僕たち人間には、さまざまな自己概念があります。
自分は正直だ、またはうそつきだ
自分は仕事ができる、またはできない
自分はネクラだ、または明るい
これらは良くある自己評価の例ですが、僕たちの歩みを止めてしまう自己
評価の最たるものが、無価値感です。
自分には才能が無い、価値が無い。
自分には愛される資格がない。
などなど、自分を卑下し、罰していく感情が無価値感です。
そう感じてしまう理由は人それぞれですが、この無価値感は、言葉のごと
く、もっていてもあまり価値の無い感情であると言えます。
それはどうしてか。
答えは簡単、想像してみてください。
例えば、あなたが弁護士になりたいと思ったとします。でも、自分には
その才能が無い、と感じたら、どうなるでしょうか?
「弁護士になりたいと思ったけれど、才能もないし、絶対に無謀だと思
う。だいいち、いろいろ勉強も難しそうだし、自分でやろうという気に
なれない。」
なんていう風に、チャレンジすること、やるぞと決めること、すべ
てが怖くなってもおかしくないし、やる気も出てこないかもしれま
せん。
こういった具合に、悪い自己判断が、僕たちに問題を作っていきます。
今日は、そんな自分を卑下したり、罰するのをやめてみる日にして見ま
しょう。
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自分の子供のころを想像します。
子供のころのあなたはどんな子供でしたか?
どんなところどんなふうにいつも遊んでいたでしょう?
どんなことが好きでしたか?
どんなものをほしいと思っていたでしょう?
そんな子供のころのあなたを見つめて、直感で答えてください。
その子に、どんな才能がありますか?
その子は、愛されるにふさわしくない、と言える子供でしょうか?
そして、今の自分に、こんな問いかけをしてください。
あなたは、この子を馬鹿にしたり、罰したりすることを、したいと思い
ますか?
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このときに出た答えが、あなたにとって、Noであるならば、こう
あなた自身にあなたが約束してあげてください。
もう、自分を卑下したり、罰したりすることはやめようと。
その決意が固ければ固いほど、あなた本来の純粋さが戻ってきます。
その純粋なあなたに、問いかけてみてください。
あなたの問題の解決方法を。
先ほどの弁護士の例で行けば、
「なら、学校でも探せばいいかな?
ネットで探せば案外簡単に見つかるかも?
通信教育でもいいかもしれないし。」
とか。
また、あるいは、彼との関係をうまく行かせる方法、というのを問いか
けたとしたら、
「もっと甘えてみれば?」
「もっとやさしくしてみれば?」
「いちど、じっくり話してみれば?」
「もう別れたほうがいいかもね。」
といった具合の、単純な答えが返ってくると思います。
会社で人間関係がうまくいかない。嫌な人が居る。
ということだったとしたら、
「上司に言ってやれば?」
「いっぺん喧嘩したらいいんじゃないか?」
「実は、自分のことが好きなのかも?」
なんて答えがありえるかもしれませんね。
僕たちは、問題を感じていればいるほど、自分に対して悪い判断を下し
ています。
これも単純に考えてみてください。
あなたが、導き出したその答えに対し、あなたが、どれだけ、
「出来ない・・・」
と思っているか。
また、人によっては、その単純な答えに対し、
「それでいいなら、苦労はないぜ!」
と、逆に腹立たしく感じてしまう人も居るかもしれません。
でもその、腹立たしささえ感じてしまうほど単純な答えを、自分に対し、
試させないように、試させないようにしているか。
このエクササイズは、自己に対して下す判断をやめて、問題をクリアできる
自分を信頼する手助けになると思います。
試してみてくださいね。
from 田村 厚志