不安で泣きたくなる

相談者名
mon
はじめまして。20代前半、女、monと申します。よろしくお願いいたします。
普段家族でも友達でも人の前では笑ったり、周りと同じように過ごしています。でも、1人になると多い頻度で自分は誰の1番ではない、とよくわからない不安を感じ、泣きたくなります。両親に愛情も沢山もらって友達だっていて充分幸せなはずなのに。いつか皆離れていくんだと。何か大事な時心配してもらえたり気遣ってもらえるのは誰かの後なんだよね。と心配してもらえたり、気遣ってもらえる事への感謝よりも先にそんなことを考えてしまいます。結局私は1人なんだと、正直心から誰かを信用することができません。安心して話や行動をできません。家族だと少し違うのですが、友達や初対面の人だといつも、どんなことを言ったら機嫌を損ねないかな。どんな行動をしたら嫌われないかな。と考えることが多いです。どうせこんなこと言ったら嫌うんだろうな。裏では悪口言うんだろうな。と失礼なことばかり思ってしまいます。それとなく母に人が信用出来ない、上記の内容を普段の感じで伝えてみると、結婚するような運命の人に出逢えば変わるよ。と言われました。ちょっとおかしいよ。とも言われてしまいました。確かに自分でも、考えていることがおかしいのかなとも思います。でも、わかっていても思いは変えられなくて。どうしたら人を信じることが出来るようになるのでしょう?母が言うような、運命の人に出逢えば信じられるようになるのでしょうか。でもこんな状態で出逢える気がしません。自分のことを信じもしない相手を愛してなんてくれるはずがないと思うのです。相手を信じもしないのに何かして欲しいなんて相手のことを全く気遣わず、自分だけそんなことを望む資格なんてないです。こんなことをぐるぐる考えてしまいます。仕事も、面接受かっていざって時に凄く不安になり、やりたくない行きたくないと思ってしまい、この間辞退の電話をしてしまいました。やらなきゃいけないことなのに何故か不安に負けたりやる気がでなかったり一生懸命何かをすることができてないんです。なにもしたくない、辛いことはしたくない、甘い考えが絶えないです。楽な方に逃げてる自分が醜いのに、変えられないんです。逃げたくなってしまうんです。もう何をどうしたらいいかわかりません。乱文で申し訳ないですが、何かアドバイスなど頂けませんでしょうか。
カウンセラー
なかつまともみ
はじめまして、monさん。
今回担当させていただきます、なかつまともみと申します。
どうぞよろしくお願いいたしますね。

とても不安で誰も信じられないというなか、
よく勇気を持って相談してくださいました。
大丈夫ですよ。
軽く深呼吸をして、肩の力を抜いて読み進めてくださいね。

人を信じられなくなる理由は、信頼を寄せていた人に手ひどく裏切られ、
大きく傷ついた経験からくる事がほとんどだと思います。
こんな時は相手がする事なす事、全てが自分を傷つけ
攻撃している様に見えてきてしまいます。

しかし、monさんの場合は少し違うようですね。
>両親に愛情も沢山もらって友達だっていて充分幸せなはずなのに。
とおっしゃっているように、相手の行動が「愛」だと知っていらっしゃる。
でも、幸せに感じない。
さらに幸せに感じない事を「相手に失礼な事だ」と思っていらっしゃいます。
それどころかそんなご自分の事を酷く責めて
「愛を受ける資格がない」とまで思っているようです。
私はmonさんのように、自分のアクションが相手にどう受け取られるのかまで
考えられる人を素敵だなと思いますし、気配りの出来る優しい方だなと思います。
だから丁寧に扱いたいし、「素敵な人です」と紹介したいと思うのですが…。

