仕事もあるし、友人もいる。パートナーもいたりいなかったりするけれど、とりたてて問題がないのに、なぜか生きづらい。
そんなご相談をいただきます。とても「いい人」たちで、社会的に適合されているのにいつも不安がつきまといます。その不安、ひょっとして子供の頃にお母さんの不安をとりこんだのではありませんか?
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「なんだか生きづらいんです」。
カウンセリングにいらした理由はそんな漠然としたモヤモヤ感であることが多いです。
とりあえず仕事もあるし、友人もいるし、家族ともほぼほぼつきあえているし、恋人がいないときもあるけれどいるときもあるから、問題というほどの問題があるわけではないのに、どうしてこんなに自信がないのだろう、というお悩みを聞くことが増えています。男女とも品のいい、育ちのよさそうな礼儀正しい方であることが多いです。
「ほかの人に比べたら、別に苦労したわけでもないと思うんです。だから、私なんかの悩みは大した悩みではないと思うんですけど」とカウンセラーの時間をとることに恐縮されます。本当は、悩みに大きい、小さいは無いんですけれど。
心の問題はすべて主観的なものなので、ご自分にとって「問題」ならば、それは「問題」です。それを解決したいと思われるのは当然ですし、カウンセリングはお役に立てると思うので、選択肢の一つに加えていただけるととても嬉しいです。
子供の頃から、親の期待に応えて勉強やお稽古事に励んできたからか、「できること」は多いのに、どうしても誰かと比べて、「この程度ではダメ」と自分にダメ出ししてしまいます。他人は素晴らしく見えて、その誰と比べても自分は何かで劣っていて、取り柄がないように感じて、自信がもてません。
側で見ていると、気が利くし、人の面倒見もいいし、「いい子」で人気者なのですが、本人的には自分のどこが「いい」のかわからないので、「どうやら好かれているらしい」とは思っても、漠然とした不安がつきまとい、ちょっと物事がうまくいかないと「自分はここにいない方がみんなのためではないか?」と思うほど怖くなります。
「よく気がつくし、みんなに気を配って疲れない?自分が好きではないことは断ってもいいと思うわよ」とお伝えしても、
「喜ばれると嬉しいし、負担ではないです」とおっしゃいます。人に喜んでもらえることが何よりも嬉しいんですね。
だからでしょうか。NOを言うのが苦手なようです。自分がNOを言ったときに、相手の表情が一瞬かすかにくもる、そんなちょっとした痛みにも傷つくくらいに優しいのです。
「いい人なんですよね」とこちらが言えば、首を横に振られます。(こういうときはNOをしっかりおっしゃるんです!)
「いい人って言うか、自分がNOを言われるのがいやなだけだと思います。だいたい、自分に強い意見もないし、あまり人を嫌いになることもないから、なんでもいいんですよ、私は」。
きっと反抗期もお母さんを心配させるようなことはあまりなかったのではないでしょうか。反抗期というのは、親を否定することで自我の確立(「自分は自分だ」という気持ち)をなしとげようという時期なのですが、親(特に母親)があまり幸せそうに見えないと子供は親に遠慮して思いっきりぶつかることができません。反抗期に親との違いを主張しないで過ごすと、一見、問題のない「いい子」なのですが、「どんな自分でも愛される」という経験をしそびれるので、「いい子」にしていれば「愛される」けれどそうでないと「愛されないかもしれない」という不安を常に心のどこかに持ち続けるようです。
「愛されない」と困るから「いい子」「いい人」をやめられない。へんな話、親の安心と引き換えに「不安感」を引き受けてしまったようなのです。
「その不安感、ひょっとしてあなたのものではなくて、あなたが子供の頃にお母さまが抱えていた不安感ではありませんか?」
そんな問いかけをすることがあります。子供というのは、大切なお母さんの感情を知らず知らずのうちに取り込みます。大好きなお母さんをコピーしようとするんです、
「嫌われる勇気」という本が流行りましたが、本当は、「ありのままで愛される勇気」なんですよね、欲しいのは。そんな風に申し上げると、
「結局、私は『自分』が無いんです。人がいいというもの、人が喜びそうなもの、人が大事にしている価値観に従えば、安心なんですけれど、『あなたはどうしたいの?』と聞かれると何も出てこないんです。自分が本当は何が好きで、何が嫌いなのかもわからないんですよ」
と悲しげなため息をつかれます。
そんなとき、私は、「お母さんの気持ちを大事にしたい、お母さんの笑顔が見たい」と思った自分は「優しい子」なのだ、ということをわかっていてください」と申し上げます。だって他人事ならば、そう思われますでしょう?
自分の優しさまで叩かないでくださいね。それはあなたの人としての本質ですから。
その上で、小さなことから、自分の嫌なものにNOと言いましょう。小さなことは、「まぁいいや」と許しやすいものです。自分が絶対に譲りたくないことを譲らずにすむようになれば、「まぁいいや」と許しても何も問題はありません。
でも、もし、あなたが自分はNOを言うのが苦手だな、と感じておられるのであれば、小さなNOを大事にしてみてください。「好き」よりも「嫌い」の方がわかりやすいので、ご自身の個性を見極めたいのであれば、自分がどんなことにNOと思うのか興味をもってみてくださいね。
>>>『もう一度「自分」を取り戻したい(2)〜何を感じてもOK〜』へ続く