こんにちは。
社長の平です。
恋愛をすると、男性と女性はどんどん親密になっていくわけですが、その過程で私たちは「自分自身を開示し、相手に理解してもらう」 という作業をしなくてはなりません。
ところが、人は思春期にさしかかると、「自分を隠す」ということをするようになります。そして、それをしつづけてきた大人にとって、心であれ、体であれ、「自分の全部をさらし、愛し、受け容れてもらう」ということは、とても難しく、恐いことであったりします。
なぜなら、私たちがなにかを隠そうとするとき、その裏にはいつも、「きっと嫌われるだろう」という心理が潜んでいるからです。
思春期になると、私たちのだれもが、子どもの体から大人の体に変化ときを迎えます。
すると、自然に意識も自分の体に向かいます。その結果、鏡を見る時間がやけに長くなり、自分の体のアラ探しなどを始めます。
「目が二重じゃないのがいや‥‥」、「鼻がもう少し高ければいいのに」‥‥などと、自分にいろいろとケチをつけるようになるのですね。
そして、そのいやな部分をなんとか隠し、よく見せようとしはじめたりするわけです。
また、自分を隠しておける場所として、「自分だけの部屋がほしい」、「私のプライバシーを尊重してよ」などという要求が出てくるようにもなったりもします。
この時期からなぜか、自分自身を人から隠す必要が生じてくるわけですが、隠さなければならないものは、ほとんどの場合、よいものではないはずです。
つまり、この思春期のころから、私たちは自分のことを、「あまりよくないもの」、「愛されるに値しないもの」であるかのように扱うようになるのです。
さて、好きな人ができ、おつきあいしたいと思ったとしたら、相手のことが知りたくなるし、自分のこともよく知ってもらいたいと思うようになります。
恋愛という、二人が親密さを深めていくプロセスは、つまり、私たちが心理的に人から距離をとっていったプロセスでしてきたことの、逆の行為をすることといえるわけですね。
それまで、私たちは「恥ずかしい」という気持ちによって、どんどん自分を隠し、閉じこめてきました。ところが、恋をして、おつきあいを始めるときは、隠していた自分をどんどん開いていかなくてはなりません。
そのすべてが「恥ずかしい」という気持ちとの戦いになっていくわけです。
たとえば、おつきあいがしたくて、「あなたのことが大好きです」と言うのが恥ずかしい。離れていた手と手をつなぐのが、恥ずかしい。
くちびるとくちびるを合わせちゃったりするのは、ものすごく恥ずか しい。
さらに、服を脱いじゃったりして、自分の全部を知られるのは、超恥ずかしい。みんなには、ぜったい隠しておきたいところまで見られちゃうのは、これまた、もっと恥ずかしい‥‥。
つまり、恥ずかしいことだらけなのです。
でも、なぜ、そんな恥ずかしいことを越えていけるのでしょう?
それは、これまで「恥ずかしい」の裏に隠れていた、「私はきっと嫌われる」という思いが、「私のことを、きっと愛し、受け容れてくれるはず」という思いに変わっているからです。
もちろん、この思いがなければ、恥ずかしさを越えていくことなどできないのです。
大好きな人の愛を確信することによってのみ、私たちは心理的な恥ずかしさを越え、親密な関係を築いていくことができるようです。
そして、「どんな自分を見せても、愛してくれるのはこのパートナーだけなんだ」という思いが、二人の絆をさらに強くしてくれます。
人を好きになるとき、私たちの気持ちの奥底では、こんな恥ずかしさとの戦いが繰り広げられているのです。
では、次回の恋愛心理学もお楽しみに!!