過去のトラウマ

相談者名
Lina
3人姉妹の長女です。幼い頃父親の事業が失敗し父方家族と縁切りし父親はアル中になりました。定職にも就けず家計は不安定で、毎晩父はこの苦痛は私たちのせいだと暴言を吐きました。母はその場に存在しないかのように全く発言せず、怒りに震える私が何かを言い返そうとすると、だまってればいいと止められました。

母は父が居ない時は父の文句を言い下の妹が学校卒業したら離婚すると言い続けました。早く離婚してほしい、あの父親と離れて暮らしたいと思っていました。そんな母は世間体を気にして外では幸せ家族であるかのように振舞っていました。思えば両親とも末っ子で人に頼る所があり、長女である私はしっかり者の役を演じ、私だけ別種類の人間でした。小中高と勉強を頑張り地元大学に進学し親にとっては手のかからないいい子でした。父からもねえさんと呼ばれ2人の妹はもとより父にとっても私は姉であるかのようでした。

父は2番目の妹に対して産まれた時から冷たく、母はその分妹を可愛がっていました。妹は誰からも好かれる性格で生徒会などもやる優等生でした。正直、母の愛情欲しさにそんな妹に嫉妬心がありました。母からは、私は川原から拾ってきた子供だとか、競争心が強すぎるとか何かと非難され悲しくなったのを覚えています。

高校入学頃から、私の性格はかなり暗くなりました。自分の殻に閉じこもり、誰も理解してくれない孤独を感じていました。大学卒業後、家族と離れようやく自由を感じ、自分らしく生きれるようになりました。理解ある主人と結婚し、娘が生まれるまではとても幸せでした。しかし娘の発育と共に昔の苦痛を思い出すようになりました。

今家族と会うと、狭い檻に監禁されたように身動きが取れず、思った事も発言出来ません。あのしっかり者の姉を演じなければというプレッシャーと、誰も理解してはくれないという諦めの気持ちがあります。こんな家族とこの先どう関わっていったらいいでしょうか。

カウンセラー
山下ちなみ
ご相談、ありがとうございました。
山下ちなみと申します。

今回、娘さんの発育とともに、過去のことを思い出したとのこと。
それは、きっと、娘さんのことを本当に心から大切に思っていらっしゃるからでしょうね。
愛するものだからこそ、自分の過去を重ねて深く感じることがあるでしょうし、また、どこかで、娘さんには自分と同じ思いはさせたくないという気持ちがあったのではないでしょうか。

子供は親を助けに生まれてくるといいます。
それは、もしかしたら、Linaさんが過去に果たせなかったことを、娘さんが助けたり与えに来てくれたのかもしれませんね。

Linaさんは、ご両親との間にある確執や、ご自分の演じ続けてきた役割に、傷つき、つらい思いをされてきたのですね。
それは、いまもなお、Linaさんの心を占めていて、「監禁されたよう」な感じがするのですね。
監禁されたよう、思ったことも発言できないときの気持ち。
プレッシャーと、本当の自分は誰にもわかってもらえないという悲しさ、寂しさ。
こんな思いを今もかかえていらっしゃるのですね。

監禁されている感じとは、ある意味、拘束されている、許されていない感じがしますよね。
許されていない、つまり、自分は価値がないという無価値感や自分は悪いという罪悪感や自己嫌悪が隠れているのです。
無価値感、罪悪感、自己嫌悪は形こそ違いますが、ベースは同じです。
自分は価値がないから、拒絶されたのだという痛みからくるのですね。
もちろん、自分に価値がないとか、拒絶されたというのは誤解から来るのですが、心ではそう感じてしまうのです。

この裏には、必ず、自分のことを拒絶した誰か、許していない誰かがいます。
許していない状態では、常に心の中でその人のことを考えてしまい、それもマイナスの感情でがんじがらめになってしまいます。
そのとき、拘束されているのは、自分の気持ちなんですね。

