生きてる価値がない・・・

相談者名
はじめまして。31歳女性のTです。
よろしくお願いします。
18年間、摂食障害とうつ状態で通院しています。
今は、無職で精神科デイケアという所に週二回通所させてもらってます。
ただ、最近になってなぜか、デイケアに半日しかいられないんです。
家に帰りたくなり泣き出す始末。デイケアスタッフの方に早退する位なら休んでくださいと言われ、それからデイケアへは行ってません。悲しかったです。
今はひきこもってるか、図書館や、街をぶらぶらあるくかです。
情けない。
ちなみに、今、主治医の先生から、あたしは「うつ」だから休む時間が必要と言われました。
けど休むったって、充分ひきこもってるし、のんびりしてるし。
ただ、でも死にたくなったり、誰も私のこと必要としてないんだなと考える時が度々あります。
家以外にも居場所がほしい・・・。
けど、ボランティアや習い事、バイトは医者がダメだって言ってるし・・・。
何か生き甲斐のようなもの、ほしいです。
カウンセラー
中原謙一
Tさん、はじめまして
私は中原謙一と申します。
よろしくお願いいたします。

読ませていただいて、私が感じたことがあるのですが、Tさんには大きな二つの問題があるように感じます。

ひとつは、摂食障害とうつ状態になった原因です。
文章から推測しますと、Tさんは13歳のころから通院していることになりますよね。
そうすると、13歳より前に、その原因があることが想像できます。
そして、その原因は、同じ経験を最低でも2回しているのではないかと私は感じます。

これは私の直感ですから、真実とはまったく違うかもしれません。
ですので、気楽に読んでください。

今のTさんから推測すると、もともとすごく頑張り屋さんだったのではないかと感じます。
なぜなら、頑張っている人ほど、自分のできていないところを責め立てるからです。
つまり、13歳になるかなり前から、Tさんはすごく頑張っていたのでしょうね。

そして、それほど頑張らなければいけなかった理由は、おそらく誰かを助けたかったのではないでしょうか。

認められたい、ほめられたい、愛されたいという気持ちもあるかもしれませんが、これだけであれば、今のTさんほど自分を責める必要はなく、してくれなかった相手を責めるんですよね。
ところがTさんの文章からは、人を責める文章がありません。
あるのは、拒絶された、必要ないと感じた、という文章です。
この気持ちがあるということは、助けたい誰かになにかしようとして拒絶されたとか、助けようとして失敗した経験があるのではないか、と私は感じたわけです。

それはすごく昔の話で、すごく些細なことかもしれません。
たとえば、お母さんがため息をついて暗い顔をしていたとします。
小さい、3歳くらいの女の子が暗い顔をしているお母さんを見て、どうにかしようと思います。
お母さんに笑顔になってもらいたい。
しかし、小さい女の子の考えることは自分がしてもらってうれしいことをするくらいしかできません。
「ママ、あそぼ」
さて、お母さんは笑顔で遊んでくれるでしょうか?

たぶん遊んでくれませんよね。

このときに「お母さんを笑顔にできなかった」という想いが「役に立たない」とか「必要ない」という感覚を作り出します。

Tさんの場合、それだけではなくて、自分の中で「ここを認めてほしい」「ここをわかってほしい」と思っていたことをことごとくしてもらえなかったのかもしれません。

たとえば、学校で先生に絵をほめられた。
うれしくてお父さんにそのことを伝えた。
子どもはお父さんもほめてくれると思った
しかし、お父さんは「そんなことより算数のテストはどうだった?」

ほめてもらえると思ったことが、「そんなこと」といわれてしまったわけです。
こんな些細なことで、傷つき、絶望する人もいます。

もしかしたら、Tさんもそのような体験があるのではないかと私は感じます。

一回目はかなり小さなときに、すごく些細なことで。
二回目は、13歳の摂食障害の少し前に。
まわりの誰かにとってすごく些細なことだったのかもしれません。
でも、Tさんにとっては、それは「いらない子」といわれているのと同じだったのかもしれませんね。

もうひとつは、「自分が嫌い」という感情です。
まあ誰だって自分が嫌いと思っているところはありますが、Tさんの場合、「死んで生まれ変わらなければ、この嫌いな自分と決別できない」くらい思っていらっしゃるかもしれません。
死にたくなるのは、死への誘惑というより、死んでで生まれ変わるしか今の自分を変えることができない、と思っていらっしゃるからかもしれません。
自分さえいなくなれば、みんなが幸せになる、くらい思っているかもしれませんね。

さて、これらの状況から抜け出す方法ですが、大きく3つあります。

まずは、与えてみてください。
何を与えるか、ですが、それはTさんが持っているものでかまいません。
自分は何ももってなんかいない、と思っていらっしゃるかもしれません。
でも、ちゃんと持っていらっしゃいます。
当たり前のことでいいんですよね。
笑顔を与える、笑いを与える、感謝の言葉を与える、等々。
ちゃんと探せば、できることは意外とあります。

ただし、人は素直に受け取ってはくれません。
「情けは人のためならず」ということわざはご存知でしょうか?
これは「情けを人にかけると、回りまわって自分に帰ってくる」という意味を持っています。
今までTさんが受け取ってこなかった分だけ、回りまわって「受け取ってくれない」が自分に帰ってきます。
本当は助けたくて、与えて、拒絶されて傷ついて、そして今は自分が傷つける側に回ってしまっている可能性を見る必要があります。
だからこそ、受け取ってくれるまで、与え続けてください。

そして、与えられたものは受け取ってみてください。
受け取ってくれた人の顔を、ちゃんと見てあげてください。

拒絶されたらどんな気持ちになるか、Tさんは誰よりもよくご存知ですよね。

3つ目は、自分のネガティブの言葉に耳を傾けないでください。
自分を傷つける言葉が出てきたら、「これは間違いだ、真実ではない」と全力で否定し続けてください。
そのうち、自分以外の誰かから同じ言葉が還ってくるでしょう。

これらを簡単にする方法もあります。
それは、自分自身をおなかの底から笑わせることです。
笑いは生きがいをはぐくみ、成長させます。
チャレンジしてみるのも、面白いかもしれませんよ。

最後に、二つ注意があります。
ひとつは、医者の言うことが必ずしも正しいと思わないでください。
医者だって人間です。
間違えることだってあります。
なんならセカンドオピニオンを使ってもかまいません。
自分にフィーリングにあったお医者さんを探してみてください。

そしてもうひとつ、何があっても、頑張らないでください。
というより、もう頑張るのをやめにしましょう。
Tさんは、頑張れば頑張るほど、力が入りすぎてミスをしてしまいます。
頑張るのではなく、ベストを尽くす、そして、自然体に戻る。
これを心のどこかにおいておいてください。

私の勝手な想像でここまで書かせていただきました。
失礼な内容等あったかもしれません。
ご容赦いただきたいと思います。

Tさんの生きがい探しのヒントに少しでも役に立てるようでしたら、幸いです。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

中原謙一

 

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