株主総会から考える「ファシリテーション」

近年、「ファシリテーション」という言葉を自己啓発や人材育成、組織開発や企業研修の場で耳にすることが多くなりました。ファシリテーションはもともとラテン語のfacilis(簡単に為される)の派生語で、会議の「ファシリテーション」と言えば、「スムーズに話し合いを促進し、円滑に議論にたどりつくよう支援する」という意味になります。

株主総会は、社長をはじめとする取締役を任命し、会社の利益分配にあたる配当金の額を決めるなど、会社を経営する上で最も重要な会議ですが、実際には、事前準備の段階で、議案に対しては過半数の可決票がとりまとめられているので、当日は、型通りに説明して、質疑応答の時間を適当にとり、採決の結果を読み上げる、というイベントになっています。

ところが、この型にはまった、これといった「議論」のない総会が、面白いほどにその会社の姿を映し出します。株主総会の「ファシリテーション」を通して、経営陣が株主にどんなメッセージを発しているか、具体例で見てみましょう。

まずは、この「イベント」を「少数株主と直接コミュニケーションする機会」と捉えるN社を見てみます。N社は、カリスマ創業社長が一代で築いた、今や世界中に工場をもつ部品会社です。業績も好調なのですが、ここ3四半期の株価は低迷していて、総会の日に集まった個人株主には含み損を抱えている人も少なからずいたようでした。

そんな株主の「不安」を見越して、総会が始まるや否や、なぜ今、この会社の株が売られているのか、そして、なぜそれが「バカなこと」なのか、というところから社長は熱弁をふるいます。さらに、ここにも、あそこにも成長のタネがある、と将来ヴィジョンを描きます。

株主が、「本当かしら?」という顔をすれば、「『ホラ』です」と、また、その「不安」を受け止め、「でも『ホラ』を言っていると、それが『夢』になり、『目標』になる」と「大丈夫。ちゃんとやるから」と伝えます。

私の横に座っている二人が総会の間、話をしています。

A:「私、こちらの総会に来るの、初めてなんです」
B:「いや、私もですわ」
A:「どんなもんでしょうかね。買ったところから株価、下がってまして」
B:「私も、そうですよ。でも、持ってらしたらいいですよ。ここの社長は、株主からの質問をちゃんと最後までああして聞いているでしょう。他の会社は、さっさと時間だからと打ち切りますわ」

心理学では、特に、ネガティブな感情を「あるよね」と認めて受けとめることを「コンテイン(contain)する」と言います。人は、気持ちを受け止めてもらえると安心するし、信頼します。相手がネガティブな感情をもっている時ほど、それをしっかりと受けとめることが、リーダーとしての信頼されるためには必要です。

批判的なものを含め、質問を打ち切らずに、株主の気持ちをエンドレスに聞く、という姿勢に、どうやら株主は「安心感」をおぼえるようです。

これと対照的だったのがT社の株主総会でした。T社は、工場が産業廃棄物を長年にわたり不法投棄していた疑いで、訴訟問題に発展しかねない状況にありますが、これを糾弾する株主質問に対して、社長は、「問題は無いと認識している」という紋切り型の答弁を繰り返すだけで、「審議は尽くされたので、採決に移ります」と社長が言うと、最前列に陣取っているスーツ姿の男性たちが大声で、「意義なし」「了解」と叫び、採決を読み上げてさっさと閉会に持ち込みました。

T社は、目標どおりに議案を可決し、速やかに結論に導いたのですから、ある意味、「ファシリテーション」に成功したとも言えそうです。

ところが、閉会後、私の後ろに座っていた初老の女性が、
「この会社、変な会社ですね」と私に声をかけました。
「ええ、変ですね」と私が応じると、
「ここは、総会には会社関係者しか来ないのかしら?だいたい飲み物も配らないなんて変じゃありませんか?暑い中、わざわざ来ているのに。」と彼女。
「?」私は、内心、(それはおかしくはないぞ)と思う。
「お土産もないし。他の会社は、飲み物とかお土産とかあるじゃないですか」
「あるところもありますけれど、ないところもあります。」と私が答えると、
「でも、変。もう二度と来ないわ!」と大層な剣幕で帰っていきました。

