心の痛みから自分を守るために身に着ける鎧。
その一方で、自由を失い窮屈な思いをしているのかもしれません。心を解放するエクササイズ付きでご紹介。。
南の島にバカンスに行ったと思ってください。
気持ちいい日差しと風に吹かれてビーチにいるとしたら、あなたはどうしますか?
「きっと多くの方は水着に着替えて海に飛び込みたい!」
「このままボーっと浜辺で昼寝したい!」
「冷たい飲み物で喉を潤しながら波を見ていたい」
とかイメージされるのではないでしょうか?
そんな風に気持ちの良い環境に自分を置くと、心は解放され、自由になっていきます。
もし「心はいつも南の島」だとしたら、たとえ東京に住んでいたとしても、開放的な日々を過ごせるのではないでしょうか。
でも、私達はいつも心にTシャツどころか鎧を着込んで生きています。
それは「もう二度と傷つかないように、二度と辛い思いをしないように」という自分なりの防衛策なのです。
もし、あなたの心が今鎧に覆われているとしたら、その重みはいかほどでしょうか?
●鎧に覆われている心
カウンセリングの中では、自分の心を解放してあげるために、鎧を外すようなセラピーやアプローチをよく提案します。
まるで心に十二単のような鎧を着てしまっているのに「もっと頑張ろう」「前向きに生きなければ!」と思われる方がとても多いんです。
そんな状態では本当はもう歩くことができないくらい重たくてしんどいのにも関わらず。
そういう場合は、心の鎧を外し、心を軽く、自由に、解放してあげることが必要になってくると思うんですね。
鎧を外す事ができたとしたら、本当に自由な世界がそこに待っているからです。
でも、そんな世界が良いものと知りながらも、どうして私達は心に鎧を纏わなくてはいけないのでしょうか?
現代のような「競争の時代」に生きていると、傷つく事がいっぱいあるんです。
「共存」と違い、生き残り、勝ち負けの世界では、結果が全てになってしまいます。
そうすると傷つかないように重たい鎧を身に着け、しかも、強くなければいけなくなるんですね。
(正確には「強く」というよりも「強がって」なのかもしれません)
それは受験競争などの過去の経験がもたらすこともありますし、営業成績や成果目標などの数字が心にプレッシャーとなってのしかかることもあります。
あるいは「彼氏がいる、いない」「結婚している、していない」などもそうですね。
例えば、「30代で独身で彼氏がいない」という女性に対して皆さんはどんなイメージを抱かれるでしょうか?
たとえ元気にイキイキとライフワークを満喫していても、つい、「なんか、かわいそう」な感覚を持ってしまいませんか?
「負け犬」という言葉も以前流行りましたけれど、社会的に不利な環境になってしまうと、たとえポリシーをもって頑張っていても、ついつい「そうじゃないのよ!」って鎧を着て自分を守らなければいけなくなります。
●心の鎧は心の痛みを守るためのもの
そうでなくても、周りの人の視線を感じるだけでもつい傷ついてしまうこともあります。
なんにせよ、
「あ、なんか、同情的な目で見られてる」
って感じたら、チクッと心が痛み、むかむかむか~としてきますよね。
そうすると
「そんな目で見ないでよ!」
って相手の攻撃してしまうか、
「ま、確かにアタシはそんな女だし」
と引きこもってしまうかでしょう(どちらも怒りの表現です)。
でも、そこではあなたの心は少し傷ついてしまったわけです。
そして、この強がった部分、怒りが「鎧」なのです。
つまり、心の鎧とは、心の傷(痛み)を守るためのものなんですね。
また別の例え話をしましょう。
以前、あなたが大好きだった恋人に急に「他に好きな人ができた」と振られ、酷く傷ついてしまったとします。
「どうしてだろう?」
「自分の何がいけなかったんだろう?」
「しかし、なんて酷いことをする奴なんだ!(怒)」
と自己分析したり、自分を責めたり、それが転じて相手を攻撃するようになったりするでしょう。
でも、そこで傷ついて辛い思いをした時、あなたがもし友達やカウンセラーなどに
「しんどいねん。辛いねん。もうあかんわ・・・」
と泣き付くことができたら、まだ救われます。
厳しい事を言ってくれる友人もいるでしょうし、優しくあなたを受け入れてくれる人もいるでしょう。
その一つ一つの態度があなたの心の傷を癒し、助けてくれます。
でも、あなたがそこで
「この程度のことで落ち込んでたらあかん。さっさと立ち上がらなければ!」
と自分に鞭を打って無理やり立ち直ろうとしたとします。
その時、どれくらい傷ついた自分を封じ込め、隠し、押さえつけてしまうでしょう?
