浮気をしてもそれほど罪の意識を感じることのない人もいれば、考えるだけでも悪いことをしたようにを感じる人もいるのは何故でしょう?そこには私たちそれぞれが持っている価値観の違いがあるのかもしれません。
私たちが感じる「自分は罰せられるべき」という罪悪感。それは自分の価値観にそぐわないことを「やってしまった」、「罪を犯してしまった」というもっともポピュラーな罪悪感のひとつですが、この「やってしまった」という罪悪感の他にもうひとつ大きな罪悪感の領域があるといわれています。今回の心理学講座リクエスト特集では、そんな「罪悪感」
について、「バチがあたるって本当ですか?」というご質問にお答えしながらお話をさせていただきたいと思います。
◎リクエストを頂きました◎
===================================
疑問というか質問なのですが、バチがあたるって言葉があると思います。
彼は悪い所もいいところもある人ですが、仲よくやれていると思っていました。でも彼には結婚願望がなく私は周りに結婚する気がないなら次探しなよと言われます。
別れる気にはなれないし付き合ったまま出会いを探すとなるととってもバチがあたりそな気がします。人として最低の行為かと・・・
それで出会った別の人と付き合いたいがために今の彼と別れるって事になるのはとても嫌なんです。
現に私は以前の彼ともそんな風にフラれてとっても傷つきました。
それとも傷ついたから、そこにこだわっているだけなのでしょうか。
されて嫌な事はしたくない。バチって本当にあるのでしょうか。
===================================
こんにちは。
ご相談を担当させていただきます、カウンセリングサービスの秋葉秀海です。よろしくお願いします。
「そんなことしたら、バチあたるよ!」。子どもの頃、祖母にそんな風にしかられたことを思い出します。「バチがあたる」「バチあたり」。この「バチ」を漢字で書くと「罰(ばつ)」。つまり、「悪いことをすると、罰せられるよ」ということなんですが、これっていったい誰が罰するのでしょうか。
例えば、スピード違反をして違反切符を切られたとします。こんな時、「あーあ、スピード違反したらバチが当たっちゃったよ」という人はあまりいないでしょう。でも、もし新聞記事で「ひったくり、逃げる途中に転んで大怪我。」なんて見出しがあったら、「人のものを盗ったりするから、バチが当たったんだ」と思う人もいるかもしれません。時に「神様」「仏様」から与えられるものとして描かれることもある「バチ」。それは、私たち人間が定めたルールや法律を超えた、思いもよらないところからもたらされる「罰」といえるかもしれませんが、ルールや法律を超えているだけに「そんなことをしたらバチがあたる」と感じることには個人差があって、そこには私たちそれぞれが持っている価値観が反映するようです。
浮気をしてもそれほど罪の意識を感じることのない人もいれば、考えるだけでも悪いことをしたようにを感じる人もいる。それは私たちそれぞれが持っている価値観の違いがあるからなんですね。
“彼と付き合ったまま新しい出会いを探すのは人の道に外れた最低の行為”と感じるあなたは、”パートナーを裏切ってはいけない”という価値観をお持ちなので、それを破ろうとすると罪悪感を感じ、「バチがあたるような気がする」のですが、こんな時、あなたを責めあなたは罰せられるべき、と感じているのは誰でしょう?
そう、そんな風にあなたを責めているのは実はあなた自身なんですね。だって、その罰せられる基準を作っているのは、あなた自身の中にある価値観なんですから。
私たちが感じる「自分は罰せられるべき」という罪悪感。ここまでお話をしてきた、自分の価値観にそぐわないことを「やってしまった」という罪悪感は「罪を犯してしまった」というもっともポピュラーな罪悪感のひとつですが、この「やってしまった」という罪悪感の他にもうひとつ大きな罪悪感の領域があるといわれています。
それは、「やるべきこをやっていない」という罪悪感。
私たちは自分の価値観にそぐわないことを「したくない」と同時に、価値観に従うことを「したい」とも感じていて、それが「できない」ときに大きな罪の意識を感じるようです。
“パートナーと付き合ったまま新しい出会いを探すのはよくないこと”という価値観を持つとき、私たちが本当にしたいことって何でしょう?それは、パートナーひとりを愛したい、コミットしたいということなのではないのでしょうか。
私たちは、自らの価値観にそぐわないことを「やってしまった」時、自らの価値観に従って行動「していない」時、罪の意識を感じ、自分をバチあたりな存在、と考えてしまうのかもしれませんね。そうだとしたら、”彼と付き合ったまま新しい出会いを探す”ことに罪悪感を感じるとき、その後ろ側にはもしかしたら、”彼にコミットできない”という罪悪感が隠れているのかもしれません。
罪の意識を感じるとき、私たちはその痛みに囚われてしまうあまり、そこにある愛や、やさしさを感じることができなくなることがあります。もしも今、あなたがパートナーにコミットすることができないことで苦しみ、悩んでいらっしゃるとしたら、「なぜできないのか」に思いをめぐらせるよりも、「どうしたいか?」に意識をフォーカスしていくと良いかもしれません。
私たちは、自分の価値観に従って行動したい、生きていきたい、と願っているもの。「どうしたいか?」に意識を向けることは、あなたが本来進みたいと願っている価値観の道へあなたを導く指針になるのではないでしょうか。