私達が当たり前のように持っている「寂しさ」。その心理学的なアプローチと癒しのエクササイズです。
今回もMini Columnから生まれたネタです。
リクエストありがとうございました。
寂しさ、孤独感ってのは僕の得意ジャンルのひとつなんですよね。
講座などでもよく「つながり」をテーマにしてますけれど、自分自身がすごく欲しかったもので、だから、色んな形で学んできたテーマなんですね。
寂しい、淋しいと漢字も2種類あり、さびしい、さみしい、と読み方も複数あります。
人それぞれ違ったニュアンスで捉えているものだと思いますが、ここでは僕の呼び方「寂しい」(さびしい)に統一させていただこうかな、と思います。
寂しさの作り出すもの
寂しいと僕達は道を見失うことが多いです。
その気持ちは本当に切実なので、何かで埋めようとするか、見ないように一生懸命抑圧してしまうものです。
後で詳しく書こうと思いますが、この寂しさというのはとても古い感情であることが多く、そのため、抑圧していることすら“当たり前”になっていることが少なく無いんです。
カウンセリングの中で、感情を一つ一つ見ていくことがあります。
ちょうど地層を掘り下げていくように、色んな感情が次から次へと出てきます。
そうすると、深い寂しさや孤独感、寂寥感といった感覚に出会うことがあります。
でも、そのとき、ご本人は「何も感じません」ておっしゃることが多いんですね。
もちろん、それは嘘ではありません。
でも、そのとき、カウンセリングルームを満たす空気はひんやりとした、冷たいものだったりするんです。
(その空気を感じて、ああ、今、すごい孤独感や寂しさを感じていらっしゃるんやなあ・・・と僕は思うわけです)
その感覚、その空気がその方にとっては当たり前すぎて「何も感じない」ようになってしまっているのかもしれません。
以前、何かで書いたことがあるような気もするんですけれど、都会は時に街全体がその感情を包み込んでいることもあるようですね。
昔、まだ受験生だった頃、東京の友人宅に居候していた時、なんでこの街はこんなに寂しいんだろう・・・って感じたことを思い出しました。
人はたくさんいるのに、なぜか寂しい。
一人の時の寂しさよりも、二人の時の寂しさの方が何倍もこたえますね。
色んな問題もその寂しさがベースになっていることが多いです。
浮気や離婚の問題、ワーカホリック、アルコホリック、セックスや恋愛依存症などもそうですし、男女関係でも、対人関係でもこの感情は色んなシーンで出てきます。
それが罪悪感を作ったり、分離感(人の輪から離れてしまってる感覚)や孤独感として、心をきゅーきゅーと締め上げたり。
寂しさ、はなぜ必要なの?
この世に無駄なものはないとしたら、寂しさという感情にも必ずその目的があります。
そういう目で見ていけば、悲しみや嫉妬、怒りや罪悪感といった感情にもちゃんと目的があるんですね。
感じたくない気持ちだから、抑圧したり、我慢してしまうものですけど、ネガティブな感情にもきちんとその目的や役割を見出すこともできるんです。
寂しさがあると・・・人恋しくなりますね。
人でなくても、ペットや観葉植物、何か「生きているもの」が欲しくなります。
一人暮らしされている方なら、その気持ちは分かるかもしれませんね。
ハムスターや熱帯魚でも、何か傍に動くものが欲しくなりませんか?
