相談者名 | くりくり |
私は「自分は健康であるはずがない」と思ってしまっているようです。 母は若くして両親を病気で亡くした為か、病気に対して非常に心配をします。愛情の証とばかりに心配を押し付けてきます。 成長するにつれ対象は母から友達や恋人、仕事仲間などへ及んだようです。「私が体調が悪くなるくらい頑張っているのだから認めてよ!心配してよ!私のことを見てよ!」という感じで、気持ちを訴える手段としていたようです。 それに気づいてからは、体調が悪くならなくても、人に甘えたり、気持ちを伝えたりすることができるようになりましたが、今度は「わかってよ!」と人に訴える為ではなく、「私は今こんなにつらいね」「私は頑張っているのね~」と被害者意識を感じるために体調を悪くしている気がします。(書いていて気づきましたが、被害者意識を感じるという事は、結局自分の心の中だけですが加害者を責めて、気持ちを訴えているのですね。) また、体調が悪いのに慣れてしまった為か、健康でいることに罪悪感があるというか、健康に対して無価値感があるというのか、「健康な自分」というのは想像できなくて、手に入らない存在のような気がしてしまうのです。 まだ感情的に癒されてなくて、「健康でいる=母の愛情を否定する」→母への罪悪感→健康に対する罪悪感 となっているのか、 意識レベルでは、体調不良で愛情を感じたり、自分の価値観を感じるより、健康で皆と楽しくわいわい過ごしていたほうがよっぽど良いし、楽しい事をいっぱいして健康でられたら最高!!と思うのですが、潜在意識のレベルでは何かが引っかかっているようです。 「健康な自分」を上手に受け取るにはどうしたらよいでしょう? | |
カウンセラー | 中原謙一 |
くりくりさん、こんにちは。 メールありがとうございます。 私はカウンセラーの中原謙一と申します。 よろしくお願いいたします。 さて、メールを読ませてもらって感じたことなのですが、よく自分のことを分析され その分析内容も、かなり的を得ていますので、よく勉強されているなとも感じます。 ただ、「健康な自分」を受け取れない部分ですが、これは「受け取ってはいけない」 くりくりさんの中で、「健康な自分」=「愛される自分」となっているのではないで 愛される自分が信じられない、とか、私は特定の誰かに愛されてないんだから、みん では、どんな自分なら「愛を受け取れる」のでしょう? このとき、すべての愛を受け取れる自分、ここでは健康な自分もそうですが、こんな もしかしたらくりくりさんは「完璧な自分でないと愛されない」と思っているのでは これが自己嫌悪になるわけですが、この自己嫌悪を証明するために「受け取れない」 さらに、健康になってしまうと両親を見捨ててしまう感覚があるのではないでしょう この感覚が「健康になってしまう自分」に関する恐れとなっているのではないでしょ もっと掘り下げていけば、健康になるとやらなくてよかったことをやらなきゃいけな 罪悪感がどうとか、無価値感がどうとか、説明することは可能ですが、くりくりさん 健康な自分だと、何ができるのでしょうか? それがくりくりさんにとっては本当にほしいと思っていたとしても、心の中は「いら そして、健康になってしまうと、何ができなくなるのか? 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 ありがとうございました。 |