そうしたいのにそうできない時には、無意識的または意識的あるいはその両方の心の抵抗があります。
心の抵抗ができる原因は人によりまたは内容により様々ですが、コンプレックスに触れることを避けようとするもの、過去の出来事がまた起こるのではないかという怖れからくるもの、自分が持っている観念やルールにより制限するものなどです。
どんな原因や内容であっても心の抵抗を乗り越える方法はありますが、その時に大切な事は、自分で心の抵抗を乗り越えると選択する事、そして諦めない事です。
諦めてしまえば、それは失敗に終わりますが、諦めずに続けていると、やがて道は自然と切り開かれていくものです。
◎リクエストを頂きました◎
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メルマガを読んでいて、「抵抗があるかもしれないけれど、自分からこうこうするといいです」とよく書かれていますが、抵抗なんてものじゃない位の抵抗感があります。
それは負けた感、完全なる敗北、惨めすぎて生きる価値なし、これを言うくらいなら死んだ方が断然まし、自分が自分でいれなくなる感じです。(もともと死にたいからかもしれませんが)
そのため、どうしてもどうしても自分から言うことはできません。
この感じは何なのでしょうか?
これが全てにおいて立ちはだかり、何ものりこえられそうにありません。
この感じの正体は何なのでしょうか?
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病院嫌いの人がたまにおられます。
熱があっても、どんなにしんどくても「絶対に病院には行かない」と周囲の助言や説得をはねつける人です。
注射が怖いのか、あの病院独特の雰囲気が性に合わないのか、はたまた以前に何か問題があったのかわかりませんが、とにかく病院には行かないと心のどこかで決めているのですね。
でも、例えば痛くてどうにも我慢できないとなると、そういう人でも多くの場合は病院に行く事を選択されます。病院を怖れているより、今の痛さを何とかしたいとか、病院に行く怖れよりもこの先自分がどんなに苦しむかの怖れの方が大きくなったからです。
病院には行かないと心に決めているのが抵抗、そして抵抗しきれなくなって病院に行く事を選択するのが、心の準備ができてその抵抗を打破したという形です。
まだ抵抗している状態の方が楽な場合、抵抗があることは避けて通ろうとします。しかし、追い詰められて抵抗する事が苦しくなると、その抵抗を放棄して宗旨替えを行うのです。
何かをする事に対して心の抵抗ができる原因は人や内容により様々です。
感情を伴った心の渦であるコンプレックス(例えば、兄弟姉妹間に生じるカインコンプレックスや、劣等感コンプレックス、エディプスコンプレックス、エレクトラコンプレックスなど)やトラウマなどの過去の心の傷つき、こうしなければならないという観念やルール、それらと密接な関係がある恥ずかしさなどがその原因です。
コンプレックスは自己攻撃の温床であり、それを感じると感情のコントロールができなくなるので、その事を避けようとする心の働きが生じます。そのため、それを感じるような事を引き起こさないような“抵抗”を生じさせます。
リクエストにありました“負けた感、完全なる敗北、惨めすぎて生きる価値なし、これを言うくらいなら死んだ方が断然まし、自分が自分でいれなくなる感じ”は、「競争の世界」に生きておられて自己価値の証明をしようとされているという事です。その世界で敗北する事は自己の存在価値を否定されたり、頑張ってきた自分を否定されるような感じを受けます。
それを感じるのが怖くて、抵抗をしているのです。
このような場合は、人との競争の結果や人に認めてもらうなど自分以外の何かに自分の価値判定を委ねるのではなく、自分自身で自分の価値を認める事です。
そもそも、自分に価値が無いと思う事は、間違いです。
先ずは自己を承認する事から始めることです。
その方法については詳しくは書きませんが、カウンセラーにご相談いただければと思います。
また、過去の体験から来る抵抗は、過去に起こった出来事がまた起こるのではないかという怖れを抱き、それをもう体験したくないと気持ちから抵抗するという事です。
例えば、過去に何かの食べ物で食中毒を起こした場合、その食べ物を敬遠するような状況です。
食べ物の場合には影響が比較的小さいと思いますので無理して食べなくても良いのですが、その過去の経験由来の抵抗が、人間関係や仕事、生活面などで悪影響を及ぼし、人生を楽しくないものにしているとしたら、それは改善した方がいいのではないでしょうか?
過去に起こった怖い体験がこれからも起こるとは限りません。例えば過去にそれを経験した時の状況と今の状況とでは異なっている事も多いですもし、もしあなたの行動パターンや心理パターンがそれを引き起こしていたとしても、そのパターンを変えればいいのです。
そのパターンを繰り返しているのには必ず心理的な理由があります。こちらもカウンセラーにご相談いただければと思います。
最後に、観念やルールですが、「こうあるべき」「こうでなければならない」と無意識に、あるいは意識的に決めている事柄です。
この観念やルールは、誰かに教えてもらったり、自分で学んで身につけたものです。
そして、それに従う事によって自分自身を守ってきた「鎧」のようなものです。
その見方やルールを変更するのですから、ある意味「鎧」を脱ぎ捨てるような怖れから抵抗が出てきます。
観念やルールは少ないに越したことはありません。なぜならば、観念やルールは自分を縛るのみではなく、人をも縛る道具になるからです。換言すれば、自分から自由を奪い、人を裁いたりコントロールしたりする道具になるからです。
私たちが観念やルールを持つのは、それがないと人から批判されるなど自分が傷つく事を起こしかねないという怖れからです。
しかし、私たちの心の中には自然体の自分がいて、そうならないようにバランスを取ることができます。
そういう自分を信じる事で、観念やルールを手放す事ができ、心の抵抗も少なくなっていきます。
以上、心の抵抗には様々な原因がありますが、それを乗り越えるために一番大切なことは自分が楽になるために自身で何を選択するか、という点です。
そしてその選択がたとえ心の抵抗を乗り越えなければならないものだとしても、めげずに何度も何度も挑戦し続けることです。
諦めてしまえば、それは失敗に終わりますが、諦めずに続けていると、やがて道は自然と切り開かれていくものです。
(完)