愛やつながりの発想に耳を傾けてみようとした時にしばしばエゴがさわぎだすことがあります。
愛やつながりという発想に抵抗感を覚えたり、「人に心を開いたら傷つくだけだぞ」などとエゴの主張が強くなったりなどします。それはエゴが愛やつながりの選択をさせないようにの抵抗をしているのです。そのエゴの抵抗を乗り越えてハイアーマインドの提案を選ぶことがいるのです。
●エゴの消滅と抵抗、ハイアーマインドの選択
昔、私はハイアーマインドという考え方にとても抵抗感があった時代がありました。
ハイアーマインドなる目に見えない不確定なものは本当にあるのか?と大きな疑惑の目(耳)でハイアーマインドという考え方の話を聞いていました。
あるセミナーで「今ある問題に対しての答えが見つかるかるように、ハイアーマインドに助けを求めてみてはいかがでしょう?」そんな話を聞きました。
ハイアーマインドに答えが降りてくるように頼んでみたり、今ある怖れをハイアーマインドに処理してもらうように心の中で念じて助けを求めてみるというのです。
この話に抵抗感があったのを覚えています。
しかし、その後に目から鱗がポロリと落ちた考え方を聞きました。
「ハイアーマインドの助けを借りてみようと、とりあえずやってみてください。やってみて損するということはないですよね?」
確かにそうだと思いました。目から鱗の言葉でした。
たしかに、やってみてハイアーマインドが答えとなる提案をださなかったとしても、怖れを処理しなかったとしても、それは現状と変わらないだけだから損はないはす。
むしろ、ハイアーマインドの助けを借りてみようと心の中で思ってみるだけで、もし何日か後に答えをひらめいたり、怖れが処理されてしまうことがあればもうけもんですものね。
愛やつながりの発想に耳を傾けてみようとした時にしばしばエゴがさわぎだすことがあります。
愛やつながりという発想に抵抗感を覚えたり、「人に心を開いたら傷つくだけだぞ」などとエゴの主張が強くなったりなどします。それはエゴがさわぎだしているのです。
エゴは恐れに基づいた発想を私たちにささやきます。その声に耳を傾けると恐れの力は大きくなりエゴのマインドは大きくなっていきます。
逆に愛やつながりの発想に耳を傾けていくとエゴはどんどん小さくなっていきエゴのマインドは消滅してしまいます。
エゴは自分が消滅しないように存亡をかけて抵抗をするのです。私たちに愛やつながりの選択をさせないようにの抵抗です。それでエゴがさわぎだすのですね。
今、思えば愛やつながりという考え方に耳を傾けようとしたので、エゴがさわぎだし抵抗感を感じていたのかもしれません。私はエゴの策略にまんまとひっかかってたわけです(笑)
エゴの抵抗を乗り越えて、ハイアーマインドの提案を選ぼうというのは勇気がいることがあります。
例えばエゴは「もう傷つかないように人付き合いは表面的にあわせて、心の扉は閉ざしてつきあおう」という恐れに基づいた提案をするとしたら、ハイアーマインドは「心の扉を開いて人とのつながりを作っていこう、孤独は喜びや幸せを感じられるないよ。つながったり誰かを愛することで喜びや幸せがあるはず」というような愛に基づいた提案をします。
大変な状況の時に自分を開いていくのは勇気がいると思うのです。
例えば、動物なんかはケガをして大変なときは傷が癒えるまで籠ってジッとしていたり、何かが近づくと身を守るために攻撃的になったりします。それは本能ですね。
大変な状況の時にはエゴの発想である、人との距離とり、心を閉ざし(エゴは攻撃的な発想もする)というのは身を守る本能的なものに則しているのかもしれません。
大変なときに自分を開いていくというのは、本能的なことと反対のことをするように思うのです。
心を開いて自分から近づいたり、相手を受け入れたりすることは、とても勇気がいることのように思うのです。
そういう意味では人生を変えるというのは勇気なのかもしれません。
勇気が入りますがエゴの声を手放し、ハイアーマインドの声を選択していくことが人生を良くしていくのにつながります。
傷つかない人生ではなく、愛やつながり、幸せを作っていく人生を選んでいくことがいるのかもしれません。
エゴの声を手放して、ハイアーマインドの声を選んでいけるといいですね。
(完)