その息遣い、その動き、その存在感、を感じたいのかもしれません。
同時に、自分が必要とされている実感を求めたくなることもあるでしょう。
(だから、二人でいるときの寂しさの方が、一人でいる時の寂しさよりも強くなるのでしょう)
つまりは、寂しさという感情は「自分の存在を認める」ためにあるようです。
逆に、自分自身の存在が認められなかったり、また、誰かの存在を感じられなかったりすると、寂しさという感情が出てくるんですね。
カウンセリングサービスのコンセプトのひとつに“Alive~生きている実感を~”というものがあります。
ホームページのトップページに謳っているアレですね。
寂しさがあるからこそ、Alive(生きてる!)を感じられるのかもしれませんね。
そうして、何かと繋がりたくなっていきます。
これも寂しさの大きな目的のひとつですね。
もし寂しさが無かったら、この世に友達やカップルなんて必要ないんじゃないか?という人もいるくらいです。
そうして得た繋がりはとてもかけがえのないもののように感じます。
その存在に喜びを感じたり、
大切にしよう・・・と心に誓ったり。
でも、その寂しさをどんどん抑圧してしまったとしたら?
我慢してしまったとしたら?
抑圧して感じなくなったとしても、ただ、感覚が麻痺しているだけで、その感情がなくなったわけでは無いですね。
だから、より刺激の強い形の繋がりを求めるようになります。
それが恋愛やセックス、ギャンブルやハードワークなどの強い刺激を求めさせるのかもしれません。
寂しさのルーツは?
寂しさがどこから来たのか?というと色んな考え方が出来るのですが、一番初めは、お母さんのお腹から出たとき、と言われます。
つまり、お腹の中ではお母さんと一体だったのが、生まれることで、お母さんから分離します。
ずーっとくっ付いていたのが、離れるわけですから、そこで分離感というものを感じます。
その分離した瞬間に感じ始めるのが寂しさ、というわけです。
また、例えば父親が仕事が忙しくて家を開けがちだったとすれば、お父さんがいない寂しさを感じるものですね。
特に幼少の頃は思考がまだ発達していなくて、ほとんどが感情ですから、その寂しさもまた強いものだろうと思うんです。
でも、あまりに寂しかったりすれば、それが当たり前になって、だんだん麻痺していきます。
そうすると、寂しいのに寂しさを感じられなくなっていくんです。
これは心の防衛本能の一つなのかもしれません。
また、成長するに従って少しずつ親から距離を取っていきます。
躾の段階、第一次反抗期、就学、第二次反抗期、そして、やがてはひとり立ちしていきます。
その親から心理的に離れたところで、また誰かと繋がりを持ちたくなる(つまりは“寂しい”)と恋をするようになります。
親密な友達が欲しくなったりします。
そして、恋人が出来ればまたお互いの距離を縮めていき、肉体的な繋がり(つまりはセックス)へとたどり着くわけです。
そして、パートナーシップでは、さらに深い繋がり(精神性、絆)を求めていきます。
そして、喧嘩したり、仲直りしたり、別れたり、くっついたり。
僕達の人生を見てみれば、そんな分離と統合を繰り返すんですよね。
その原動力となるもののひとつが「寂しさ」という感情なのでしょう。
寂しさと向き合い、乗り越える秘訣
そんな寂しさを受け入れていくことが大人になる一つのイニシエーション(儀式)のようなものかもしれません。
子どもは寂しいことを受け入れることはできませんものね。
その感情を乗り越える秘訣は、自分の足元を見つめ続けること(地に足を着けること)、人を大切にしようと思う気持ち、つまりは優しさ、愛情ではないかと思っています。
誰かに何かを与えたい(話しかける、手紙やメールを書いてみる、など)気持ちがその寂しさから抜け出させてくれます。
つまり「自分から繋がりを求める」ことが一番の鍵ですね。
実際に繋がりが得られるかどうかは別にして、その姿勢が少しずつ寂しさを埋めてくれます。
待っていても何も変わらないから、自分から繋がりを求めていく。
相手から伸ばされた手を掴むことも一つの方法ですが、自分から手を伸ばすことはより大きな繋がりを感じさせてくれます。
“自分から・・・”となるわけで、だから、大人へのイニシエーションかな?なんて考えるんですね。
でも、そこではとても勇気が要りますね。
拒絶されたらどうしよう・・・。
受け入れてくれた後はどうしたらいいの???
