目の前にある良いことや幸せなことに目を向けられない

相談者名
りら
私はすぐ目の前にある良いことや、やらなければいけないことや幸せに目を向けられず、あてもなく現実離れした方向を見てきました。
気づけばもう40代も半ばで取り返しのつかない過去を後悔し、責めてばかりでさらにどうしようもない感じになっています。

例えば、五体満足で贅沢を言わなければ働ける場所もあってたまに一緒に飲みに行ける友人がいて・・と、正直自分が今思える良いことや幸せってこれくらいしかありません。これくらいしかないと思ってしまっていること自体が問題なんだと思い始めています。
それに五体満足は病気や障害のある方からしたら、それだけで恵まれていると思う場合もあるかも知れませんが、たまに思うのは、五体満足で生きている人が多い世の中です。だからそれは普通なのでもっとそれ以上のことを求めてしまうのです。人の心の痛みがわかる優しくて素敵で一緒にいると安心できる人と結婚したいとか、もっと良い会社で働きたいとか、もっといろいろなものを食べたいとか、良い家に住んでみたいとか・・本当に自分は何も努力とかしていないくせに強欲なんです。
自分よりも恵まれていると感じてしまう人(両親が健在、大事に育てられてきた、女性らしくて綺麗な人、素敵な人と結婚して家がある人などなど)を見るとどうして自分は仕事と五体満足以外には何もないんだろうって思ってしまいます。
無意識にそうゆうことを前提に言動していたはずなので、大勢の人を傷つけソトヅラの良いだけの浅はかで薄っぺらい人間だから何もないのだと気づいて愕然としています。
今更もう遅いのですが誰にも相談できずにここに書いてしまいました。
申し訳ありません。

カウンセラー
三好成子
りら様こんにちは。
今回りら様の担当をさせていただきます三好成子と申します。よろしくお願いいたし
ます。

りら様の御相談内容を何度も読ませていただきました。
40代半ばという事で、人生の半分くらいを費やしたという感覚を持たれているのか
な?と思いました。
私もこれくらいの年齢の時、一度人生を振り返るような出来事があったのでそう
思ったのですが、間違っていたらごめんなさいね。

りら様のお話しにある、『あてもなく現実離れした方向』についてですが、どのよう
なものだったのでしょうか?
それはりら様の感覚ではもう望みようがないように思えてしまうことなのでしょう
か?

りら様のお話しを伺っていると『理論や、やらなくてはいけない事は良くわかってい
らっしゃるなぁ』と思うのです。
今までいっぱい悩んで考えて学びを得て来たのでしょうね。
幸せになりたいと願い続けて来られたのですね。
目の前の幸せを大切にしたい、しなければいけない、という事も理解されておられる
様ですね。

でも上手に出来なかった…
という事なのでしょうか?

悠々と生きているように見える人の中にもりら様と同じ様に
思う様に出来なかった事、手に入らなかったものがあるかも知れません。

その人たちも、自分の持っている才能に気がつかないで、周りの人から(例えばりら
様から)羨ましいと思われていることに気がつかずに過ごしているかも知れません
ね。

人って案外よく似たことを考えながら悶々としていたりする様です。

《人の心の痛みがわかる優しくて素敵で一緒にいると安心できる人と結婚したいと
か、もっと良い会社で働きたいとか、もっといろいろなものを食べたいとか、良い家
に住んでみたいとか・・》

これは望んでも良いんですよね。
そして、この望んでいる全てのものが、りら様の中にある要素でもあると思うので
す。
手に入れられる可能性があるという事でもあると思います。

心理学でいう投影と呼ぶ心の状態で、自分の中にあるものにしか反応しないと言われ
るものなのです。

ですので、言いかえれば
りら様の中には人の心の痛みがわかる優しさをお持ちだという事も、このお話しから
推測が出来ると思うのです。
一緒にいると安心できる人であるという証明にもなっていますね。

その要素をお持ちであるにも関わらず、上手に使えなかったというところから痛みを
感じる様になったのかもしれませんね。
手に入れられるはずなのに手に入っていないとか、使えるはずなのに無いということ
が苦しみや悩みになっているのかも知れません。

諦めや、あせり、苦しみは
誰かと比較し始めた頃から生まれるといわれます。

その比較は、
特定の誰か出なくても、世間一般の標準値の様なものも含まれていたりします。
もっと良い会社で働きたいとか、もっといろいろなものを食べたいとか、良い家に住
んでみたいとか・・
あの人と比べるために『もっと』必要だと思うと、辛くなってしまいそうですね。

人との比べた時の『もっと』ではなく、自分に与えてあげる最高のものを望むという
意味での『もっと』は
もっともっと探求して欲しいと思います。

それが手に入る入らないに関わらず
自分に与えてあげようと思ったその気持ちが、自分をもっと大切にすることになるの
だと思います。


『自分よりも恵まれていると感じてしまう人(両親が健在、大事に育てられてきた、
女性らしくて綺麗な人、素敵な人と結婚して家がある人などなど)を見ると…』
というお話しから察すると、りら様が『持っていないと感じているもの』がそこにあ
ると思うのですが、もし、その要素を望む理由が見つかれば、代わりに手に入るも
の、すでに持っているものを探す事も出来ると思うんです。

例えば
●両親が健在大事に育てられて来た→自分の力で生きて来た誰にも頼れなかった→生
きる力、誰かを助ける底力が付いている。
親というもののありがたみがわかる人である。
●女性らしくて綺麗→女性の良さを見る事が出来る。→違うタイプの女性らしさは何
だろう?と考えて見る→私の中にある女性らしさを見つけようとしてみる。
●「素敵な人と結婚」と、「家がある」を区別して考えると範囲が広がっていくと思
います。
そこで、自分にとっての素敵な人はどういう人かを考えて見るのも良いと思います。
家の象徴が安定や自由の場合もあれば繋がりであると感じる方もいらっしゃいます。

家という形のあるものの代わりに欲しいものは何だろう?と置き換える事で、本当に
欲しいものを得る、またはすでに手に入っているものに気づくヒントになるかも知れ
ませんね。

私たちはいろんなものに制限をかけてしまっている様です。
それは、諦めるための言い訳になっている事も少なくないと思います。
諦めなければ手に入るという意味の中には「これでなければ欲しいものではない」と
いう、自分の中の制限に気づいていくという事も含まれるのかな?と思います。

本当に欲しいものは形を変えてでも訪れてくれるものだと、私は思っているのです
よ。

『この手があったか!』の驚きとともにりら様の本当に欲しいものがもたらされます
ように、願っております。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

「近ずぎてウザい・遠すぎてさみしい」 自身の経験から、人との心の距離感や対人関係の悩みには親子の距離感が大きく関係している事に着目。【母子癒着】といわれるくっつきすぎた心を見ていくことで、人との距離感を整えていくカウンセリングを得意とする。 誰にも言えない気持ちに寄り添ってくれると好評。