藤岡さん、こんにちは、初めまして。 今回、藤岡さんのご相談を担当させていただきます、三枝みきと申します。 どうぞよろしくお願いいたします。藤岡さんは今、高校3年生でいらっしゃるのですね。 小学校5.6年生のころからずっと精神的に不安定だとのこと、常に何かと不安を感じているのはとてもお辛いことだろうと思います。 そんな藤岡さんが少しでも不安を減らして、楽に、楽しく毎日を送れるように、私にお手伝いをさせてくださいね。 まず、ここから見ていきましょうね。 >不安の要因の大半は周りにどう思われているかです。 >周りの人から奇異の目を向けられたり、見捨てられることが怖くて仕方ありません。自分は好かれることなどなく、嫌われていくことしかない人間だと思っています。 私自身も経験がありますが、「誰かに嫌われた」と感じることはとてもつらいですし、悲しいことですよね。 たった一人に嫌われてもすごく辛いのに、周り中から嫌われてしまうとしか思えないのだとしたら、どれほど辛いことか。 精神的に不安定になったり、被害妄想的な考えになってしまったりしても、仕方のないことだと私は思います。 >だから少しでも嫌われないよう振舞おうとするのですが、人の目を気にしている割に相手の感情が読めず、空気の読めない発言ばかりしてしまいます。 >精神的に不安定な部分もつい曝け出してしまいますし、被害妄想も激しいです。 「人の目を気にしている割に相手の感情が読めず」とありますが、事実は逆で、本来は「人の目を気にしているからこそ、相手の感情が読めない」のですね。 これはどういうことかというと、まず、「人の目を気にする」というのは「自分が相手にどう思われているか」が気になってしまう、ということだと思います。 程度の差こそあれ、人は「相手を見る」ということを普段からあまりしていません。 藤岡さんと同じように、「この人は私のことをどう思っているだろう」とか、「こう言ったら相手にどう思われるだろうか」とか、あくまでも「相手が自分をどう見るか」ということばかりが気になってしまうものです。 「相手を見る」というのは、目の前の人が今、「何をどう感じているのか」「どういう人なのか」「何を喜ぶ人なのか」「何を求めているのか」などということを、態度や言葉、雰囲気などから察してみよう、理解してみようとすることです。 つまり、「相手が私のことをどう思うか」と考えているときというのは、「相手を見ている」状態ではなく、自分の内側に入って自分のことを考えている状態なのです。 私たちが自分で思うほど、周りの人は私たちのことを見ていてくれも、考えてもいないことが多いものなんです。 つまり、目の前の人が藤岡さん同様、「この人は私のことをどう思っているんだろう?」と考えているとしたら、その人は藤岡さんにそれほど注意を向けている状態ではありません。 藤岡さんならわかってくださると思いますが、「どう思われるだろう」「この人も私を嫌うんじゃないだろうか」という不安でいっぱいの状態で誰かと対峙していても、相手の情報は入ってきません。 自分の考えや不安だけで心の中がいっぱいになってしまうので、相手の考えや気持ち、状態を察するどころではなくなってしまうんですね。 そして、その状態で会話をしなくてはならないので、どうしても「空気の読めない発言」になってしまうのです。 当然、コミュニケーションはあまりスムーズにいかなくなってしまいますから、さらに「私は空気が読めない」「周りの人から奇異の目を向けられてしまう・見捨てられてしまう」などの思い込みを強化してしまうことにもなってしまうのではないでしょうか? ですから、今、藤岡さんがあまりうまいコミュニケーションが取れないとしても、それは仕方のないことなんです。 もしもできるのでしたら、あまりそのことでご自分のことを責めすぎないように、してあげてくださいね。 さて、ここまではコミュニケーションのことについて、主にお話しさせていただきましたが、ここからは私が一番藤岡さんに必要だと思うことを書かせていただきますね。 