男女関係を含めた人間関係のパターンは、家族の中から生まれます。
そして、役割や家族のパターンは、先祖代々のパターンからきています。
それが私たちの人間関係のパターンを決定づけています。
自己犠牲は、愛を「役割」に変えてしまう行為です。今起こっている問題を否認してしまうと、依存、自立、犠牲という補償的役割を背負うことになります。
否認と防衛を繰り返すと被害者と加害者の大きな誘惑が生まれ、幸せを阻む悪循環に陥ってしまいます。
今起こっている問題を認め、わだかまりを手放し、新しい絆を結ぶチャンスにしましょう。
真の意味で与える時、お互いの間に絆という架け橋を架けることができるようになります。
大切なのは、被害者でも加害者でもなく、犠牲という誰も幸せにしない与え方を手放して、人生を幸せに向かわせるための意欲と選択にかかっているのです。
◎リクエストを頂きました◎
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僕は、今、両親と同居していますが、今まで生きてきた中で、そしてまさに今でも、父親の不満のはけ口にされている気がしてなりません。父はとにかく、僕に対して優越感をもつこと(僕に、父に対する劣等感をもたせること)を目的に、行動や言動を常にしているとしか思えないのです。しかも、やり方は陰険で、僕には、父がぶつけた不満を、解消する術が、なかなか見つかりません。いったいどうすれば、この爆発しそうな心を、穏やかに解放することが出来るのでしょうか?心理学講座で、取り上げて頂けましたら、幸いです。どうぞ、よろしくお願いします。
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リクエストありがとうございます。
今回、担当させていただきます熊谷佐知恵です。どうぞよろしくお願い致します。
●優越感と劣等感のスパイラルから抜けるには?
優越感と劣等感は、“自尊の欠如”から起こる連鎖反応なんです。
それは、どちらも表裏一体の関係で、一対のものです。
しばしば親しい人との関係でも再現されることになり、そこに犠牲のパターンと依存が重なる時には癒着を作り出し、なかなか当事者間では問題の本質に気づきにくいことかもしれませんね。
あなたから見て強そうに見える父親も、どこかで自己犠牲に耐えなければならないと誤解したままのつらい人生の歴史がありそうです。
劣等感は、家族関係の中で“自分は愛される価値がない”といった誤解から生じるもので、その不足感を補おうとするときに求めるのが優越感であり、与えようとする役割が犠牲という補償行為になっています。
愛される価値がないと思ってしまう背景には、私たちが愛する人を助けてあげられなかったという罪悪感に由来しています。
あるレベルでは、私たちはみな、自分の家族を助けるために生まれてきています。
しかしながら、助けよう、救おうとする途中で、愛する家族のために自分の身を投げ捨ててしまうのです。そして、自分には足りないものがあるから喜ばせることができないと思い込んでしまうのです。それが犠牲や劣等感に繋がっているんですね。
別の見方では、愛されるために自己犠牲に陥っており、愛することと犠牲を負うこととを誤解しているために、解消されない問題でもあります。
そして、こういった親子関係にみる問題は、あなたと父親との関係だけではなくて、先祖代々、同じような問題が繰り返されていたのではないかと考えられるわけです。
家族間に親からの愛や承認を得るための競争があるときには、他の家族も同様に「何かをしないと愛されない」という思いに駆られてしまうことがあります。
こうして、犠牲というあり方が、家族という関係の中で誤解のままに受け継がれてしまうこともあるのです。
先祖代々から伝わる家族関係の問題は、今ある関係性の中で、そこにある間違いに気づいた人(あなた)がリーダーシップをとって癒さなければ、問題のパターンとして受け継ぐことになります。
ですから、自分の辛い感情を解放するだけで解消しようとする試みは、残念ながら、どれも一時しのぎにしかならず、うまくいきません。
こういった問題を解消して行くには、犠牲や被害者のまま家族を背負うか、それとも、自立して家族から自分を切り離してしまうかの、いずれかしかないような気持ちを突き抜けて、家族の絆を新しいレベルで樹立していく必要があります。
自尊の欠如からもたらされる人間関係の根本的な問題を解消していくには、自分を大切にする自尊の心を持った上で、真に与えていく態度を身につけることが必要なんです。
●解決のヒントは、あなたが今感じているものの中にある
家族関係の問題を解消して行くためのヒントは、今、あなたが考えているものではなく、感じているものの中に含まれています。
実は、今、あなた自身が感じ求めていることにこそ、解決のヒントが隠されているのであり、家族が一番欲しがっているものでもあるのです。
今日は、諦めの下に隠れた、あなたの本当の気持ちに触れてみましょう。
本当は、ちゃんと自分のことを認めて欲しい。
本当は、自分のことを大切に扱って欲しい。
本当は、誰も犠牲になんてなって欲しくない。
本当は、家庭の中でもっと安らぎを感じていたい。
他には、どんなことが思い当るでしょうか?
本当は、優越感で心のバランスを取ろうとしている本人も、どうしたら、こういったことが得られるのかわからなかった、気づくことができなかっただけなのかもしれませんね。
●本当の意味で与えるとは
問題が存在している時というのは、私たちが真に喜べる意味で与えていない時なんです。
誰かの犠牲の上に立つ満足感や優越感は復讐や補償を求める行為でしかなく、真の安らぎや喜び、幸せな充足感は決して得られるものではありませんよね。
自分も相手も真に喜べる意味で与えることとは、まず、自分を大切に扱うことができて初めて成り立つものなのです。
自分を大切に扱うとは、自分の人生をも大切に選べるようになることも含みます。
そこでは、自分の心の成長と成熟した大人の生き方が求められるわけです。
まずは、自分を被害者や犠牲者のままにしないこと。誰も幸せにすることのない、偽りの与え方を手放すことがとても大切なんですね。
自分を大切にし始めると、犠牲や被害者意識よりも、相手が自分を大切にしていない行為の方が気になりだしてくるはずです。
「もっと自分を大切にして欲しい」と相手にとっての本当の幸せの在り方を心から望んであげることができるようにもなります。
そうすることで他の人たちも同様の姿勢であなたに接するようになります。人は、自らの愛に触れる時、自分の本当の価値を思い出すことができるからです。
少し時間はかかるかもしれませんが、これまでの自分や相手を許し、自分を大切にすることが相手の喜びにつながっていくのを体験的に学んでいきましょう。
きっと、そこには誰も傷つくことのない、心の底から感じることのできる穏やかさに出会えるはずです。