こんにちは、平です。
きょうは、みなさんから最近いただいたリクエストの中でいちばん多かった“失恋”について、その力学と癒し方についてお話しさせていただきますね。
失恋とは、ほとんどの場合、あなたが一方的にふられ、傷ついた状態をいいます。
おつきあいを解消したかったほうは、解消してせいせいすることはあっても傷つくことはありませんので、その状態を失恋と呼ぶことはまずないわけです。
そして、多くの人は、失恋によって傷つくのは、「パートナーから愛されなくなったからだ」と思っているのですが、それは誤解です。
失恋のつらさというのは、じつは、あなたの愛を「もう、いりません」と受け取ってもらえなくなることに尽きるのです。
言い換えれば、あなたが愛を送りたい人に拒絶され、その愛を受け取ってもらえなくなることが失恋というわけです。
そして、失恋という事実に私たちはいろいろな意味づけをします。
その意味づけによって、あなたはみずからその傷を深めてしまうのです。
それは、たとえば、「やはり、こんな私じゃダメなんだ」とか「私のことを愛してくれる人など、結局、だれもいないんだ」といったものです。
これを注意深く見ていくと、心のどこかに「やっぱりね」というものがあることに気づきます。
この世の中には、完璧な人間など存在しないわけです。
ところが、私たち人間は、自分が不完全であることをいつも罰しているようなのです。
だから、失恋など、望まない出来事が人生に起こったとき、私たちはまるでバチが当たったように感じてしまうのです。
しかも、バチが当たることが当然で、人生がうまくいったり、最高の経験をするというのは、ほとんどありえない奇跡のように感じているようです。
ですから、恋を逃したり、彼や彼女にふられてしまったとき、私たちは心の中で、「パートナーができるなんて奇跡は、もう、今生では二度と起こらないのではないか」と思ってしまいます。
その結果、彼や彼女に執着してしまい、相手からはさらにいやがられ、ますます傷が広がってしまう‥‥、そんな悪循環は、大なり小なり、だれもが経験することなのではないでしょうか。
このような状況にあるとき、人は自分をふったパートナーのことを、ものすごく素晴らしく、魅力的で、完全な人のように感じ、その一方、自分のことを、いやなやつで、魅力のかけらもなく、不完全な人間のように感じてしまいます。
そして、「ヤなやつがヤなことしたって、いいじゃない」と言うかのごとく、醜い執着をパートナーにしてしまったりするわけです。
しかし、そうしているかぎり、あなた自身、自分に価値や魅力を感じることはできません。
パートナーに対しても、自分の魅力をわかってもらおうとするのではなく、「こんな、かわいそうな人を見捨てていくんですか?」などと、まるで物乞いをするような状況になりがちです。
さらに、こういう心理にあるときは、子ども時代、「いくら泣いたって、お菓子は買いませんからね」などとひどく怒られ、自尊心をペチャンコにされた、あのみじめな感覚まで蘇ってしまいます。
人生の中で拒絶された出来事のダイジェスト版が、あなたの心の中に走馬燈のように浮かび上がるのです。
そして、あのパートナーすらあなたを拒絶し、愛をくれなくなったと思うことで、「自分など、とても愛には値しない」と感じてしまうのです。
もちろん、これは真実ではありませんね。
一度でもおつきあいしたということは、あなたのパートナーにとって、かつて、あなたは世界一すばらしい女性、世界一すばらしい男性だったということです。
失恋したいま、あなたはそのことをまったく忘れ、それとは正反対の態度をとっています。
いま、あなたがすべきことは、もう一度、世界一すばらしい人になることを自分に許し、光り輝きたいと願うことです。
この失恋によって、あなたが自分の光を隠してしまったとしたら、あなたの真実のパートナーは、あなたという存在に出会うことができません。
そして、あなたと出会わないかぎり、あなたのパートナーも深く闇の中に沈んでいるのです。
あなたの真実のパートナーのためにも、ぜひ、光り輝くあなたを取り戻していただきたいわけです。
では、次回の恋愛心理学もお楽しみに!!