藤岡さんの問題の中でいちばん大変そうだと私が感じたのは、不安の一番の原因ともういうべき「自己嫌悪」や「自己価値の低さ(セルフイメージの悪さ)」です。 まず、ご相談の文章の中からそれらに関連する部分を拾ってみますね。 「周りの人から奇異の目を向けられ」「見捨てられることが怖くて仕方ありません」「自分は好かれることなどなく、嫌われていくことしかない人間だ」「人の目を気にしている割に相手の感情が読めず、空気の読めない発言ばかり」「精神的に不安定な部分もつい曝け出してしまいます」「被害妄想も激しい」 つまり、藤岡さんのセルフイメージはこんな感じでしょうか。 「私は周りの人から奇異の目を向けられるような存在だ」 「私は周りの人から必ず見捨てられる」 「私は周りの人から好かれることなどなく、嫌われていくことしかない人間た」 「私は人の目を気にしている割に相手の感情が読めない」 「私は空気の読めない発言ばかりしている」 「私は精神的に不安定で、それを周りにさらけ出してしまう」 「私は被害妄想が激しい」 そして藤岡さんは「そんな自分が嫌い」だし、自分自身を「周りにとって迷惑な存在だとしか思え」ず、「何を考えても最終的に自分の嫌なところばかり目につ」いてしまうのですね。 だから「誰もがかけがえのない存在で、生きたいように生きていいとか、正直信じられ」ないし、「仮にその言葉がどれだけ正しくても、自分にだけは当てはまらないような気がしてしま」う。 つまり、「世界中のだれもがかけがえのない尊い存在だったとしても、私だけはまるで価値がなくて、いると周りに迷惑をかけるから、むしろいない方がいい存在」だと、考えていらっしゃるように私には思えます。 そんな風にご自分のことを感じていらっしゃるのでしたら、「友達が励ましてくれても、安心する一方で、都合のいいことを言っているに過ぎない、いつ本音を出してくるか分からない」とも思ってしまうでしょうし、「カウンセラーなどに相談しても、この人はどれだけ相手がクズでも仕事上褒めなきゃいけないんだと思ってしま」うのも仕方のないことかもしれませんよね。 でも、それらはすべて「間違った思い込み」にすぎません。 ただずっとこんな風に感じてきたのを覆すのは、藤岡さんも書いてくださっているように、おひとりでは難しいかと思います。 ですから、もしよろしければ初回無料の電話カウンセリングをご利用してみてください。 私たちができる限りのサポートをさせていただきます。 私たちカウンセラーの一番の特技は、お客様のいいところ、つまり長所や美点を探すことです。 藤岡さんがご自分のいいところを見つけられなくても、私たちなら、それが出来ます。 たとえばこのご相談の文章だけでも、藤岡さんは「周りに迷惑をかけたくない」という優しさや気遣いをお持ちだとわかりますし、とても自分に厳しく、謙虚で誠実な方だと私は感じました。 コミュニケーションの悩みを抱える方のほとんどは、人が好きで、目の前の相手を大事にしたい人でもあり、実際本来はコミュニケーションの才能がお有りな方ばかりです。 お世辞や仕事上の義務などではなく、これらすべては私が心から感じたことです。 それに私は今までボランティア時代も含めて、たぶんのべ7~800人くらいのカウンセリングをしてきています。 けれどもその中で、いいところのなかった方は未だかつて一人もいらっしゃいませんでしたし、藤岡さんも例外ではありません。 「自己嫌悪」の強い人とは、ただ単に「自分が嫌い」なのではなく、より強く、より偉大な愛を持ちたいと願う向上心の強い人です。 現状に満足せず、常に成長したいと願っていて、現在の自分の不甲斐なさを許せないからこそ、そんな自分を嫌い、恥じてしまう、とても自分に厳しい人です。 ただ、今の藤岡さんは自己嫌悪による自己攻撃で心身ともに疲れていらっしゃるのだと思いますから、まずはそんなご自分に優しくするところから始めていきましょうね。 以上、この回答が少しでも藤岡さんのお役に立てれば幸いです。 藤岡さんが少しでもご自分を愛せるようになり、楽になっていけますよう、応援しておりますね。 ご相談、ありがとうございました。 三枝 みき |