「わがまま」になると人に迷惑をかけてしまう、嫌われてしまうと私達は自分の欲求を我慢しがちになります。
我がままを手放し、自由になるための講座です。
自分が好きなことをやったり、欲しいものを欲しいということに対して、私達の多くは
「それって我がままになってしまう」
と禁止(我慢)してしまうことが多いようです。
自分のまわりに一人くらいは自己中心的な人がいて、いつも我がままを振りまかれて苦労してたりすると、更に自分の欲求は抑えてしまい勝ちですよね。
よく「好きなものリストを作って見ましょう」とか「したいことにチャレンジしてみよう!」というカウンセリングをしているせいか
「自分がしたいようにしたら我がままになってしまいませんか?」
というご質問を頂きます。
わがままと自由は履き違えやすいものですから、今日はその違いをご紹介したいと思います。
●我がままが人に迷惑をかけるわけ
我がままというのは、その音の通り「自分の思うがまま」という態度です。
とすると、人間ですから誰にでもあるものと言えますね。
恋愛にしても、夫婦生活にしても、仕事でも、対人関係でも、自分が思うとおりになったら楽なのになあー、こんなに悩まないのになーと誰もが思っているものです。
でも、それを口に出したら誰かに迷惑をかけてしまう、人から嫌われてしまうと思うので、ぐっと我慢して何も言わないようにします。
ところが、我慢してしまうと、その欲求は心の中に溜まっていきますから、いけないと思いつつ、ついつい大切な人の前でそれを思い切り出してしまうようになります。
それで「お前はわがままな女や」と拒絶されて傷つき、自己嫌悪してしまうんです。
我慢して抑えてた分、出るときは一気に、強力に噴出しますよね。
でも、ちょっと立ち止まって、そんなとき、どんな風に伝えているのかを考えてみましょう。
例えば「彼ともっと一緒にいたい」という気持ちがあったとしましょう。
でも、あなたは「それは私のわがままだから」と我慢してるとします。
我慢の仕方にも色々あって「彼は仕事が忙しいんだから」とか「私のために頑張ってくれるんだから」とか理性的な理由を付ける場合もありますし、「自分は付き合ってもらっている立場なんだから」とか無価値感を感じて、押さえ込んでしまうこともあるでしょう。
ともかく、そうして抑圧された「もっと一緒にいたい」という感情は時が経つにつれて心の中で発酵・熟成されていきます。
そして更に「彼は私のこと本当は好きじゃないんじゃないの?」という不安、「一人になるのはイヤだ」という怖れなどがミックスされると、元々あった「一緒にいたい」気持ちは余計表に出られなくなり、よりきつく心の中に溜め込まれていくようになります。
そんな時には怒りや不満もふつふつ沸いて来ますよね。
「私がこんな気持ちでいること、きっと彼は分かってないんだわ。だから、あんな風にいつも調子よく振舞えるんだわ。鈍感男め!」
と呪文すら唱えてしまうかもしれません。
この怒りが突破口になりやすいんですが、そこでもう押さえきれなくなった気持ちは、
「何でもっと会ってくれへんの!?(怒)」
という台詞になってしまうんです。
これは「私と会うことがあなたは当たり前なのよ」とか「あなたはもっと私のことを気にかけるべきだわ」という“要求”のように相手には聞こえます。
そして、まるで請求書を突きつけているような感じになってしまうんですね。
それで「(俺の都合も考えないで)お前は我がままだ」と言われるに至るわけです。
恋人から請求書を突きつけられて「おぉー、さんきゅー!悪かった、悪かった」と受け止められるのはロマンスの間だけで、たいていの場合は切れるか、興ざめしてしまうか、焦ってあたふたするかのどれかになるでしょう。
最初は「もっと一緒にいたいの」という自然な気持ちだったのに、「何であってくれへんの?」という請求に変わってしまったとしたら、本来望んでいた気持ちとは、真逆のものが手に入ってしまうのかもしれません。
●我がままの背景にあるもの
どうして「一緒にいたいの」が文句や不平・不満に変わって行く背景には、そもそもどうして我慢してしまったんだろう?という問題があります。
かわいらしく「一緒にいたいの」って言える自信がない方も少なくないのではないでしょうか?
(特に男性や自立的な女性は)
私はかわいらしくないから、とか、私のキャラに合わないから、とか、そういう理由をつけてしまってるかもしれません。
じゃあ、どうしてかわいいと思えないんでしょう?
大人でも無邪気な人はみんなから愛されるって頭では分かるのに。
それは自分の無邪気さを禁止してきた歴史があるからかもしれません。
多くは親子関係で、その後、学校での人間関係で。
無邪気さだけでなく、子ども時代に何の気なしに望んだものを拒絶されたり、禁止されて来た分だけ、私達は自分の欲求に蓋をするようになります。
そして、自分の欲求は叶えられない、満たされないものと思い込むようになるんです。
「叶えられないんだったら、最初っから我慢した方がマシ」
「欲しいと思う分だけ、取り越し苦労するんだから、そんなこと思わない方が良い」
なんて思うこと、ありませんか?
