まわりがバカばっかりとうんざりする気持ちの裏側~ヴァージョン・アップのチャンスを逃すな!~

「まわりの人がバカばっかりに見える」ときというのは、自分が「有能である」というアイデンティティに執着しているときです。

私たちは、自分が劣等感を感じそうになると、その劣等感や無価値感を打ち消すために、優越感をもてるところや、自分が特別だと感じられることにしがみつきたくなります。自分が「ダメなのかも」という怖れが強くなると、ついまわりの「ダメ」なところばかりが気になって、うんざりした気持ちになります。

まわりの人を「ダメ」と思ってしまうと孤立しますし、そんな自分をいいものと思えないので、とても苦しいです。でも、これは自分の劣等感やコンプレックスと向き合い、乗り越えるチャンスです。自分がどれだけ多くの人に、目をかけてもらい、指導してもらい、引っ張ってもらい、許してもらい、愛してもらってきたかを思い出してみましょう。「親」立場の人たちが、葛藤しながら、失敗しながらも、自分を許し、愛してくれたことを受け取れると、あなたもバージョンアップし、人生は大きく展開し始めます。

◎リクエストを頂きました◎
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まわりの人たちのレベルが低い、バカばっかりといううんざりした気持ちを変えるにはどうしたら良いでしょうか?現在、従業員が100名以下の小規模な職場で正規雇用として働いています。上司たちは、母体組織からの出向組で、注意すべきことも注意できていないことが多いです。私は、前の職場が従業員数が2000人いるところで、有能な人も多くて、鍛えられました。なので、気づいたことがあれば、自分から変えていけばいいと思うのですが、まわりの人に「はぁ?」と思うような言動をとられると、どうしてもうんざりして、お先真っ暗のような気持ちになります。他の人でまわらなかったものを業務としてあてがわれるようなところがあり、このままではずっと自分にしんどい仕事が来ると思うと、貧乏くじをひいている気分です。何とか前向きにまわりとも関わっていきながら仕事をしたいのです。どうすればよいのでしょうか?
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リクエストをありがとうございます。

言いにくい気持ちを分かち合っていただきありがとうございます。こんな風に自分のまわりにいる人たちをよく思えなくなることってありますね。好きになることも、尊敬することもできないと、一緒に働く仲間とつながれずに孤立しがちですし、そもそもそんな風に他人を見てしまう自分のことも好きになれませんから、本当に苦しいです。

この方の素晴らしいところは、これが自分の「気持ち」の問題だということを理解していらっしゃって、それを何とか「変えたい」という意欲があることなんです。なので、少しでもお力になれたら嬉しいと思います。「良薬口に苦し」というところもあるかもしれませんが、ここはバージョンアップのチャンスですから、これまでの殻を割るつもりでご自分の気持ちと向き合ってみてくださいね。きっと人生が大きく展開していくと思います。

●「このことで自分は何を学ぶことを求められているのだろう?」という考え方

問題は、これまでのやり方ではここから先へはいけません、ということを教えてくれているとしたら、それを乗り越えようとするとき、「このことで、自分は何を学ぶことを求められているのだろう?」と考えてみると、その問題にどうアプローチしたらいいかのヒントを得るのに役に立ちます。

これまで大きな組織の中で働いてきて、そこでのいわゆる「常識」が、今いる職場では通用しないという問題に直面すると、最初はものすごくフラストレーションを感じます。自分は「正しい」はずなのに、その「正しさ」を尊重してもらえない、ということに腹立たしさをおぼえますし、自分が自信やプライドをもっていることを否定されたような悲しさやみじめさを感じることだってあるでしょう。「私は正しいはずなのに、、、」と思えば思うほど、余計に腹立たしく、悲しい気持ちになります。

これって、例えば、結婚して違う土地で暮らすことになったり、海外に引っ越したり、という時にも感じやすい気持ちですよね。一種の「文化戦争」だ、と私は思うんです。

そういえば、「結婚生活」そのものも、「文化戦争」的な側面がありますね。掃除は絶対にハタキをかけるところから始める「べき」なのに、相方はとりあえずまず掃除機をかけてしまう。そんなことをしたら、ハタキをかけたときに埃が床に落ちるから掃除機をかけた意味がなくなるのに、、、バカじゃない?と思ってしまう。でも、相方の実家では、まず一番気になる問題からとりかかるのがよい、という考え方が主流だった。そのせいか相手のやることなすことすべてに「もっと先を考えて段取りをつければいいのにー!」って怒りまくる、みたいな話、ありますよね。

そんなとき、「正しい」ー「間違っている」という軸でものを考えているとフラストレーションがたまるばかりです。一見、「はぁ?」な言動も、「私は今、ここで何を学ぶことを求められているのかしら?」と思い直してみませんか?もしかしたら、今、あなたに求められているのは、業務をスピーティに効率的にこなすことでは「ない」のかもしれません。それも大事なことなのですが、「今」、人生のこのステージで、あなたが学ぶといいことは「別にある」から、大きな組織ではなく、この小規模な職場にいらっしゃるのかもしれません。そう考えてみると、すでに大きな会社で身につけたスキルではない、小さな職場だからこそ必要とされる(ヒューマン)スキルを身につけるチャンスだ、と捉えることもできます。