少し角度を変えますね。
monさんは「エゴ」という言葉をご存じでしょうか?
「エゴとハイヤーマインド」という対比を使ったらわかりやすいかと思います。
「エゴ」は恐れから派生した考え方・行動で、
人と人との繋がりから離れるような提案をします。
逆に「ハイヤーマインド」は、愛から発生する考え方・行動で、
愛や人との繋がりを作るような提案をします。
いわゆる自分の中の「天使ちゃんと悪魔くん」です。
「エゴ」には特徴があって、幸せを感じる直前になると、
大きな声でmonさんの笑顔を奪うような事を云います。
しかも、それがめちゃくちゃ「もっともらしい」のです。
例えば「この人、こんな事いってるけど本当は私のこと嫌いなんじゃないの」とか、
「今めっちゃ楽しいけど、どうせ人間死ぬときは一人だし」とか、
「10年後の私は4畳半のぼろアパートで、一人白骨死体で見つかるんだわ」とか。
言葉や文章に起こすと「え?」みたいな考え方でも、
なんだかめっちゃ説得力があるのです。
monさんも「おかしいな」と薄々気がついてらっしゃいますよね。

さて、こんなやっかいな「エゴ」さんなんですが、
大事な役割があって存在しています。
それはmonさんの柔らかな部分を守るため。
どうやら文章を読んだ所、monさんは人に対して
際限なく気遣いをしてしまう様ですし、
責任感も強い方で何事にも一所懸命やってしまう方の様ですから、
「そんな事やってたら体(心)が持たないよ!」と警告をしているのです。
昔、それをやって酷く傷ついた事を覚えているんですね。
でもそれは、その昔やった方法や条件を
そのまま今の現状に適応してしまった場合です。
今は昔よりも自分の経験も周りの条件も変わっているはずです。

なので、安心してどんどん自分も周りも信頼していきましょう!
………なんていいません。
そんなことが出来ていたら、悩んだりしませんものね。
なので、こういう提案をさせてください。
「形だけでもOKにしてみる」
日本語には「形から入る」という言葉があります。
外見だけ立派で中身を伴わないという
ネガティブな使われ方をよく見かけますが、
中身ってそんなすぐに充実するものでもありません。
器が出来てはじめて受け取れるものもあるのです。
実感しなくても良いのです。
まずは形から「ありがとう」とか「幸せだわ」とかちょっと思ってみる。
その延長線上で自分も人も「信頼してみようかな」と思ってみる。
すぐに腹の底からわき上がるような疑いや恐れがでてきて、
吐き気がするかもしれません。
「この偽善者!」みたいな声も聞こえるかもしれません。
でも、それはmonさんの本質ではありません。
>やらなきゃいけないことなのに何故か不安に負けたり
>やる気がでなかったり一生懸命何かをすることができてないんです。
>なにもしたくない、辛いことはしたくない、甘い考えが絶えないです。
>楽な方に逃げてる自分が醜いのに、変えられないんです。
>逃げたくなってしまうんです。
このあたり、ぜ~んぶ「エゴ」さんの声です。
「エゴ」さんの断末魔の叫びなのです。

…ちょっと「エゴ」さんのことが可哀想になってきましたか?
心配しなくても、綺麗サッパリ消失するわけではありませんし、
退治しないと幸せになれない訳でもありません。
ちっちゃくなるだけです。
たま~に出てきてちょこちょこ悪さをしますが、
これを続けて幸せになってしまったmonさんにとっては、
とるに立たない些細な事になります。
まずは「形だけでもOKにしてみる」
10回不安や恐れが出てきたら、
1回でも「信頼してみようかな」と思えたらいいです。
そのうち慣れてきて、また「エゴ」さんが暴れ出したときに
「ま~たやってるわ~。仕方ないわねぇ」と愛を持って見られたり、
そんな自分をそっとハグ出来たりします。

少しずつ、少しずつ。
あ、「焦り」も「エゴ」さんの得意分野ですからね!
monさんの心が少しでも軽くなりますよう、心からお祈りしております。

ありがとうございます。

この記事を書いたカウンセラー

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