「飲み物が出る」、「お土産がある」ことが大事だとは私は思いませんが、この女性の「怒り」はもっともだと感じていました。

T社は、オーナー一族が大株主ですが、不特定多数の株主とのコミュニケーションを拒否しているかのような会議の進め方に、「他の株主はいなくてもいいのか?」という怒りが湧きあがってきました。この初老の女性は、「飲み物も、お土産もない」ことに、「私は大事にされていない!」というメッセージを読みとったからこそ、カンカンに怒ったのでしょう。意図した結論に無事辿り着いたとしても、少なからずの参加者を不愉快にしてしまうファシリテーションは、不満を将来に先送りしただけということになりかねません。

やはり「会場が質素」「飲み物がない」と株主に叱られたのが、化成品大手のS社。前年度は大幅増益で、工場が被災したにもかかわらず、他地域の工場からの供給で穴を最小限にとどめた、と経営陣はその卓越した経営力を訴えたのですが、

「配当が低い」
「自社株買いで株価を上げる意図は無いのか」
という株主利益への積極的な関与がないことへの不満が述べられ、
「こんなに儲かっているのに、なぜ(総会は)こんなに狭くて質素なところでやっているのか」
「飲み物は出ないのか」
「案内のプラカードが少ない」
など、総会にお金がかかっていないと不満が噴出したのです。

S社の経営陣は、コストを切り詰め、きちんと利益を出したのだから株主は評価してくれてもいいじゃないか、株価が上がらないのは自分たちの責任ではなく、市場の問題だ、と言いたかったのかもしれません。

しかし、会社がどれだけ儲けて利益を積み上げても、配当としてそれが株主のもとに払われなければ、あるいは、株価が上がらなければ、何のメリットもないという株主の立場を汲むという点では、不十分だったのかもしれません。「総会の会場が狭くて質素」「飲み物がない」などの瑣末な事柄を、言葉通りに捉え、「つまらないことを要求する」と思うだけでは、株主の本当のニーズを見逃してしまいそうです。

では、儲けさせてもらい、ちゃんと話を聞いてもらい、お土産があれば、株主は大事にされたと感じるのか、と言えば、そうでもありません。

建設機械大手のK社は、業績も絶好調で、株価も右肩上がり。株主総会に来た株主も儲かっていてさして不満はない、はずが、株主質問に移ったとたん、

「私が会場に入ってきて、若い社員に『この総会は何時までだ?』と聞いたら、『○○時まで会場をとってあります』と答えたぞ。株主からの質問を打ち切って、(短時間で)総会を終わらせようとしているのか?」という怒りの声が上がりました。

続いて、
「配当が少ない」という、株主側からの不満が述べられると、別の株主が、
「いや、配当はこれでいい。子供の小遣いをいったんあげるとお父さんのお給料が厳しくなっても下げられるものではないから」という経営寄りの意見が出されます。
「いや、国際比較すれば、もっと出してもいい」と応じる第三の株主。すると、
「私たちは外国人ではない。日本人だ。今は、配当が欲しいと言ってはいけない。震災の被災者のためにできることをもっと会社は考えなければいけない」と議論がそれる。
しまいには、
「他の株主を『子供』呼ばわりするのは失礼だ。だいたい議長がちゃんと仕切ってくれないのがいけない」と、怒りの矛先は、この会議のファシリテーターである、議長、つまり社長に向かいます。

単に話を聞けばいい、ということではない。一人一人の言い分を聞くと同時に、会議の参加者がお互いの主張で傷つかないように配慮してほしいという、リーダーであり、この場合ファシリテーターでもある社長への期待がここには見え隠れしています。

よくファシリテーターは中立であるべきだと言われますが、「中立」でいるために介入せずにいると、メンバーは、むしろ中立に扱われたと感じられずに、批判はファシリテーターに向かう、という好例です。

こう見てくると、ファシリテーションの成否は、グループの、参加者自身も必ずしも気づいていない、無意識にあるニーズをどれだけ拾えるか、ということだと言えそうです。そして、その「隠れた」ニーズの最たるものは、「自分の存在は大事だと感じさせて欲しい」ではないでしょうか。

参加者が「自分の存在を大事にしてもらえた」と感じられるためには、ファシリテーターが、参加者の気持ちを「受けとめる」「味方になって守る」ことで「安心感」を感じてもらうことが、必要な条件になりそうです。

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