そんな不安や恐れもやってきます。
でも、まずはあなたから手を伸ばすこと、これを意識してみて下さい。
寂しさを癒すエクササイズ
まずは、その寂しさと向き合ってみることにしましょう。
目を瞑って深呼吸しながら、あなたと今、繋がりが切れてしまった人たちを思い浮かべます。
一人、二人、、、何人思い浮かべてもかまいません。
中には怒りや憎しみを感じさせる人もいるでしょう。
また、悲しみや懐かしさを覚えさせる人もいるでしょう。
そんな気持ちをただ感じながら、彼らの笑顔を一つ一つ想像してみてください。
どんな気持ちになるでしょうか?
胸がきゅーっとなったり、
どきどきしてきたり、
あるいは、カーッと体が熱くなるかもしれません。
もしかしたら、それがあなたの“寂しさ”なのかもしれませんね。
そうしたら、彼らの一人一人に対してあなたから近づいてみましょう。
イメージの力を使って、一歩一歩彼らに近づきます。
怖くても、不安でも、恥ずかしくても、怒りで狂いそうになっても大丈夫。
その気持ちをただ感じながら、足元を確かめながら一歩一歩近づいてみます。
そして、その人をただ抱きしめてみましょう。
言葉も必要ありません。
ただ、ぎゅっと抱きしめてみて下さい。
虚しさがやってきたら、その虚しさが無くなるまで抱き続けてみて下さい。
寂しさが強くなったら、その寂しさが親密感に変わるまで抱き続けてみましょう。
そして、その人の体温を感じ始めたら、またその人と一緒に、次の人に向かって歩き始めます。
今度はさっきよりもやりやすいんじゃないでしょうか。
そうして、一人一人全員を抱きしめ、自分の心がぽかぽかと温かくなっていくのを感じてみます。
それが“繋がり”という気持ちです。
ただ、その気持ちをかみ締めてみて下さい。
そして、その気持ちのまま、目を開けてみて下さい。
もし、できるなら、その繋がりを感じられた人に宛てた手紙を書いてみましょう。
もちろん、出さなくてもいいですよね。
中には出したくても出せない人だっているはずですから。
※※※
もちろん、これはエクササイズですから、これですべてが癒される・・・とは僕も思いません。
慣れないうちは時間がかかってしまうものですし、何も感じられないかもしれません。
繋がりを拒絶してしまうに十分な痛みが心にあるのかもしれませんし、また、誰も思い浮かばないかもしれません。
また、誰と繋がりが切れているのか分からなかったら、まずは自分の両親でチャレンジしてみましょう。
それはそれで構いませんから、続けてチャレンジしてみてくださいね。
もし、痛みが強すぎるな・・・と感じたら、誰かの手を借りて、その痛みを癒すのも一つの手かもしれません。
寂しさを乗り越えると、そこにはかけがえのない繋がりがあります。
それを皆さんも手に入れられますように。
読者の方からご質問を頂きました。
ご本人に許可を頂いて紹介させていただきます。
こんかいのメルマガ、何回か繰り返し読みました。孤独感と孤立感はどう違うのでしょうか… 孤独だけれど孤立していない…そのような感覚… でもとても孤独を強く感じてしまいますが… いつか機会がありましたが教えて下さい。 (Rさんより) |
いいご質問ですね(^^) 感じている気持ちについては、それほど差はないかもしれません。 同じ状況に置かれたときに、ある人は「孤独」と感じ、 ある人は「孤立」と感じるものかもしれません。僕としてもそれほど厳密に区別しているわけではないのですが、 感覚的に見ると、孤立するには、何かのグループや、 仲間などの、何かの存在があって成り立つものですよね。 それに対して、孤独というのは、そういう状況に関わらず、 だから、孤独というのは「ひとりぼっち」という感覚、 ただ、どちらも感覚的なものなので、人それぞれ感じ方も 参考になれば幸いです。 (根本裕幸) |