかなぁと思いつつ、ふと昔、買っておいてそのまま何年も放置していた前述の土井先生のお料理本で味付けをしてみました。
すると、「あ、これだ」と凄くしっくり来たのです。
その時作ったのはひじきと大豆の五目煮だったのですが、旦那さんも非常に気に入ったようです。
「ひじきの煮物は甘ったるい物が多くて苦手だったけれど、これは美味しい」といって喜んで食べてくれるので、我が家のひじきの煮物はこの味に決まりました。
今、干ししいたけとかんぴょうを甘辛く煮ているのですが、その醤油の香ばしい香りが辺りに漂ってまいりました。
私にとって、母が作る土井先生の味付けは懐かしさと共に、家族に贈りたい愛の形として今も息づいています。
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