相談者名 | あや |
初めまして。中学3年のあやです。よろしくお願いましす。 私の父は昔荒れていました。私には厳しくなかったのですが4つ上の姉にはすごく厳しかったのです。毎日姉にむかって怒鳴ったり、壁を殴って穴をあけたり、テレビにお茶をかけたり…。 だけど、一週間くらい前からあの時の記憶が戻ってきたのです。今までそんな事なかったのに…。3日前も学校で思い出してしまい、怖くなって発作のような物が起こってしまいました。 中学校に入った頃から、大きい音や怒鳴り声に弱いという事は分かっていました。(それが、父のせいだとはわからなかったんですけど…) どうすれば、わすれられるでしょうか。 今は受験の大事な時です。こんな不安定のままじゃ持たなくなってしまいます…。 | |
カウンセラー | 中村ともみ |
> 初めまして。中学3年のあやです。よろしくお願いましす。 あやさん、こんにちは。ご相談ありがとうございます。 幼いころの記憶というのは、必ずしもはっきりとした形であることばかりではありません。漠然とした怖さとか、悲しみとか、感情レベルのことだけだったりすることも少なくないんですよね。そして具体的な出来事より、音だったり声だったり、匂いや色、景色…そういった印象的な何か、どちらかというと感覚に関したものだったりします。 私自身の経験をお話しするのが早いと思いますので、まずはその話を。 私は幼いころ、年齢で言うと3歳なんですが、不慮の事故にあい非常に大きな怪我をしたんです。長い間入院もしたし、何度か手術も受けているんですが具体的なことはほとんど記憶にありません。感覚的に覚えているものは、暗い検査病棟の廊下がとても音の響く場所で、それが楽しくて大きな声を出しておぶってくれている母親に「しっ」といわれたこととか、小児科病棟にいたらしく(その記憶もあいまいなんですが)、大きなお兄ちゃん(中学生くらいでしょうか)が血尿が再発し退院が延びた、と悲しんでいる表情だったり、ベッドにぽつんと座ってただ中庭を見ていたようなうすぼんやりした感覚だったりと、本当に断片的でかすかなものなんです。そんな中で、どの記憶とも結びつかなかったのに、かなり大きくなるまで「怖い」という感覚がある出来事が起こるたびに湧き上がることがあったんです。自分でも不思議なくらい、怖くておびえ、がたがた震え、泣き叫ぶんです。多分小学校高学年まで続いていたと思います。 ある出来事、というのは、救急車や消防車、パトカーといった緊急車両のサイレンが聞こえるということでした。赤色燈が窓に映ったりしたらもう、それは大変でした。家の前が抜け道で救急車がよくとおるので、夜中に突然サイレンが聞こえたら飛び起き、がたがた震え、泣き喚くんです。自分でもわけがわからなかったんですね。年齢とともにサイレンを鳴らす車の重要性やその先の状況がわかってきて少しずつ減りました。そして、時を重ねるにつれまったくそんなことは忘れていました。ただ、今でもこの種の音には敏感で、車を運転していても遠くのサイレンにも気づき、かなり後ろから救急車がやってきてもよける準備はしている、といったことをずっとしていました。それもあまり理由については考えなかったんです。まあ、緊急車両を優先する、というのはドライバーの常識でもあるんですけど。 ほんの数年前、母の話で私があれだけ救急車の音やランプの色におびえていたか、納得しました。当たり前のことなんですが、救急車で運ばれていたんです、事故に遭ったとき。でも私の記憶の中では救急車ではなくタクシーか何かに、誰かに抱かれ運ばれる自分、というところで途絶えていました。事故の直前のこと、事故に遭ったときのことはっきり覚えているのに、です。おそらく、あまりにも衝撃的なことが多かったのでしょうね。都合の悪い記憶は心の片隅につめこんだ、という感じかもしれません。そして音、色、という感覚とともに怖い、という感情がセットになって残ったようです。 私が、こういった音や色から感じる恐怖は、「そのときに起こったことはもう今はない」ということをはっきりとわかり出してから薄れていったように思います。 私の場合は恐怖、という感覚と視覚・聴覚がセットになった出方をしましたが、これは楽しい、うれしいといった感情と香りや風景、感触が蘇ることもあると思います。たとえば、夕焼けの空を見るとお母さんと手をつないで歩いた時の懐かしさや、手のぬくもりをなんとなく思い出す、といったようなことがあるかもしれませんね。 さて、お話をもどしましょうね。 > 私の父は昔荒れていました。私には厳しくなかったのですが4つ上の姉にはすごく厳しかったのです。毎日姉にむかって怒鳴ったり、壁を殴って穴をあけたり、テレビにお茶をかけたり…。 あやさん、怖かったですね。何も思わなかった、というよりも、心を閉じて感じないようにしていたのかもしれませんね。 お父様は、そのときどんな状況に置かれていたのでしょうか。仕事はうまくいき、お金の心配もなく、妻や子供の生活を十分に支える自信があったと思いますか?もしかしたらとても大変な状況で、ご自分を責められていたのかもしれません。もし、いろんな意味でゆとりがあったとしたら笑ってすごせるようなことでもせっぱつまった状態ならどうでしょう。