こんばにちは 平です。
私たちはそれぞれ、“自己価値”と呼ばれるものをもっています。
これは「自分自身がどれぐらい愛されるにふさわしいか」について、自分自身ではどう感じているかをあらわすものです。
点数にしてみて、自分自身に80点、90点という高得点がつけられる人は、自己価値が高いといえます。「自分は愛されるにふさわしい」と感じているのですね。
一方、20点とか30点とか、自分に低い点しかつけられない人は、自己価値が低いといえます。「自分には愛される価値がない」と感じているわけです。
しかし、仮に自己価値が低かったとしても、私たち人間というものは愛を求める生き物です。だからこそ、「愛されるにはどうすればいいのだろう?」と考えたりするのですね。
このとき、自己価値が高ければ、自分は愛されるのにふさわしいと感じていますから、そのままの自分でいられるのですが、自己価値が低ければ低いほど、「このままの自分では愛されない。愛されるためにはなにかしなければならない」と思うものです。
そのため、心理学で“補償行為”というのですが、自己価値の低い人は少しでも愛されるためにと、犠牲を払ったり、献身的に尽くしたりすることが多くなりがちです。
その行為自体は素晴らしいものかもしれません。が、ここで問題といえるのは、その行動動機が“愛”ではなく“恐れ”であるということです。
恐れがベースにあるがゆえに、「私はこれをしなければ、愛してもらえない」、「これを一生やり続けなければいけない」という強迫観念がいつもつきまとうのです。
それは、あなたを疲れさせるばかりで、けっして休息することを許しません。だって、与えることをやめると、自分は必ず愛されなくなると信じているのですから‥‥。
では、人それぞれの自己価値というものは、どのようにしてできるのでしょうか。
まわりの人から非常に愛された子どもは、「自分は愛されるにふさわしい」ということを自然に学んだりするのですが、一般にそのようなケースはレアといえます。
なぜなら、親からしつけされる時期を通じ、私たちは「なにかをしなければ愛されない」ということを学習するからです。この時期は、なにかができてはじめて、ほめてもらうことができますからね。
では、どうすれば自己価値を上げることができるのでしょう?
その一つとしてよくいわれるのは、あなた自身が無条件で愛するなにかをもつことです。
たとえば、ペットです。ペットは社会的に見ればまったく非生産的な存在ですが、なにもしなくたって愛されます。
私たち人間はペットにはなにも求めず、自分からひたすら愛を与えます。
すると、「ひょっとしたら、自分も同じように無条件で愛されるということがあるのかもしれない」と考えられるようになることもあるのです。
反対に、あなたが無条件で愛するものをなに一つもたなかったとしたら、あなたの世界には、「働かざる者、食うべからず」ということわざと同じように、「なにもしない者は、存在してはならない」とでもいうような思い込みが生まれがちです。
そんなあなたに想像していただきたいのは、あなたが赤ちゃんだったときのことです。
赤ちゃんのあなたには、泣くことと笑うことしかできませんでした。
でも、そのあなたが家族にとって、どんなに大きな癒やしであり、生きがいになっていたのかということを考えてほしいのです。
夫婦ゲンカをしたり、仕事場でいやなことがあったり‥‥。あなたのご両親にも、疲れ、すさんだ気持ちになるようなこともあったでしょう。
そんなとき、ベビーベッドの中で無邪気に眠っているあなたを見ているだけで、ご両親の中には「この子のためにがんばらねば」とか「ムシャクシャしていてもしょうがないか」という思いが生まれてきたはずです。
ご両親は、あなたの存在によって、愛を思い出したり、新しいインスピレーションを得ることができたのです。
「なにもしなくても、私は愛されるんだ」
あなたがそう学ぶことによってのみ、あなたの中にある「やらねばならぬ」という犠牲的な思いが、「与えてあげたい」という愛をベースとした思いに変化します。
すると、していることはまったく変わらなかったとしても、あなたの心の中には、大きな安らぎが生まれるようなのです。
では、次回の恋愛心理学もお楽しみに!!