相談者名 | marsha |
私はとある宗教団体で職員をしている26歳です。 「いい子」であり、「いい人」でいるのが疲れました。 最近自分の職業に疑問を感じています。聖職者として、自分を犠牲にして相手の事を第一に尽くそうという職業ですが、人を幸せにする職業なのに、自分はまったく幸せを感じられません。「努力」「犠牲」「苦労」ばかりが重要であり、自分の「幸せ」「安定感」「安心感」というものを感じずに生きて行きました。 親が入っていた今の宗教に、私は10歳で入信し、当時悩んでいた私の悩みを支えてくれた宗教でしたが、どちらかと言われれば宗教にいる大人の顔色をうかがい、親の機嫌をとるために「いい子」として熱心にしていれば、いいやという本心が強かったです。 もう人の幸せだけを追い続ける「いい子」や「いい人」でいることに疲れました。自分の宗教でも「人にやさしく」「人を幸せにしてこそ、自分が幸せになれる」とありますが、「いい子」をやめると人間失格になりそうで、「いい子」をなかなかやめられません。信仰している家族と不和になりそうです。しかし、自分の幸せをそろそろ追い求めたいです。 | |
カウンセラー | 小倉健太郎 |
marshaさん、はじめまして。 担当させて頂きます、小倉健太郎と申します。文章を読ませて頂いて思うのですが、10歳の頃から宗教に入信され、高校卒業後は、海外まで宣教やボランティアをされていたなんて、本当にご苦労をされてきたんですね? 今回ご相談頂いたのは、そんなにも頑張ってこられたのに、一番大切な「自分が幸せになっていない!」というところを悩まれているからなんですね。 おっしゃるとおり、自分が幸せになる為には、自分の事ばかり考えるのではなく、人の幸せも考え、人を愛する事がとても大切だと思います。 でも、そればっかりやっていて、肝心の自分の幸せを受け取ることが出来なけば、どこかで燃え尽きてしまうのは時間の問題ですね。 そして、その為には、自分自身のありのままのそのまんまを認め、受け入れ、「私は、私のままでいい!」と思えるようになる事が大切です。 話が少し変わりますが、marshaさんは、動物は好きですか? 例えば、猫を見て、「あの猫はいい猫だけど、この猫は悪い猫。」だなんて思ったりしますか? 猫にはいろんな種類がいて、同じ種類でも、臆病とか、好奇心が旺盛とか、一匹一匹違うと思うんです。 でも、それはただ違いがあるというだけで、良い猫、悪い猫の区別ではないですよね? でも、私達は、何故か自分達に対して、「あれはいいけど、これはいけない。」と「良い」「悪い」の判断をしてしまいがちです。 これは、何をしてもいいというのとは訳が違います。 社会の中で生きている以上ルールはありますし、人との関わりの中で、人を傷つける行為や、迷惑な行為もいけない事でしょう。 そういう事では無くて、今のmarshaさんが、今、本当にしたい事はなんでしょう? そして、それを実現していくには、どうしたらいいのでしょう? それを、このルールだらけの世の中でどうやって実現していったらいいのかを考えながら、生きてもらえたらと思いますよ。 >心理学的にどうすればいいでしょうか? もし、これに回答するならば、 「好きにしたらいい。」 これが、答えかなと思います。 私には、marshaさんが何が好きで、どうしたら幸せになれるかはわかりませんし、その答えは、心理学を学んで出てくるものではないでしょう。 答えがあるとしたら、それは、marshaさんの心の中にですね。 だから、どんだけ失敗しても、間違っててもいいから、marshaさんのやりたいように、好きな事を、自由にやってみて欲しい。 だって、「いい子」はもうやめるんでしょう? ここでまた、「いい子」になって答えを自分の心の中以外に求めるなんて、今までの二の舞になってしまいますよ。 marshaさんは、今までもう十分頑張ってきました。 それどころか、実は、この世に生まれ、生きているだけでも、もう十分周りの人を幸せにしています。 marshaさんの悩みが何で、どうして「いい子」にならないと思う程、自分の事を悪く扱ってしまうのか? 私にはわかりませんが、もし、それがどうしてもひっかかって、自由に好きに振舞えないのであれば、よかったらカウンセリングで、苦しい胸のうちを打ち明けて頂いて、心を楽にする事を試してみてもいいかもしれません。 いや、そんな事は、marshaさんのされている宗教の方がお得意かもしれませんね。 今回は、ご相談ありがとうございました。 |