私たちは無意識のうちに聞きたいように人の話を聞いています。
自分のことを責めている時は、人の言う言葉はすべて自分を責めているように感じてしまうんです。
そうすると「欠点があると嫌われる」とあなたが感じている分だけ、それを隠し、完璧主義になろうとしてしまいます。
欠点は自分ではなかなか直せないもの、そして、そもそも自分では扱えないもの。それに気付くだけでも少しは心が軽くならないでしょうか?
●私たちは欠点を自分で増幅させてしまう
・・・そういわれても、「でも、やっぱり嫌われるよ・・・」って言いたくなりませんか?
実はここに自己嫌悪の特徴がひとつあります。散々このテーマでカウンセリングをしてきて学んだことのひとつ。
それは「私たちは自分が聞きたいように人の話を聞いている」ということ。
例えば、あなたが勇気を振り絞って友だちに「私って実はすごく暗くて内向的なつまんない性格してるんだ」と告白したとします。
そうすると友だちが「え?あんたが?そんなことないんじゃないの?」って答えてくれたら、あなたはどう思うでしょう?
「そっかー、安心!」とちょっと思うかもしれませんが、すぐに「こんなに長い付き合いなのに、私のことちっとも理解してくれてないんだ」て思ってしまいませんか?
また別の友だちが「えーっ、そうなんだー。でも、あんたにはいいところいっぱいあるじゃん」と言ってくれたとしたら、やっぱり嬉しいけれど、でも、「そんな慰めいいよ、ほんとうは暗い私なんて嫌なんでしょ?」と思いませんか?
更に別の友だちが「実は私もほんとは暗いし、面白いこと言えないつまんない奴だと思っててさ」と言ってくれたら、「あ、おんなじだ」とホッとすると同時に、「でも、この子より私の方がもっと悲惨だから、きっとこの子にも嫌われる」と思ったりしません?
はたまた、別の友だちが「いいじゃん、暗くても、つまんなくても。あたしたち友だちだからさ」と言ってくれたら、素直に「嬉しい」と思う反面、「でも、ほんとのあたしの暗さ見たら、さすがに引くと思う。もう絶対そんなところ見せられない」とか思いません?
そして、もし、話の途中で「そういえば、○○ってさ、何だかジメッとしてて何考えてるか分からないよね?ああいう根暗な奴は付き合いづらいよね」みたいな話が出ちゃったとしたら、「あ、あ、あ、あ・・・(汗)やっぱり私のこと嫌いなんだ」と感じてしまいませんか?
もちろん、これ、あなたの心の状態によると思うんです。元気だったり、うまく行ってるときってのはエネルギーも上がってますし、いい状態だから、自分の欠点もそれほど嫌っている状態ではありません。
でも、ちょっと調子を崩していたり、何かの壁にぶつかっていたり、うまく行かなくて落ち込んでいたりすると、こんな風に思ってしまったりしません?
そして、そんな自分をまた「素直じゃないなぁ」って新たな自己嫌悪を呼び込むことをしてしまいませんか?
気付いていただきたいのは、こういうときって、自ら敢えて責める方向を選んでしまってる、ということ。
確かに心の動きだから、すぐにはどうしようもないんです。でも、こういうとき、慰めたり、励ましてくれたりする友だちのことも「信頼」できないんですよね。
「分かってくれない」って引きこもってもしまいます。
こうすると、自分の欠点を嫌うことで、自己嫌悪がどんどん増幅していくのが分かりますね。
●欠点は自分では直せない。
さて、私たちは「暗かったら嫌われる」と思ったら、「(つとめて)明るく振舞う」という補償行為をするようになります。
言い換えれば「明るい」という“仮面”をかぶるんですね。
そして、仮面がバレたら絶対に嫌われると思うので、そこで「完璧に」隠そうとします。だから、欠点を嫌った分だけものすごく完璧主義になっていくんです。
でも、本来苦手なことをやっているし(補償行為)、完璧主義になっていくからストレスがものすごく溜まるんですね。
でも、そうしていても欠点というものは直らないんです。
むしろ、「本当の私は暗い」って思いはずっと残ると思うんです。
なぜならば、「暗い」を隠して「明るく」してるということは、「暗い」の外側に「明るい」という張りぼてを付けてるようなものだからなんです。
確かに内側にある「暗い」部分は、「明るい」でコーティングされてしまってなくなりませんよね。
だから、そんな風に暗さを隠そう(直そう)として明るく振舞ったりしても、ちっとも自分ではすっきりしないんですね。
だからこそ、「欠点は自分では扱えない」ことを知ってほしいんです。
自分では直せないし、扱えないんです。
(正確には、「欠点を嫌う」、という状態では、「直せない」、ということです。)
もちろん、中には過去、自分の欠点をがんばって克服してきた、と言う方もいらっしゃるでしょう。
それはどうなるの?というと、もし、その欠点をあなたがもう気にしていないとしたら、それはOKです。素晴らしいことですね。
しかし、もし、その欠点を克服したと思っている今でも、どこかに怯え、恐れがあるとしたら、やはり「直った」というよりも、「隠してる」という方がぴったりな場合もあるのです。