心の状態は目には見えないけれど、体に例えればその経験は足を折られ、背中からたらたらと血が流れるほど痛いものかもしれません。
でも、そこで「自分は傷ついてなんかいない!」と強がってしまったら、無理やり足を石膏で固め、背中にはテーピングをぐるぐる巻きにして、自分を鼓舞しようとするようなものです。
それはすごくしんどいことではないでしょうか。
本当はゆっくり静養し、傷を癒すことが必要なのに、そんな状態でまた戦場に赴くとしたら、それは死ぬ確率を高めるに過ぎないと思うのです。
今、あなたが住む社会はそんな世界なのでしょうか?
目に見える砲弾は飛び交っていなくても、内面的には常に争いが起きているような、そんな世界に住んでいるのでしょうか?
だから、一度、あなたが自分が住む世界を見つめなおしてみると良いかもしれません。
そして、もし、その世界が身を守らなければいけないところだとしたら、自分が住む世界を変えていくこともできます。
●心にとっての「南の島」とは?
最初にお話した南の島でのこと。
温かくて、みんなが水着を着ているし、「ここなら大丈夫!」と思えるから、あなたは水着になれます。
なんぼ開放的とはいえ、渋谷の街を水着で歩くには勇気が要りますよね?
心にとっても同じ事、あなたにとって「ここなら大丈夫!」という場所を見つけてみましょう。
それは本当に心を許せる人、自分をさらけ出せる場所、自分が信頼できる人です。
そう言うと“全面的に自分が受け入れてもらえる場所”と捉えてしまうんですけど、大人になると実はそれだけでは不十分なんですね。
そういう場が仮にあったとしても、「本当に大丈夫?騙そうとしてるんじゃないの?」なんて猜疑心がむくむくわきあがりますし、何もしていない罪悪感が強くなって「私は役立たず、ただ面倒見てもらうだけの存在」なんて弱気にもなってしまいます。
だから、そういう開放的な場というのは、あなたも自ら「何かしてあげたい、関わりたい」という気持ちになれるところでもあるんですね。
例えば、あなたの話を一生懸命聴いて励ましてくれる友人がいたとしたら、あなたはその人の前で鎧を脱ぐことができるかもしれません。
でも、もし、その相手が鎧を着ているとしたら・・・あなたはきっと何となく腑に落ちない感覚がするはずです。
一緒にビーチに出かけたのに、自分が水着で相手がコートを着てるような感覚ですからね。
そしたら、あなたが今度は相手を楽にしてあげたい、鎧を脱がせてあげたい、と思うはずです。
そういう気持ちになって初めて、その人はあなたにとっての南の島になるんです。
あなたにとって「南の島」とは誰を指し、どこを意味するのでしょうか?
そんな自然に鎧を脱げる場所とは、あなたにとってどんなところなのでしょうか?
まずはそんな角度から自分を見つめてみてはいかがでしょうか?
●心の鎧を解くために
カウンセリング/セラピーではイメージを使った瞑想で、そうした鎧を外していくことがあります。
ちょっと簡単にご紹介しますので、エクササイズのように試してみてはいかがでしょうか?
まずは深呼吸をして想像してみましょう。
自分の体が今、重たくて堅い鎧に覆われてると思ってみてください。
そして、どんな気持ちがするのか?
はたまた、どれくらい長い間、その鎧を身に纏っているのか?
それをただイメージしてみましょう。
これはその時々の気分や直感に従ってみるといいですね。
無理にストーリーを作る必要はありません。
そして、その鎧に手をかけて一部を外してみましょう。
外れやすい部分からで構いません。
ガシャっと音がして鎧が取れると思ってみてください。
そして、両手でその重みを感じてみましょう。
さて、その鎧はあなたをどんな痛みや怖れ、傷から守るために必要だったのでしょうか?
解放された今となっては必要ないものでも、それが役立ったこともあったはずだと思ってみてくださいね。
そこでは自分の感覚や直感に聞いてみましょう。
何の答えがなくても構いません。
「その鎧は何から私を守るためにあったんだろう?」
って自分に聞いてみるだけです。
そうして、答えが返ってきても返ってこなくてもしばらく時間を置いて、その鎧をゆっくりと手放してみましょう。
脇にドスンと落としても、遠くに放り投げても、海に沈めても好きなやり方で。
そして、一つ鎧を外した分、ちょっとだけ軽くなっている心に気付けるはず。
そして、同じように体の一つ一つの鎧を外し、重みを感じ、その役割を見つめてみます。
※注意とお願い※
こうしたイメージを使ったエクササイズはうまくできなくても構いません。
もしかすると、そんなイメージはうまくできない、と感じられる方もいらっしゃるでしょう。
それはそれで悪いことではありません。
そこで浮かぶイメージをただ大事にしてみましょう。
辛い気持ちがでてきたら一旦引いてみても構いません。
時と場所を変えて改めてイメージを膨らませてみましょう。
こうしたイメージワークは“自分の心に聞いてみる”、“自分の心と向き合う”ことになりますから、チャレンジしてみるだけで意味があるものです。