例えば、お母さんが何でも一方的に決め付ける人だったとしましょう。
冷蔵庫にプリンとゼリーが入っていて、あなたは「プリンが食べたいな」と思ったとします。
そこでお母さんが「プリンとゼリー、どっちがいい?」って聞いてくれる人ではなく、「はい、今日はゼリーにしなさいね」と決められてしまったとしたら、“プリンが食べたい”と思った気持ちは行き場を失いますね。
おやつだけでなく、あらゆる面でそうした自分の欲求や意志を受け入れてもらえないな、と感じたら、やがてあなたは自分の欲求を持つこと自体を諦めてしまうでしょう。
そうして「『一緒にいたい』って言っても、どうせ聞いてくれないし」という一種の“諦め”を持つようになるんです。
でも、その一方で「一緒にいたい」という気持ちに嘘はありませんから、強い葛藤が心の中に芽生えます。
「一緒にいたい」vs「どうせ叶えられない」の争いです。
私達はずっとこの葛藤に苦しんでるといっても過言ではないのかもしれません。
そこで、「一緒にいたい自分」を満たしてあげたいと思えば、諦めようとする自分を納得させる必要が生じますね。
「拒絶されたらまた傷つくよ。我慢した方がいいって」という諦めの気持ちを宥めるには相手が「No」と言えないような言い方、もしくは環境を作るしかなくなります。
だから、請求書になり「我がまま」になってしまうんです。
また、そこで直接不満として伝えるだけでなく、
「最近さあ、恋人にしては会う回数少なくない?普通はもっと一緒にいるよね?」
なんて風に、遠まわしに表現してしまうことだってあるかもしれません。
テクニックを駆使して、詰め将棋のように相手を追い込んでいくようなスタイルを摂ることもあります。
そうすると「一緒にいたい」って気持ちを伝えたいだけなのに、まるで誘導尋問をする警察官になってしまうかもしれません。
どちらにせよ、言ってる本人も、聞いてる相手も変な雰囲気になってしまうんです。
我がままを言ってしまう背景にはこんな感情の流れがあるんですね。
●自由であるということ
我がままが人を遠ざけるのは、そんな風に自分の欲求を相手に満たしてもらおうと要求したり、「あなたの支払いだからね」と請求するときに起きます。
でも、その一方で「自由である」ということは、自分の欲求に素直で、無邪気で、抗い難い魅力として表現されます。
かわいらしい表現になったり、毅然とした態度になったりして、自然に相手に受け入れられるコミュニケーションを可能にしてくれます。
相手に「もっと一緒にいたいなあ」と感じさせてあげることができるんです。
そこで彼は迷惑に感じるどころか、もっとあなたにロマンスを感じてくれるでしょう。
パートナーシップ以外でも、自分の欲求を素直に表現することは、周りの人に一風のすがすがしさを感じさせることができます。
我がままな人と自由な人では、表現しようとしている目的や内容はそれほど変わらないんですね。
でも、その言い方や表情、相手に伝わる気持ちなどがまったく逆なわけです。
我がままは相手を締め付けます。
でも、自由であるということは、相手を解放してあげられる力を持つんです。
「あ、そういうこと言っても大丈夫なんだ」
とか
「そっかー、そういう気持ちもあるよなあ」
などの“許可”や“受容”を与えるコミュニケーションにもなります。
●我がままな人、から、自由な人へ。
多くの人は「我がまま」=「私の欲求」と思い込んでしまいます。
これは幼少時代の躾から続く、長い歴史がありますね。
まずは、この図式を崩しましょう。
そのためには
「我がままは人に迷惑をかけるかもしれないけれど、自分の欲求が人を困らせるわけではないんだ」
ということに気付くことです。
多くの人は「誰かの役に立ちたい」と思う面も持っています。
だから、上手に頼まれたり、甘えられたら、それを叶えてあげたいと思うことも少なくありません。
要求に応えるのは「義務」のような感じがしますが、甘えられたら応えてあげたいと思うのは男性、女性に限らず自然なものだと思いませんか?
そして、そのことに気付けたら、次は、あなたが今持っている欲求を素直に受け入れてあげることが大切です。
これは今まで諦めたことが多い分だけ難しく感じるかもしれません。
最初にお話した「自分がしたいことをしたら我がままになってしまいません?」という質問が生まれるのも、ここですね。
例えば「あなたが今パートナーにして欲しいと思っていること」を5分以内に10個以上書き出して見てください。
出てこない方は、それくらい欲求を自分の見えないところに隠している(諦めてしまっている)か、相手にそれほど興味を持っていないかのどちらかだと思います。
そして、出てきたリストを眺めてみましょう。
強い不満や怒りを伴うものはありませんか?
もし、そんな要素があったとしたら、それは請求書になりうるものですから、その気持ちときちんと向き合って見ましょう。
「本当に欲しいものって何だろう?」
「私が禁止している気持ちって何だろう?」
そんな風に自分の心を見つめながら、一つ一つ、それを望む自分を許してあげましょう。
場合によっては、過去の対人関係に遡って自分を許してあげる必要があるかもしれません。
「あの時本当はプリンが食べたかったんだよね」って幼い頃の自分を受け入れてあげたり、決め付けてしまうお母さんを許してあげたり。
「欲しい」と望むことが悪いことではないんですね。
それを我慢することこそが、後々自分を苦しめてしまうんです。
パートナーに対する以外でも、自分が欲しいと思うものを聞かれてすぐに答えられるのが理想です。
たくさんたくさん、そして、できるだけ具体的に。
そうして自分の欲求に素直になればなるほど、あなたは自由になっていけるのです。
それだけで心は解放され、そしてわくわくどきどき、イキイキしていきます。
子ども達は欲しいものがたくさんあります。
だから、いつもキラキラした目をしているのかもしれません。
それが手に入る、入らないではなく、望むことが心を自由に解放してくれるんですね。
欲しいものがいっぱいあってわくわく、イキイキするよりも、多くを望まないように禁止してる方がよほど心の健康に悪いと思いません?
自分の中の「我がまま」に対する誤解を解いて、自分の心を自由にしてあげましょう。
そして、欲しいものを素直に「欲しい」と言える自分になっていきましょう。