当時のお父様にはそういったゆとりがなかったのかもしれませんね。 > だけど、一週間くらい前からあの時の記憶が戻ってきたのです。今までそんな事なかったのに…。3日前も学校で思い出してしまい、怖くなって発作のような物が起こってしまいました。 具体的にわからないのですが、学校で何か変わったこと、何か気になることがなかったですか?突然襲ってきたのでしょうか。恐らく、何か原因となる出来事かなにかがあったのではないかな、と思います。あのときのご家族の様子とどこか似ている状況があった、とか。 そうだとしても、あの幼かったあやさんと、中学三年生、15歳のあやさんとでは対処できる能力にずいぶん差があることに気がついて下さいね。幼いころはただ見ているだけしかできなかったことも、今は違うんです。小さかったころ、ただ目の前で起こっている出来事を見ているしかできない、泣くこともできなかったんですよね。 > 今も父の怒鳴り声、姉の泣き叫ぶ声、キラリと光った包丁、母の叫び声が頭と耳から離れないです。怖いです。 こういうある種追い詰められた状況に7、8歳の女の子にどんなことができると思いますか?もしかしたら「何も感じない」「泣くこともしない」ということがただひとつのできることだったのかもしれません。でも本当はとっても怖かったし、お姉さんやお母さん、お父さんも助けてあげたかったんだと思いますよ。ただそのときのあやさんにできることは「何も感じない」ようにするだけだったのではないでしょうか。あやさんにとって大切な家族が二つに裂かれるような痛みがあったのかもしれません。 > 中学校に入った頃から、大きい音や怒鳴り声に弱いという事は分かっていました。(それが、父のせいだとはわからなかったんですけど…) 私のサイレンに関するおびえと仕組みが似ているかもしれませんね。だとしたら、今の15歳のあやさんの目から見たお父さんのそのときおかれていた状況を考えてみるのもひとつの方法かもしれません。ああ、あんなことがあったからお父さんの心の中もヒドイ状況だったんだな、というように。そして、そのとき、その状況に今のあなた、15歳のあやさんがいたらその場にいたそれぞれの人にどんなことをしてあげたいと思いますか? お父さん、お母さん、4つ上のお姉さん、そばにいてくれたお姉さん、そしてあやさん自身。 > どうすれば、わすれられるでしょうか。 忘れることはできないかもしれません、15年のあなたの人生できっととても大きな出来事だったでしょうから。だとすれば、怖かった記憶、どうにもできなかった自分、というところから少し見方を変えてみて、今の自分だったらどう感じるか、もし自分がお父さんの状況にいたとしたらどうか、がもう考えられる年齢なのではないかな、と思います。(私にはあやさんと同世代の息子が二人いるんですよ。いつのまにか成長していて時々とても驚かされます!) > どうすれば、怖いと思わなくなるでしょうか。 今の、15歳の目でお父さんをまず見てあげてくださいね。まだまだわからないこともたくさんあると思うんですが、お父さんが本当に楽に生きていたのではないかもしれない、という目で見てあげてください。いまのあやさんならお父さんにどんな言葉をかけてあげられるでしょうか。もちろん一人ではないんですよ。あの時のお姉さんたちももう大人ですよね。子供たちを守れないのではないか、とお父さんが思っていたとしたら…私たちはこんなに成長したよ、って伝えるのもいいかもしれませんね。 まあ、今の世の中はタイムマシンがまだ発明されていないみたいだから、実際に行ってみるのは不可能なんですが(笑)もしそうできたら、と考えてみるのも方法じゃないかな、って思います。 > 今は受験の大事な時です。こんな不安定のままじゃ持たなくなってしまいます…。 そうですね。人生のひとつの節目です。お姉さんやお母さんに話してみましたか?私が今こんなことを言うときっと困るのではないか?と思っていたりしませんか?一度ご家族に思い切って打ち明けてみるのはどうでしょうか。私には子供もいるし、弟や妹もいます。すっかり大人になった今もきょうだいに助けられたり助けたり、ということが少なくないんですよ。そして助け合ったことで家族の絆が強くなるんだな、ということも感じつづけています。きょうだいの中でも弟、妹、特に末っ子の場合はなんだか自分が家族のお荷物のように感じてしまうことが多いようですが、それは違うんですよ。妹や弟がいるから強くなれる、という部分もあるし、年に差があってもそれぞれの得意分野がある、ということもそろそろ見つけていってもいいんじゃないかなって思います。そして、あやさんはこれからどんどん成長していく人ですから、今は家族に助けられる一方に感じていても、あなたがお姉さんたちやご両親の力になる日は必ずやってきます。その日のためにも、お姉さんたちを頼ってみてもいいのではないかな、と私は思います。 あやさん、つらいこともたくさん経験しましたね。でも、あなたは自分で考えたにせよそうではないにせよ乗り越えてきました。そういう強さが自分にはあるんだな、ということを覚えていて下さったら私はとてもうれしいです。 あやさん、応援していますよ。あなたはひとりではない、ということを感じてみてくださいね。 |