●「優越感」は「劣等感」の痛みを隠す

私たちはどうしても、自分と他人を比較して、自分の方が◯◯ができている、あるいは逆に、できていないとダメ出しをしては、「優越感」を感じたり、「劣等感」で凹んだりするものです。これは、「自分」とはどういうものか、というアイデンティティーを何かに求めないと、「自分」がわからなくて不安だからなんです。なので、「自分」は◯◯会社に勤めている人間なんだ、とか、◯◯大学を卒業した人間だ、とか、◯◯家の嫁だ、などのラベルを貼っては、他人と比べて優劣を競います。自分はこのままでOKなのかどうか不安だから、その確証が欲しくてつい比べてしまうのです。

リクエストの文章だけでは、大きな事業所から小規模な会社に移った経緯はわかりませんが、そのことはちょっぴり不本意で、残念なことだったのでしょうか?あまり納得のいかない転職だったとすると、大きな会社で働いていたときの業務フローや勤務姿勢などの「よかった」ところに執着してしまいますよね。そして「自分」は「あの会社の人たち」の「仲間」なんだ、とアイデンティティーをそちらに求めてしまうと思うんです。特に、「大きな会社」=「有能な人が多い」、「小さな会社」=「レベルの低い人が多い」というラベルを貼っていると、「私」=「小さな会社の従業員」=「レベルが低い」になってしまうので、このアイデンティティーは受け入れにくい、ですよね。そうすると、「私は小さな会社にいるけれど、あの人たちとは違うの」とアピールしたくなります。でも、それは自分が「小さな会社の従業員」=「レベルが低い」と思う分だけ、「きっと世の中の人たちは私が小さな会社に勤めているからレベルが低いと思うんじゃないかしら?」と不安になるから、なんです。

実際には、価値観はさまざまですから、「小さな会社」=「少数で回していて凄い!」もあるし、「小さな会社」=「家族的であったかい」もあるし、「小さな会社」=「のんびりしていていい」もあるかもしれません。ひょっとして自分のアイデンティティとして「有能である」ことに執着していませんか?もし、そうだとしたら、それは「有能ではない」ことが怖いのかもしれません。なぜそんなに「有能である」ことに自分はこだわってしまうのだろう?そんな風に自分に問いかけてみると、「有能でなければ」と肩に力が入る理由がわかり、そんなに頑張らなくてもいいのかもしれないという見方ができるようになるかもしれません。

この方はとても頭のいい方で、「まわりの人たちがバカばっかり」と切り捨てながら、「本当は自分が変えていけばいい」ことがわかっていて、でもそれをやろうと思うと「お先真っ暗」だし、「このまましんどい仕事が来る」のは「貧乏クジを引いている」と、この会社でリーダーシップをとる立場にあることはわかっているけれど「荷が重い」し、自分には無理なのではないか、と自信を無くしていることが「問題」だ、と認めておられます。大きな組織で、「有能な人たち」に助けられながら仕事をするのと違って、ここで自分がリーダーシップをとるのは「大変!」で、自分にはその器がないのではないかとがっかりされているのかしら?それが残念で悔しいからこそ、「まわりのレベルが低すぎる!」って言いたくなっちゃうのでしょう?「私は、そんなにできません!」と投げ出したくなっているようですが、まだギブアップするのは早いかも、です。

最初に戻り、今、ここで、この会社で全力で仕事に取り組んでいらっしゃるとしたら、そのこと自体に意味があると思ってみてください。ここで学ぶことがあるから、こうなっている、と。そう見てみると、チャレンジングかもしれませんが、「引っ張ってもらって仕事をする」のではなくて、「自分が引っ張る側に回る」こと、リーダーシップを身につけるために「ここ」にいらっしゃるのかもしれませんね。

●「許し」はバージョンアップへの階段

リーダーというのは、親子関係でいえば「親」の立場です。「親」は「子供」ができないことも、失敗することも、悪態をつくことも、受け入れていかざるをえません。許して受け入れたその先で、子供ができたこと、うまくいったこと、成功したことを一緒に、いえ、成功した子供以上に喜べます。「子供」の立場から「親」の立場へのバージョンアップは、自分を指導してくれた先輩たち、親が自分をどれだけ許してくれたかに気づく道のりでもあります。このとき、自分が上司や先輩、親に対して批判したことがすべてブーメランのように還ってきます。批判したけれど、実は、なかなかできないことだ、と気づくのですが、それがなかなか気恥ずかしいことなんです。そこでなかなか「子供」の立場を手放したくない、と思ってしまいます(権威との葛藤)。

でも、勇気を出して、自分が許されてきたこと、与えられてきた「愛」をもう一度受け取ってみませんか?どれだけ愛されてきたか、ということに気づけると、なかなかつながれなかった人たちとも絆をもてるようになります。

「まわりの人がバカばっかりに見える」ときというのは、自分が「有能である」というアイデンティティに執着しているときです。私たちは、自分が劣等感を感じそうになると、その劣等感や無価値感を打ち消すために、優越感をもてるところや、自分が特別だと感じられることにしがみつきたくなります。自分が「ダメなのかも」という怖れが強くなると、ついまわりの「ダメ」なところばかりが気になって、うんざりした気持ちになります。まわりの人を「ダメ」と思ってしまうと孤立しますし、そんな自分をいいものと思えないので、とても苦しいです。でも、これは自分の劣等感やコンプレックスと向き合い、乗り越えるチャンスです。自分がどれだけ多くの人に、目をかけてもらい、指導してもらい、引っ張ってもらい、許してもらい、愛してもらってきたかを思い出してみましょう。「親」立場の人たちが、葛藤しながら、失敗しながらも、自分を許し、愛してくれたことを受け取れると、あなたもバージョンアップし、人生は大きく展開し始めます。

(完)

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