例えば、会社で部長のことを恨んでいるとします。
許せない状態、というのは、毎日毎日、あるいは何かのきっかけでそのことを思い出して痛みを再確認している状態、つまり、定期的に「うらみ参り」に行っているようなものなのです。
心の中で、「私は部長をうらみます~」と唱えているわけなんですね。
そのたびに、許せなかったことを思い出して、つらい思いをするのは自分ですが、部長は全く元気なままです。
そのお参りが霊験あらたかであれば、やる価値はあるかもしれませんが、残念ながらそうとは考えにくいですよね。
実際には、部長にはその怨み節は届かず、日増しに弱っていくのは自分なんですね。

自分が開放されるために、このお参りをやめませんか。
ご両親がしたことそのものを「なかったこと」や「よかったこと」にする必要はありません。
ただ、お参りをやめる、ということなのです。
もう、姉の役割は勘弁して欲しい、ということで、あなた自身が手放しましょうということなのです。
その代わりに、あなたはどんな自分になりたかったのでしょうか。
愛される私、娘らしい私、しあわせな私。
こんな自分になることを、自分が許可しましょう。
自分以外に、自分に対して許可できるひとはいません。
そして、許可というのは、許しの一種です。

これをやめる、だけだとなかなかどうしたらいいのか分かりませんが、こうありたいという像が出てくれば、目標に近づくだけですから、グッとやりやすくなります。
そう聞くとLinaさんは、どう感じられたでしょうか。
分かりますが、そうはいっても両親が変わらないんです、と思われたかもしれませんね。
そう、ここで大切なことは、ご両親が、あなたをどう扱うかが問題なのではないということです。
ご両親があなたをどう扱うか、ではなく、そのことに対する、あなたの態度があなたの価値を決めるのです。
これができたときに、あなたの中の無価値感が消えていきます。
また、罪悪感にはいろいろな種類がありますが、その中に、できるはずなのにしていない罪悪感というものがあります。
だからこそ、あなたが、自分に許可を出すのです。
こんな自分でありたいのだ、と。

それと同時に、過去の、ああして欲しかった、こうして欲しかったという思いを手放していきましょう。
過去にして欲しかった、という気持ちが残っていると、心というものはガンコなもので、あの時に欲しかった(今さら遅い、この人からでないとダメなど)、というこだわりが出てきます。
ということは、意識の深いところでは過去にこだわっているのですから、今、与えられても、そのことに気づいたり、受け取る余地がなくなってしまうのです。
過去にもらえなかったことに執着するのではなく、これから先、手に入るであろうものを見ていくことが次の課題です。

このステージは非常にストレスがかかりやすく、また、なかなかひとりでは難しいことも多いかもしれません。
そのつど、たくさんの思いや気持ちが出てきますから。
また、日ごとに成長する段階のため、昨日とはテーマが少しずつ微妙に変わったりもします。
カウンセリングで、方向性を定めながら、進めていくのもいいかもしれませんね。
まずは、このことに取り組む目的から。

あなたの背中を、あなたの娘さんは見ています。
どんなしつけの言葉より、親の態度やものごとに対する姿勢こそが、子供に対する強いメッセージであり、親から子に伝えられていくことではないでしょうか。
ここに、子供は親の愛を見るのですね。
そのことは、つらい幼少期を過ごしたLinaさんが一番、痛感しているのではないでしょうか。
子供さんがどんなに小さくとも、子供は親を見ているものです。
親が思っている以上に、相手の思いや気持ちまでもしっかりと見ているものです。
Linaさんは、大切な娘さんに、どんな自分を見せたいですか。
うまくできなくても、そのことに真剣に向かい合う姿こそが、娘さんにとっては恩恵ではないかと私は思います。

こんなつらい親子関係は、ここで断ち切りましょうね。
ご相談、ありがとうございました。

この記事を書いたカウンセラー

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