自分なりにがんばっていてもうまくいかないでいる時に、ふと「どうしてあの人たちは、あんな風に幸せで楽しくいられるんだろう?」そんな風に思ったことはありませんか?
それは、自分の人生にも幸せな関係を望みはじめた時なんだと思います。
それが知りたいと思えるのは、自分も同じように、思いやりを持って、いつも笑顔で人に接したり、楽しい気持ちで毎日を送りたいと思っているから。
私たちは、幸せに向けて心を開いている時にはじめて、今の自分にとって本当に必要なことを知ることができますし、喜びを受取るための心の準備が整うのだと思います。
人生に変化をもたらすカギは、自分への理解と私たちの“選択”にあります。
そして、幸せな人生を切り開いていくチャンスは、いつでも、私たちの心の中から始まるのです。
◎リクエストを頂きました◎
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私の友達は、人生でどんな辛いことが自分の身に降りかかったとしても、それを笑い話にしてしまうことができます。どうして辛いこと、悲しいこと、苦しいこと、寂しいことを笑い話のように話すことができるんでしょうか?
それに友達が彼氏と仲良くするために、あまり怒らないでやんわりと断ったり、どんなこともイチイチ気にしなかったり、彼氏の気持ちにたって考えてあげたり、余計な一言を彼氏に言わないようにして、楽しい気持ちで毎日を送れるのでしょうか?
私は、今の自分の毎日は他人からしてきたことにイチイチ、目くじら立てて気に食わなければ怒っていると思います。
自分の中では答えが出なくて、困っています。どうしたらいいのでしょうか?
(一部、頂いた内容を編集させていただきました)
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●何に重要性を感じていますか?
辛い経験を笑い話で話せるというのは、その時に感じた痛みよりも今というこの瞬間を大事に思うことから成り立つ体験ではないかと思います。
私たちが過去にとらわれている時には、「認めたくない」と否認し続けている何かがあります。そこに何らかの重要性を感じていると、知らずと私たちのエネルギーは問題の方に注がれてしまいます。ですから、今を存分に味わう(楽しむ)ことができなくなってしまうのです。
許せないままの何かを抱えていると、思い出しただけでも心が痛みます。
誰かの語る体験にさえ、自分の心の投影が起こるからです。
自分からみて、辛いと感じること、悲しいこと、苦しいと思える場面を笑って話している人を見た時に、不思議な感じがしてしまうのは、心で感じるその瞬間の体験が異なるからです。
これは、人によってものごとに対する解釈の仕方が違うからともいえます。
解釈に変化をもたらすカギは、自分への理解と私たちの“選択”にあります。
人生において何を大切にしようとしているかで、私たちが経験する感情も異なっていくのです。
もし、本当の意味で心の傷が癒えていなかったとしても、もし、いまだにそれが受け入れがたいものであったとしても、結果的に笑い話として人に話せてしまう場合があります。
それは、大切な誰かと自分の経験を分かち合えている時なんだと思います。
どんな話をしても受け止めてもらえる安心感や信頼関係がある時、過去の痛みを超えて現在の関係の中で、スルッと感情の脱皮ができてしまうことがあるのです。
●すべての人が望んでいること
私たちは誰でもが『人から受け入れられること』を望んでいます。
一見、強そうにみえる人であっても、同じように柔らかで繊細な部分を誰でもが隠し持っているものです。
「こんなのって、あり得ない!」
「なんでわかってくれないの!?」
「どうして私がこんな目に遭わなければならないの!?」
そんな風に思ってしまうこともありますよね。
私たちが怒ってしまう時というのは、人から受け入れてもらえていない感じがした時の、あの嫌な感情を感じたくないからなんです。
そして、怒りは、そうした感情を感じた時の反応のひとつでしかありません。
怒りの感情を理解するには、こんな見方をするといいかもしれませんね。
「怒りは感情のフタ」というのを聞いたことありますか?
「怒りは助けを求める声」というのは聞いたことがあるでしょうか?
誰かが怒っている時、そこにその人の愛情を感じることは困難です。
むしろ、それは「愛のない行為」のようにもみえます。
この「愛のない行為」とは、実は愛を求める叫びともいえます。
「なんで、わかってくれないの!!」という怒りは、実のところ「ちゃんと受け入れて欲しい」という思いが隠れているからなんですね。
例えば、「人は自分のことを理解してくれないもの」と決め付けてしまうとなかなか気がつきにくいのですが、私たちが人から受け入れてもらいたいと思うように、相手もまた、人から受け入れてもらいたいと思っているのです。
大切な誰かとの関係で、そのような“共通の望み”があることに気づいた時、お互いがデリケートな信頼関係の上に成り立っていることがわかり始めます。
その上で、自分が本当に望むならば、相手との絆や信頼関係を取り戻す余地があることを理解することができるのではないかと思うのです。
自分を理解することができてはじめて相手を理解できるというのは、人と自分との間には、このような共通の望みがたくさん含まれているからなんでしょうね。
●本当の望みはなんですか?
ここでは、私たちの心を半の少しだけ、掘り下げてみましょう。
例えば、怒りを感じてしまうくらい、あなたが本当に望んでいたことを思い出して欲しいのです。
リクエストを参考にすると、こういったことがいえるのではないでしょうか?
『辛い過去も笑って話せるような自分になりたい』
『相手を思いやりながらも、自分らしく生きて行きたい』
『楽しい気持ちで毎日を送りたい』
先ほど、「怒りは感情のフタ」というお話をしましたが、どんなネガティブな感情の裏にも、私たちにとって大切なポジティブな目的がちゃんと隠れているのです。
●選択と態度に焦点を当てる
さて、あなたの感情の目的は、どんなことだったでしょうか?
自分の中の真実の望みを知った時、人は、その目的に向けて焦点を合わせ、態度を整えていくことが容易になっていきます。
それは、「自分がこうありたいから」という思いに素直になるだけでいいからなんです。
人生で私たちが向かう方向は、私たち自身が行っている継続的な選択の結果です。自分の中の自分や人に対する信念(観念)を変えると、物事に対する見え方が変わり、パターンを変化させることができます。
そこには、私たちが本当に望んでいた喜びの体験が、たくさん詰まっているのではないでしょうか。