今回も癒着がおこす問題を、子ども側の視点からご紹介をさせていただきます。
癒着を手放して前に進もうとした時に、人によっては罪悪感を感じることがあるようです。
しかし自分が幸せになるために前に進もうとすることは悪いことではありません。大切なことです。巣立っていくことは自然なことであり、そうすることでより良い関係を作っていくえるのです。
●キタキツネの話し
癒着を手放して、一人の大人として自由に生きよう、自分の幸せのために生きようとしたときに罪悪感を抱いてしまうというお話をいただくことがあります。
親は子どもと癒着し心理的に子どもを手放していない、そんな親元を巣立って一人の大人として自分の人生を歩むことに罪悪感を感じるんですね。
人によっては、親を見捨てるかのように感じたり、裏切ってしまうかのように感じるほどの、ひどい罪悪を抱く場合もあります。
また、ご本人は意識してないものの潜在的にそのような罪悪感を抱いていたというケースもあります。
そんなお話をいただいた時に例え話として、キタキツネのお話を例え話としてさせていただくことがあります。
キタキツネという動物は、子ぎつねをとてもかわいがるそうです。
いっしょに遊んだり、毛をなめてあげたりと、とてもかわいがるそうです。
子ぎつねが成長して大きくなり、ある時期に親ぎつねは子ぎつねにかみついたり、けったりと攻撃をするようになります。
そうやって、巣から追い出します。
このプロセスを通して子ぎつねは巣からでて、独り立ちをしていくそうです。
しかし、人はそれをしません。できないんですね。
ですんで、一般的には反抗期という力を使って、子どもの方から親と心理的に距離をとり独り立ちをしていきます。
ですので子どもから親もとをはなれて巣立っていくことは悪いことではないんですね。
自然なことなんです。
親から子どもを離せない時は、子どものほうから巣立っていくことが求められます。それは悪いことではないんです。そうやって巣立っていくことで、今度は一人の大人として親と付き合うことができるようになっていきます。
癒着を手放して親と適切な距離をとり巣立っていくことは悪いことではないと知ることは癒着を手放すうえで大切だと思います。そう思えると罪悪感を持たなくてよくなりますから。
潜在的なブレーキをとっていくためにも役立つと思います。
●選択の力
親子関係の癒着が招く問題として親が子どもに干渉しすぎてしまうというケース。それは就職や、結婚といった人生の大きな選択にまでに及んでしまうことがあります。
子ども側も、それを聞かなければいけないような気がしてしまい、本意ではないが親が期待する人生を選ぶことがあります。癒着が起こっていると親と自分の人生の境目もあいまいになり親の希望の人生を歩まないといけないような気がしてしまうことがあるようです。
しかし本意ではないことや、好きでないこと、したいことではないことって楽しくないですよね?
そうすると親のために就職すると今度は自分のために退社をしたり、親のために結婚をすると今度は自分のために離婚をするということがあります。そうすることでバランスがとるんですね。
このようなケースの場合退社になったことや、離婚になったことに”親のせいで”という気持ちを持ちやすくなるようです。
「親がはいれと言った仕事のせいでしんどかった」「親が押し付けた結婚のせいで苦しんだ」というように。
自分の人生は自分で選べるという選択肢がないまま、”親のために・・・”だけになってしまうと、私たちの心はバランスをとるために”自分のために・・・”が欲しくなるようです。
ならば最初から自分のために就職、自分のために結婚という概念をもつことは悪いことではありませんよね?
自分の人生は自分で選んで良いとい概念を持つわけです。
そうやって自分の人生を自分で選んでいくと、自分で選んだことですから、退社や、離婚があったとしても”親のせいで”という気持ちを持たずにすみます。
自分で選んだ人生は自分で責任をとる必要がでてきますが、”親のせいで”といううらみつらみの気持ちを持たなくてもいいというのはメリットです。
このようなことかえらも癒着状態にある親元を巣立ち、一人の大人として自分の人生を自分で選んで日歩いていくことを許していきやすくなるのではないかと思います。
また、自分の人生を生きることは悪いことではないというイメージを持ちやすいかと思います。
癒着を手放すプロセスとして、自分の人生は自分で選んで良いことを自分に許すことや、自分の人生を生きることは悪いことではないというイメージを持っていくことは大切なんですね。
神様が私たちに与えてくれた最大の力は選択の力だという言葉があります。
私たちがもつ選択の力というものは、それほど大きなものだと思います。
親にひっぱられず自分の幸せのために前にすすもうと選択してみると、癒着を手放していく一歩につながっていくんじゃないかと思います。
(完)