子ども時代の心の傷とは、いったいどんなものでしょう?
虐待などがなくとも子ども時代に傷つくことはあるのです。
それは、あなたにも起こりうることなのです。
それに蓋をせずに認めることができれば、インナーチャイルドは癒やされます。
すると、あなたの人生は幸せになっていくでしょう。
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●子ども時代の傷とは
子ども時代の心の傷とは、いったいどんなものでしょう?
『私は特に虐待もされていないし、
学校でいじめられたという経験もないし?』
そのような経験でなくても、
心は傷つくことはあります。
パパや、ママなどに欲しい形で愛してもらえなかった、パパや、ママなどに欲しい形で受け入れてもらえなかった時に、傷つくのです。
それは、
パパやママなどが、
その人なりに愛していたとしてでもです!
パパやママなどが、
その人なりに愛していたとしても、
それが欲しい形でない時に傷つくことがあります。
または、本当に欲しいものが入らなかった時に傷つきます。
本当に欲しいものとは・・・
やさしいパパ。
やさしいママ。
仲の良いパパとママです。
これらのいずれかひとつでも
手には入らないときに子どもは傷つくのです。
特に虐待もされていないし、
学校でいじめられた
という経験でなくても、
子どもは傷つくことがあるのですね。
そう考えると、
あなたにも思い当たることはありませんか?
●心の傷に蓋をするもの
良い人なんかは、
思い当たる心の傷に蓋をしてしまうことがあります。
「そう言えば、子どもの頃は一緒にいて欲しい時に、一緒にいてもらえなくてつらかったかも・・・。
いやいや、育ててくれる為に共働きしながら頑張ってくれたし、休みの日は必ずどこかに連れていってくれたし、つらかったとか不満を言っちゃいけない」
などと、
その人なりに愛してくれているからこそ、
つらかった、寂しかった、悲しかった、
など言ったら、
その人に申し訳ない気がしてしまう人がいます。
その為に、
つらかったと思ってはいけない。
寂しかったと思ってはいけない。
悲しかったと思ってはいけない。
と、
心の傷に蓋をしてしまうのです。
でも、
つらかったと思っていいのです。
寂しかったと思っていいのです。
悲しかったと思っていいのです。
大人の頭で、その人なり
(親なり、祖父母なり、兄弟なり)
に愛してくれていたのは理解しているのと、
子どもの心で、
あの時はつらかったと思ったこと、
あの時は寂しかったと思ったこと、
あの時は悲しかったと思ったこと、
は、
別ものでいいんです。
子どもの心で捉えた、その時の気持ちを認めることが大切なのです。
それはなぜかというと・・・、
認めないと処理できないからです。
つらかった、
寂しかった、
悲しかった
と、思ってはいけないと思って心に蓋をすると、処理されなくなり心に奥にずっと残ってしまいます。
すると、
傷ついたマインドのままになるので大人のあなたの物の見方、考え方、捉え方の傾向が傷ついた物の見方、考え方、捉え方の傾向がでてきます。
(前回の、私は無力な存在だと考えてしまう例のように)
感情は感じきることで癒やされます。
だから、
感じるという処理をして、
傷ついた感情を癒やしてさようならする為に、
認めるということがいるんですね。
子どもの心で捉えた、
その時の気持ちを認めることができると・・
あの時はつらかったんだなぁと感じることができます。
あの時は寂しかったんだなぁと感じることができます。
あの時は悲しかったんだなぁと感じることができます。
そうやって感じきっていくと、
インナーチャイルドが癒やされて、
物の見方、考え方、捉え方が変わってきますから。